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フラン・ロイスダールの逃走  作者: みかげ石
第一章 私が男と眠るまで
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3 神をめぐる噂Ⅲ

「よく出来てはいるが、見る人が見れば分かるもんさ。常在する魔力の七割。この国が外国人に課す税率は近隣諸国からしてもかなり割高だ。よほど治安に自信がないんだろうな。そいつを付けていれば、日常生活に支障が出ないぎりぎりのラインってとこだろう。まぁ、それも――」


 正規に入国した外国人に限っての話だろうがな、と男は私の耳元でそうささやいた。私の身体に何かを強いようとする男の湿った声が、いくども私の体の中でこだましていく。


「だから?」


 マグから口を離し、抑揚のない、高い声で私は静かに尋ねた。


 返答次第では、私はこの見るからに人の好さそうな男を消す手間を負わねばならないだろう。

 アクアの二杯程度では到底割の合わない仕事になるが、私はすでにここでの生活になじみ始めてもいた。勝手なもので私を満たそうとする者を、この際排してもよいと思えるくらいには。


 そうして私は男を待った。それともむしろ、願っていたのかもしれない。男の口から、男を消すに足るだけの悪意ある要求が私になされることを。


「別に。どうこうしようっていうんじゃないんだ。あんたの事情を詮索するつもりもないしな。ただ、その歳で大陸を渡ってきた度胸と腕を借りたいんだよ。俺はさ、戦闘がダメなんだ。血がどうも、ダメっていうか、な。神が不在のままであったとしても、森には留守を守る使いがいるかもしれないし、今のタイミングともなれば軍の先遣隊とも鉢合わせることがあるかもしれないだろ? そう思うとさ、正直怖いんだよ。だから、ただ隣にいて付いてきてくれるだけでいい。何かあれば助けてはもらうが、何もなければそれでいいし、それが一番なんだ。どちらにせよ、ちゃんと納得してもらえるだけの報酬は払うつもりだ。だからさ、何ていうかその、頼むよ。こんなこと、恥ずかしくて他の奴らには言えないだろ?」


 男は終始こちらに手のひらを向けながら、ゆっくりと語り続けた。時折はにかんだような笑顔さえ交え、私にゆるしを請うように語り続けた。怖いのだと。自分には、自分を守るものが何もないのだと、男の全身は確かにそのように語っていた。ただ、それだけなのだと。


 大人というのは、こうまで無防備な姿を人にさらすことができるものなのだろうか。

 二本目の煙草を取り出しながら、分からないと私は首を振った。いずれにせよ、私の背向的な期待というものが完全に絶たれてしまったことは、もはや疑うべくもなかった。

 

 男が言葉を継いだのは、私の口からまたしても煙草を取り上げた矢先のことで、男はそこでおもむろに立ち上がり、こちらにもう片方の手を差し伸べたのだった。


「そういや、まだ名乗ってなかったな。俺はマーク・ロイス、マークでいい。明日中に準備を整えて、できれば明後日にも発ちたいんだが――」


 私は差し出された大きな手を一瞥いちべつしたところで、すぐに男の話を遮った。二度も煙草を奪われた腹いせが多少はあったのかもしれない。


「男に手を握られる趣味はない」

「へぇ、そうかい」

「あっ……」


 そう言うと、男は強引に私の手首を掴んでは、立ち上がらせた私の手を包むように握り締めた。

 肉の薄い、骨ばった指の感触が出し抜けに私を捉えていた。私のものではない異物が放つ強い熱。そして私へと向かう、意思を帯びた男の熱。


「そういうことなら俺もこの際言っておくが、いいか。俺は間違ってもお前のような小……、いや、違うな」


 男はせき払いをひとつ挟んでなおも強い眼差しで私を見つめていた。手を振り払うことは簡単だったが、そうしなかったのは男の真意を計りかねていたからだろう。


「君は確かに魅力的なレディで、そして俺は男だ。君自身に関心がないとは口が裂けても言うつもりはないさ。だが、それでもだ」


 男は私を見つめたまま、もう一度握り締めた手に意識を向けさせた。大切なことを無理にでも伝えようとする時に大人がよくするような、有無を言わさぬ眼差しだった。


「この世には星の数ほど趣味はあるだろうが、挨拶というのは趣味じゃない。あらゆる人間と人間が、互いに始まるための始まりだ。それをないがしろにするって言うのなら、俺は何度でも言ってやる。いいか、俺はマーク、マーク・ロイスだ」


 私はいくらか見開いた目で瞬きをせずにそれを聞いていた。私より長く生きていれば、どうしても伝えたいことのひとつやふたつはあるのだろうし、それを黙って聞き入れることが遅れてきた者なりの渡世とせいであることは私にも分かっていたからだ。


 普段より幾分声が高くなったのも、きっとそのせいだろう。大人というのは昔から、私の高く澄んだ声を不思議と気に入ったものだった。


「……フラン」

「フラン――?」

「ただの、フラン」

「……上出来だ、フラン。いい名前だな。でもいいか、フラン。その歳で煙草はやめ――」


 私はすでに男の趣味を受け入れたのだ。男の言に従うならば、彼の流儀なるものを聞き入れたということだ。そうなれば、今度は私の番だった。 


「……な、なにしやがるっ!」


 男は私の空いた手から雷が放たれたということに気付くまでかなりの時間を要したようで、へたり込んだ股の間に生まれた暗がりをいつまでも覗きこんだ上で、ようやく抗議の声を上げた。まったくもって察しの悪い男らしい。

 おかげでこちらは返事さえしていないのに、行くつもりのない出立の予定まで聞かされる羽目になったのだ。 


「随分お小言が好きなようだが、私の返事は初めから『ノン』だ。お前のような小物は遅かれ早かれ命を落とす。自分の身が可愛ければ、これ以上触れぬことだ。神にも、私にもな」


 男は信じられないものでも見るように私を見上げていた。その姿は滑稽で、私の溜飲りゅういんをほどよく下げもした。私なりに後くされのない別れを交わすことができたということだろう。


「ま、待てよ。悪い話じゃないだろ? 首尾よく行けば、付いてくるだけなんだぞ?」

「神の存否そんぴなど、私の生活には関係のないことだ。それに――」


 膝を立てて私を制する男の手にそのまま飲み終えたマグを宛がったところで、私は男の元を去った。

 追ってくる気配もなくなったところで、そうして私は自らに言い聞かせでもするように、男の依頼をもう一度拒んでいた。


「私は、私に由来しない力で対価を得ようとは思わない」


 去り際に言いよどんでしまったのは、もう会うことのない相手には伝える必要のない言葉だと思い至ったからだ。

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