2 神をめぐる噂Ⅱ
神が死ぬ。あるいは、殺される。よくある話とまでは言わないが、それ自体はそれほど珍しいことでもない。ましてやその後に人が考えることと言えば、大方の察しはつくものだ。
「盗掘か」
「まぁ、そう来るよな。でも、違うんだ」
女のような細指でこちらを制するように微笑んでから、男はもう一度山手へと目を向けた。案外人好きのする柔らかな顔つきで、私は仕方なくそれを眺めていた。
「あんたの言うとおり、あの山の向こうは元来人の寄りつかない人跡未踏の森林地帯、言わば神由来の秘境だ。滅びた旧人類とやらの新鮮な考古学的資源がどれだけ残されているかを考えたら、素人の俺でも涎が出るのは確かさ。ただ、そんなことをすればお国が黙っちゃいない。そうだろう?」
男の話を信じるならば、いくら鮮度がいいとはいえ、値打ちの分からない物を掘り返したところで得られる対価は知れている。
それにリスクを冒してまで得た盗品を後くされなく売りさばくほどの器量がこの男にあるとも見えないし、そもそも私は考古学になど興味はなかった。
「ではなんだ。こちらの用はもう済んだのだが?」
そう言って、私は飲み干したマグを翻し、パンの包みを丸めてそこに放り込んでから、男へと手渡した。テイクアウトをした客は、空になったマグを店まで返しに行かなくてはならないのだ。
「もう飲んだのか? 少しは味わえよ。しょうがないな、ちょっと待ってろ」
そこを動くんじゃないぞと、男は念押しした上で少し離れた店先まで駆けていく。
照り返す坂道を望んでは、このままあれが陽炎のように消えてはしまわないかとしばらく目を閉じて夢想していたが、やはりそうもいかないらしい。
「……お前、寝てたんじゃないだろうな?」
「言いつけなら、ちゃんと守っていた」
「あぁ、そうかい。ほら、今度は味わって飲めよ」
要領を得ないままに与えられた二杯目のマグへ目をやりながら、私は今しがた用意した科白を男に向けて吐いた。これが避けられない徒労であるのなら、せめて手短に願うしかないと。
「何がしたいかは知らんが、この際だ。予め言っておくが、本来なら私はそろそろ仮眠に入る頃合だ。そして私は、日課というものを割に大事にしている」
酒が向こうから二杯も転がってきたこのタイミングでわざわざ眠る道理もないが、どうやら男の無駄話を制する薬にはなったらしい。
仕方ないといった体で男はこちらに身を寄せながら、声の調子を落として話し始めた。
「俺のつかんだ情報では、どうやら神はすでにこの地にはいないらしい。殺されたのか、去ったのかは定かではないがな」
「なぜ、そんなことが分かる?」
「詳しいことまでは言えないが、実際に見てきたんだ。確かにそれらしい戦闘の痕跡が見受けられた。そして、大切なのはここなんだが――」
「お前は道中、何者にも襲われなかった。違うか?」
もったいぶった男に先んじて私は話を進めてやった。この男は大切な話の尺が私の手元のマグによって測られていることに、まだ頭が及ばないらしい。
「そう、そうなんだよ。人を忌み嫌う神がいたのでは考えられない事態だろう? 神は域内の生命をたちどころに見渡すことができるそうだからな」
「それで。神の不在を私に報せてどうしろと?」
胸元から取り出した煙草を咥えたところで、男は静かに首を振り、私からそれを取り上げた。男がようやく用向きを口にしたのは、そのあとのことだ。
「神域まで、俺に付いてきてくれないか?」
煙草を失った私の口は、一寸閉じることを忘れていた。そのくらい間の抜けた依頼だったとも言える。
どうも目下の私は、貴重な休息をふいにしてくれた男からハイキングの同伴に誘われているらしいのだ。
「俺は訳あってロップウィルの神の消息について調べている。あの場所に、もう一度行く必要があるんだ」
「無事に行って、帰ってきただろう」
「次もそうとは限らないさ。神様だって、気分転換に旅行くらいするかもしれないしな。それにどうやら軍も神の不在に勘付いているらしい。すでに山に入ったって情報もあるくらいだ。この道普請が今になって派手に再開されたのだってその一環だろう。でなければ、こんな片田舎の山道を整備する理由がないからな」
軍の動向に始まり、神の死や不在を実しやかに語る町の噂が、男の言うこの道普請に端を発していることは確かなのだろうが、そんなことは私にとって端から問題ではなかった。
というよりも、私はそろそろ苛立ち始めていたのだろう。この男は先ほどから私の疑念に何ひとつ答えようとはしていないのだ。
「分からんな」
「何がだよ」
「なぜ、私を誘う」
「あんた、旅の剣士か何かだろう? それも、相応に腕に自信のある」
「私はただの人夫だ。見て分からんか?」
私は笑った。男の目が既に笑ってはいないことに、ひとつの予感を抱きながら。
「違うな。ただの人夫がイルニアくんだりから一人で流れてこれるほど、俺たちはおめでたい世界に生きちゃいない」
「それこそ違うだろう。お前は私に出会う前から、私の声を聞いたとでも言うのか?」
遠くで男たちの憂いのない声が聞こえる。
それは、午後の仕事に障りがあると分かっていても、酒を手放すことのできない男たちが奏でる尻すぼみの前奏曲だった。あるいは今の私にとっては、胸の内に兆した不安を慰めうる確かな生活の音でもあっただろう。
私はもう笑ってはいなかった。そしてやはりというべきか、男は私の予感を静かに悪寒へと変えた。
あの不揃いな遠音を割くようにして私の手首をまっすぐに指差しながら。
「なら訊くが、その腕輪、一体いくらで買ったんだ?」
とくん、と体のどこかで脈の打つ音が聞こえた。これは、私を滞らせる者の声だと、私は思った。




