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フラン・ロイスダールの逃走  作者: みかげ石
第二章 逆戻しの旅路
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19 カーズ・ヴィードⅠ

 ロップウィルの神との経緯を語るためには、私はまず自らの幼少期について触れておかなければならなかった。

 あるいは、神との出会いを呼び寄せるまでに至った自らの力能というものに。


 私が些少の空間魔術を扱うことは、男がすでに身を以って知るところではあるだろうが、そうした実際的な用途とは別に、私はあくまで個人的な動機から、空間魔術に長く親しんできたのだった。

 幼い頃の私は、それを「空虚なマス(カーズ・ヴィード)」と呼び、気がつけばいつも部屋の片隅に忍ばせるようになっていた。ベッドや書棚を動かせばひっそりと姿を現わすといった、私だけが知る隠し扉のような形でだ。


「私は小さな頃からあまり自室を離れることができなくてな、まぁ、家の事情というものだ。それで、読書や一人遊びに飽きた時などは、そこに姿を(くら)ましていたということだ」


 茂みを過ぎ、ところどころぬかるんだ雑木林を抜けてしまうと、やがて小高い木々が互いの袖を()らしあう程度に林立した山道へと景色は変わっていった。

 植生の移ろいを思わせる涼やかな気配が次第に辺りを包み始めると、私たちは安堵したように互いに歩を緩め、いつしかほとんど肩を並べて歩くようになっていた。


「初めはただの、何もない暗がりに過ぎなかった。そう広くもなかったはずだし、決して快適な空間とは言えなかったが、あの頃から私は、この空間がいつまでも闇のままであるはずがないと、肌で分かっていたように思う。少なくとも、そう楽観できるくらいの不思議な安らぎがあった。まぁ、自分のために用意した空間なのだからそれはそうかもしれないが、かつての私には、自分がどこか別の場所にいるということが大きな慰めだったんだろう」


「お前を気にかける人間は近くにいなかったのか?」


「いるにはいた。住み込みの家政婦がね。養父は国の学府で要職を務めて以来留守が多かったものだから、日常の世話はほとんど彼女に頼んでいた。イザベラと言って、器量はそれほどながら、情の細やかな女でな、私がわがままを言えばいつでもそばにいてくれはしたが、あくまでそれも彼女の仕事だったんだろう。思えばあの女が何かを口にしたり、眠る姿を見せることはほとんどなかった」


「お前……」

「別に、そういう話ではない。この服ひとつにしても、養父が外商を呼んで家政婦とあれこれ試着させた末に私に買い与えたものなんだ」

「メイドに外商って、まんまお嬢様だな」

「言っただろう? ただの家の事情さ」


 パフスリーブのサマーブラウスと無地のフレアスカートというこのシンプルな組み合わせは、着せ替えに飽きたかつての私がふてくされたように選んだものだ。

 結局は懇願され、純白のハットと胸元に大それた紺青のリボンを取り合わせることであのときは落着したのだが、私はその胸元を摘み上げ、私を案じようとした男に笑いかけていた。


 森の空気を受けて心なししっとりとしたその手触りは、枝垂(しだ)れたように咲く雨上がりの花弁を思わせるものがあり、私は不意にあのふたりが私に見出そうとした喜びを垣間見たような心地がした。彼らが私に望んでいたのは、たったこれだけの仕草だったのではなかろうか、と。


 未練がましく佇むふたりの姿を今になって思い起こしながら、私は神がもっと手近なところに棲んでいればと溢したい気分になった。


「まぁ、そういうことならいいが、俺はてっきりお前の趣味なのかと」

「笑わせるな。こんな服ばかり着せられて町を出歩けば、『私は何も知らない生娘だ』と触れ回っているようなものだろう。ただまぁ、この恰好はこれで女受けがいいんでな」

「そういう魂胆だったのか。それで?」

「あぁ、私はカーズ・ヴィードを自分だけの世界にしようと考えた。手始めにやったのは、私の部屋にあるものをすべてそこに持ち込むことだった。といっても、そっくり持ち出したのではすぐに家の者にバレてしまうからな、あくまでひとつずつだ」

「あのさ、そもそもお前たちは、どうやって物を生み出すんだ?」

「また難しい質問だな」


 私は面倒になりかけたが、この男の物を尋ねる顔つきには、まるで予断というものがない。それが男の浅はかさにばかり由来するのではないと知った今の私には、男が腑に落ちるまではその手を引いてやるしかないのだろう。

 私は無聊ぶりょうに任せて振り回していた御簾草(みすくさ)を手放し、開いた手を見せながら噛んで含めるように男に聞かせた。


「私の感覚では、『生み出す』というよりは単に『思い描く』と言った方がしっくりくるんだ。あるいは、『夢にまで見る』とでもいうのか、な。私が最初に持ち込んだのはティーセットだった。いつか満足の行く出来になれば、イザベラに何もかも打ち明けて一緒にお茶をしようと、そんないじらしいことを考えていてね。あの曲線に富んだ滑らかなフォルムを私は何度でも眺め、手や頬で触れ、時には抱いて眠ったりもしたんだが、そんなことを数日のあいだ繰り返してふと眠りから覚めると、本当にティーセットがふたつになっていたんだ。あれを見た時は嬉しさよりもまず笑ったよ。目を離せば、テーブルから転げ落ちてしまいそうなくらい出来の悪いものだったからな」


「それって、ちゃんと飲めるのか?」


「夢を壊すようで悪いが、そこまではな。まぁ、せいぜい飲んだ気になるくらいのものだろう。要は錯覚だと思ってくれたらいい。我々の創るものはいずれも色や形だけでなく、匂いや温度まで持つことができる。ぶつかれば音もするし、その分痛い思いだってするだろう。だが、あくまで『思いがする』というだけで、それが実在するという訳ではないんだ」


「他人の夢の中に入り込むような感じ、でいいのか?」

「そうだな。まぁ、お前にしては悪くない理解だ」


 私には頭をなでてやることはできないので、代わりに私の大切な帽子を男に預けてやることにした。

 男はうやうやしくそれを受け取ると、しばらくめつすがめつといったていで私の話を思い返すようにしてから、やがて自分の頭へと載せた。


 満更でもないというその表情は、先ほど私が満足げに(うなず)いたからなのか、それとも主から新たな命を拝したからなのかは知れないが、ひとつ気を許せば飽きの来ない人の顔つきというのは、単調な旅路には程よい気慰みだった。あるいはこれもまた、犬を得たひとつの喜びということなのかもしれないが。


「そうやって私は私室にあった事物と一つひとつ親密な関係を結ぼうとした。訳もなく応えてくれた物もあれば、頑として応じなかった物もありはしたが、一夏を過ぎるまでには私は大方の私物をカーズ・ヴィードに再現し終えていた。もっともその頃になると、家政婦にはすっかりバレていたのだが、幸い彼女は最後まで黙っていてくれてな、おかげで私は自室の中に私だけの隠れ家を持つに至った訳だ」


「それだけ聞いていると、何だか微笑ましい話だな」


 特に()れる様子もなく、男はただ私の話に聞き入っているようだった。頭の出来が違うためか、かかりの浅い私の帽子が男の歩に合わせてふかふかと揺れている。


 もともとが話の運びを知らない男で、そして今は私を知ったこの男のことだ。私が何をどう話したところで、最後まで付き合う気でいるのだろう。私は諦めたように男の()げている水筒を小突き、水をねだった。


「ん? レモンティーか。気が利くな」

「そうだろう、そうだろう」 


 期せずして上げた私の驚きに、男はすこぶる気をよくしたようだ。この分だと、当面男の機嫌をうかがう必要もあるまい。

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