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フラン・ロイスダールの逃走  作者: みかげ石
第二章 逆戻しの旅路
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18 神域への旅

 小高く隆起した町の西側に向かって不規則に張り出した茂み一帯のことを、町の人々は単に「アンテパエヌルティマ(二歩手前)」と呼び、古くからここを拓くことはおろか、無闇に立ち入ることさえ忌避してきたのだという。


 その証は今や私の背丈よりも長じた雑草の群落に見て取ることができるのだが、私を呆れさせたのは、これという芸もなくただ縦にひしめき合うありふれた雑草たちの一群に、覆いかぶさるようにして自生する蔓性まんせい植物たちの放埓ほうらつぶりだった。


 この地に自在に張りめぐらされたその姿は、自らの出自を忘れてもがくようでもあり、決して満たされることのない存在の渇きに己を持て余しているようにも見えた。

 そう思うのは、この茂みの遥か先にそのような存在があったことを私が知っているからなのかもしれないが。

 

 崖に沿って迫り出した、私の顔ほどもある葉をいくらか()き分けると、遠くに新設されたばかりの石畳の舗装路を望むことができる。

 つい一昨日まで男と私が人夫として従事していたあの土木工事のことだ。

 あちらは既に着工に際して茂みを払っており、あと数日もすればこの崖の下に程近い広く緩やかな傾斜地にまで工事は進捗することだろう。

 

 私はそこでぼんやりとニキのことを考えていた。厳密には、彼女の生活のことを。

 

 現在のところ、この一帯は神と人とを隔てる「二歩手前」、つまりは緩衝地帯として存在しているが、神の不在が軍において明らかとなれば、この地の担う役割はまるで異なるものになるだろう。

 個人やそれに類する主体なら、男とも話したように手付かずの神域に対する調査発掘程度の話で収まるだろうが、国が主体となれば、その欲するものは根本から変わるはずだった。

 つまりは、神域を挟んで相対する二つの国が、その帰属を巡って互いに争うことになる、ということだ。

 

 考えたくはないが、そうなればこの町はもう、今あるフロックスの町ではなくなるだろう。そしてニキもまた、もうあの橋のたもとに立つことはなくなるのかもしれない。

 

 朝の光をたたえ始めたあの石畳を望みながら、私はそんなことを考えていた。

 自分にどうこうできる類の話でないことは分かっていたが、それでもこの話が、私と神が行き会ったことに起因するものであることを――もっと言えば、それがひとえに私の手によるものであることを――、私はもう一度自らに言い聞かせておきたかったのだろう。


「お嬢様、申し上げにくいのですが、そろそろあちらに参りませんと」


 明け方の翠雨すいうを蓄えた葉に手をかけながら背を屈めた男が、困ったように笑っていた。  私は満足げに頷いてから、露払いの男に従って茂みを歩き出すことにした。慇懃な男の口調は、今朝落ち合った際に私が選んだ新たな少女趣味の装いを褒めそやすところから来ていたが、どうやらそれだけを含むものではなかったのだろう。


「お前はまるで、ピクニック気取りだな?」

「何とでも言え。お前に『恥をかかせない』ためなんだからな」

「私ではない。お前の、恥だ」

「はいはい、仰るとおりで」


 新聞紙に包まれた焼き上がりのバゲットを突き刺したリュックを派手に揺らすこの男の話によれば、道中の山菜や沢の水、運が良ければ川魚などで飢えは凌げるとのことだったが、「女を伴った男に恥をかかせる訳にはいかない」と私が口にしたことで、出立予定日であった昨日の午後は主に市場での食料調達に充てられることになった。


 その際の出費やら使い走りのことを、男は昨夜から根に持っているのだった。私としては、二日酔いに(もだ)える男に安息日を設けたことをまず感謝してもらいたいくらいだったが。


「うるさい。お前はその間何をしていた? 今日という日のために、お前は、何か、ひとつでも、貢献したっていうのか?」


 後ろを振り返るよりも、この道行きの安寧がそもそも誰によって得られているかに男は目を向けるべきなのだろうが、私は敢えて触れることはなかった。自らの振舞いについて人に感謝を説くようでは、この男とさもしさを囲むようなものだからだ。


「なぁ、フラン。俺が市中を汗だくで走り回っている間、お前がしていたのは何だ。服も着ずに迎え酒を楽しんでは、俺のベッドで眠っていただけだろう。どうだ、違うか?」

「いいや、違わない」

「なら、何か思うことはないのか? だらしないとか、はしたないとか、恥ずかしいとか」


 男の真意が見えない私は、つい少女のような仕草で首を傾げていた。

 どうも男は私に何かを教育したいらしいが、別段この男から学ぶものがあるとも思えない私はどうしてよいかも分からず、結局男の不満について現実的な線を当たるくらいしかなかった。それがまた、いけなかったのだろうが。


「金なら握らせただろう?」

「……お前はまず、物の言い方から勉強しないといけないな。いいか、フラン。よく聞け。あれは、俺の財布から出た金だ」

「あれは、私のポケットにあったものだ。つまりは私のポケットマ――」

「黙れ、俺がいいと言うまでその減らず口を閉じてろ」


 こうなれば手綱でも付けておけば良かったものの、やる方ない私は男に言われるまでもなく閉口するしかなかった。


 男はなおも、追加の部屋代なり――女の身体にさほど免疫のない男のために、わざわざ私が頼んでやったものだ――、昨日の酒代までをきっちりと乗せた今朝の宿払いにひどく目を回したことに加え、挙句私の仮宿の引き上げに伴う諸々の手間についてさえ、飽きもせずにくどくどと溢していた。これでよく、付いてくるだけでいいなどと言えたものだ。


「いいか。大体お前はだな……」


 私はその間、特に意に介するでもなく茂みを抜けていった。

 女の安楽を願わない男に大成など望むべくもないが、それでもポーターにガイド、おまけにケータリングまで買って出た得がたい男の意気をそうそう無闇に(くじ)くものではないという私なりの配慮がそうさせたのだった。



「それはそうと、どのくらいの旅程だ」

「ん? あぁ、そうだったな。闇雲に進めば一日もかからないだろうが、今回は軍のこともある。周囲に警戒して進むとなると、今夜はどこかに泊まりだろうな」


 肌にまとわりつく男の説法がやがて下火に差し掛かった頃合で水を向けると、男は存外からりとした声を返してきた。

 言いたいことを言って気が済んだのもあるだろうが、私が素直に黙っていたことも奏功したに違いない。大人の言いつけを守るというのは、面倒なときほど面倒がないということだ。


「まぁ、妥当な判断かもしれんな」

「だろ?」


 私も一度はこの山を下ったことにはなるのだが、私が辿ったのは今見えている山の向こう側、つまりは町の北東部に位置するちょうど私を雇った人夫出しの館に面したルートであったのに加え、そもそもニキと同じ手段で下山したことなども手伝って、今回の道行きはすべて男に任せるつもりでいた。

 私にできることと言えば、たとえ今のような生返事であっても、時折交わした会話の端々で男を(たの)みに思う女心を(のぞ)かせては、せいぜい機嫌を取るくらいのものだろう。


「それにしても、お前は神を殺した訳じゃないんだろ? 取り逃がしたのか」

「いきなりなんだ?」

「ほら、依頼人に話す手前さ」


 男には男で考えていることがあるのだろうが、相変わらず話の運びに頓着しない男だ。

 ただあの時と違うのは、私の警戒心を――あれはもう、ほとんど生理的な嫌悪と言っても良かったが――こうして解くに至った男の素朴さというものに、私が触れてしまっていたことだった。


「逃がしたことには違いないが、まぁ、その辺は成り行きだな」

「それだよ。その成り行きってやつを、聞かせちゃくれないか?」

「こう見えても私は口下手でな。おまけにロハ(タダ)というのも、どうもな」

「それくらい負けろよ。どれだけお前に注ぎ込んだと思ってんだ。それにな、フラン。金にセコいことばっか言ってると、いつまでも俺みたいに大きくなれないぞ」

「そうか? 図体ばかりでかい吝嗇(りんしょく)家なら、私は知っているがな」


 男はこの間、度々しかめ面を向かせては私に話しかけていたのだが、今の言葉でとうとうこちらにすっかり向き直ってしまった。ほかでもないが、私の頬を鷲掴みにするためだ。


「お前のどこがどう口下手なのか、その辺りも含めて察しの悪い俺に分かるように聞かせてくれないか? できればその吝嗇家ってのがどんな奴なのかも、この際俺は知りたいね」

「……まぁ、おまえがほこまでゆうのらら」


 頬をつかまれたままの私はまだいくらか渋ってはいたが、正直なところ私としても目に付いた草をむしっては男に投げつける手慰みにいい加減飽きてきた頃合でもあった。

 

 それに舌の根も乾かぬうちから男の機嫌を損ねる訳にもいかない私は、日陰に差し掛かったところで男の目を引いた「お嬢様」然とした帽子を取り、じんわり蒸れた髪を何度か揺すったそのあとで、もったいつけたように男に話を聞かせてやることにしたのだった。

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