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フラン・ロイスダールの逃走  作者: みかげ石
第二章 逆戻しの旅路
16/27

16 養父への手紙

 お父様へ


 フランは旅に出ます。もう、ここに戻ることはないでしょう。差し当たって必要なものはあなたの無味な旅行かばんにすべて詰め込みました。

(折角の機会ですから、これを読んだのなら、次はもう少し気の利いたものを選ばれてはいかがでしょう?)

 

 私室に置いてあるものはいずれも、これからの私には不要なものです。中には気に入ったものもありはするのですが――そう、あなたがお選びになった水鳥のぬいぐるみなどは、掛け値なく私の宝物でした。私の手垢や顔中の雫、あれはもう、私の欠片で形づくられているようなものです――、この家の匂いのするものを抱えて生きていこうとは考えてはいません。

 

 娘を失うことになった今のあなたにそれらの処分を任せるとなると、躊躇(ためら)う気持ちがないとは言いませんが、それでも、これまで何か別のもので私を満たそうとしてきたことに、何かしらお父様の方でも心当たりがおありなのでしたら、それはやはり家政婦ではなく、あなたにお願いすべきことと、フランは思っています。


 これまであなたの愛情なり、慈愛というものに触れてこなかった訳ではありません。

 血の繋がりのない私を娘として迎え、辛抱強く、そしてあなたなりの誠意でもって私を育もうとしたことについては、今この瞬間においても、私は感謝しています。

 

 ですが、私にはもう耐えられないのです。あなたにフランソワーズと呼ばれることが、その憐れみに満ちた眼差しを向けられることが、そうして私に何も望まないことをお望みになるあなたのことが、もう、耐えられないのです。

 

 あなたはそれを、私の思い違いだとお判じになることでしょう。それとも、このところの私たちに見られたほんの些細なすれ違いから生じたものだとお考えになるでしょうか?



 かつてあなたは言いました。期せずして私に与えられた力について――そう、望まずとも授かることになったこの不穏な力について――、私が自らの責任において力を扱えるそのときが来るまでの、「あとわずかな数年」を、この部屋から出ることなく過ごしてほしい、と。


 しかし、お父様。これまで私室で過ごした時間と、あなたの言う、そのあとわずかな時間こそが私の紛れのない半生であり、私の生の核をなすべき時間だったことを、あなたはまるで考慮しようとはなさいませんでした。たとえそれが、私自らを守るためだったとしても、です。


 もちろん、あなたの考えは今もよく理解しています。

 私の持つ、この容易に人を損ねてしまう際限のない力について、私自身が誰よりも怖れ、終生自戒の念を持って生きなければならないという言葉は、それこそパンを口にするよりも、あなたに聞かされてきたことだからです。


 ただ、この際お聞きしておきますが、あなたは何をもって、その責任なるものが私に芽生えたと判じるつもりだったのでしょうか? 私があと何年も大人しく、あるいは子どもらしく、あなたの言うことを聞いていたら? それとも私が成人したら?


 もう知る由もありませんが、あなたはおそらく幾年も跨いだ帝国との戦争が終結するまでは、決して私を自由にはさせなかったのでしょう。

 

 あなたはあの戦争について、誰よりも怖れていたように思います。武官としての協力を拒んだことだけではありません。

 私に戦況を知られることを最後まで嫌い、また何よりも私の存在が外部に知られることを怖れていた。そうではありませんか?

 

 だからこそ、裏庭からソフィアが私を迎えに来たあのとき、それがお父様との決別に繋がるものだという確かな予感が私にはありました。そうと分かっていて、私はあの女に手を貸したのです。

 

 彼女がどうやって私を見出したのかは今も知りませんが――なんせ身内にも手の内を明かさない勝手な女でしたから――、あなたの教え子であり、部下でもあったソフィアは、あの短い議論の中であなたと私との冷めた関係を、そして私自身の長らくの関心についても、すっかり見透かしていたのでしょう。


 あれからも「祖国のために必要だ」などという方便は、私には何ひとつ語りませんでしたし、そもそもあの女は私にとって目下必要なことしか語ることはありませんでした。

 すなわち、私の身体がどう動き、何をなしえ、そしてどう反応するのかということです。

 その仔細や是非はここでは措きますが、あの一年にも満たない軍での生活は、あなたが願い続けた平穏な蟄居(ちっきょ)よりも、遥かに刺激的で意味のあるものだったと考えています。

 

 酷な言い方ですが、私はあなたが願うものによってではなく、あなたが忌避したものによってこそ、私の力の在り方について初めて強く、意識することになったのです。

 

 ですから、叙勲を機に退役し、家に戻ると決めたのは、ご承知のようにお父様の考えが正しかったと思い直したからではありませんし、軍に留まることそれ自体に嫌気が差したからでもありません。

 それに関しては、最後にイルニアの王から得た言葉に触れておかねばならないでしょう。


 

 先の戦いでソフィアと私たちがかの王に膝をつかせたことはご存知でしょうが、敗れた彼は同じ人ならぬ力を持ち合わせた身として、私にある借財を負わせて去りました。

 あの男は言ったのです。娘よ、そなたは何を怖れているのかと。神にも伍する力を持ちながら、我が身を立てる術すら知らぬ、憐れな娘よと。

 

 ソフィアが――あの人を食ったようなソーニャがです――、怒りに任せて王の頬を打ったとき、私はその言葉の正しさを、いえ、その言葉の持つ痛みを知ることになりました。

 あなたが何に替えても私に負わせたくなかったはずのものをソフィアが与え、そして同じくソフィアが何よりも怖れたものを、かの王はいみじくも私に投げかけたのです。

 

 私は、私こそが敗者のように、その場を動くことができませんでした。

 私は自ら負うべきものを自ら知ることもなく、剣を交えただけの隣国の王によって初めてそれを思い知らされたのです。それも私に敗れ、講和を打診するにえとして自ら腕を断った王によって。あの言葉はその折の、行きがけの駄賃とでもいうようなものでした。

 

 私はきっと、あの戦いにおいて、この上もなく敗れたのでしょう。

 敗れた王も、我を忘れたソフィアも、そして私を閉じ込めてきたあなたのことも、もう誰も笑うことができないほどに、私は自らのことを人に預け過ぎてきたのだと思います。

 そしてこれが、あなたを去り、自らの意思で戦地へと赴いた私の得た、偽らざる本懐なのです。


 どうしてこれまでのことを、一度でいいから私に聞かせてくれなかったのかと、お父様の声が聞こえてくるようです。

 私はそうするべきだったのかもしれません。あなたとのすれ違いを正し、家族として心からの和解を望むのなら、事実そうすべきだったのでしょう。

 

 それでも、私はこの問題をもう、誰にも明け渡すつもりはないのです。だからこそ、お父様との最後の時間に私はこのことを伝えるつもりでいました。わずかな時間ながら、再び家に戻ったのはこうした事情からです。

 

 私の持つ力が、本来私に由来しないことを知るお父様であるからこそ、私はここまで正直に私が家を去る理由を記したつもりです。

 この文面にあなたへの恨みつらみが見受けられないなどと申し上げるつもりはありませんが、それでも、ただそれだけの思いでこうして今、あなたに臨んでいる訳ではないということだけは、この際お伝えしておこうと思います。

 

 お父様の願いどおりに生きることができたなら、これからの人生を私はどれだけ幸せに生きられたことでしょう。

 

 私があなたにぶつけようとしてきた私の人生にもたらした遅延など、これから私が抱えていくものに比べれば、どれほど愛らしく、また些細なものだったことでしょう。

 

 ですが、お父様。それこそが、私にとってはようやく開かれた人生であり、あなたの美しい箱庭で時を忘れて過ごすよりも、ずっと真に迫る生き方だとフランは思うのです。


 そして私たちは、このたった数枚分の言葉を交わせないまでに日々の生活の中で行き違ってしまったのでしょう。

 互いを形ばかり思いやるがあまりそうなってしまったことについては、些か悔いがないでもありませんが。


 

 大切なお父様。どうか健やかに。

 そして娘がいたことなど忘れ、あなたに色目を使う若い女生徒がいるうちに――たとえ戦火の中であろうとこの手の話題には目がないソーニャが、近頃のあなたのことで随分と騒ぎ立てておりましたので――、どなたか見繕い、潤いのある余生を過ごされるのがよろしいかとフランは存じます。といっても、今の私にはもう、何を申し上げる資格もありませんが。

 

 お父様にこれほど饒舌になったのはいつ以来のことでしょう。やり直せないから話せることもあるのですね。つらつらと詮なきことを書きましたが、分かってほしいからでも、ゆるしてほしいからでもありません。

 フランはただ、あなたと口を利かない間にこういうことを考えてきたというだけです。

 

 今の私の気分を支えているのは、あなたがいつも悩める教え子たちの背中を押してきた言葉です。「なりたい者にならなければ、人は一体、何になるのか」と。

 

 最後にもう一度、あなたに甘えてもよいのなら、あなたはどうして、たったそれだけの言葉を、私に投げかけてはくれなかったのでしょう。


 あなたの娘 フランソワーズ

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