14 ぶどう酒と罪過Ⅱ
「それで、私たちは何を話していた?」
「……知るか。こっちが聞きたいくらいだ」
すでに酔い始めていたということもあるが、それ以上に私たちはもう疲れていたのだろう。
ちりちりと熱の名残のする乾いた頬を淡く染めながら、それからも私たちは互いに聞くべきことを手繰るというよりは、むしろ進んで手放すかのようにとりとめのない話を重ねていった。
「私に用があったのなら、なぜ初めから声をかけなかった。同じ店にいたんだろう?」
「あの入れ込みようを見せられたら、さすがに声はかけられないさ。俺にだってそのくらいの配慮はある。だから店を出て、次に落ち着くところでお前に近づくつもりだったんだ。それまでは、これでも一応お前のことを見守ってやってたんだぜ。まぁ、結果はあのザマだけどな」
「見守るだと?」
「そうさ。お前みたいな年頃の娘がいつまでも夜の町を出歩いてたら、危ないだろう? それに、お前には非行の心配だってある。まぁ、今夜見たことは特別に忘れておいてやるが」
「可笑しなことを言う。神とやり合ったはずの私が何を恐れるというのだ」
そうじゃないさ、と男は優しく首を振った。もう私は認めているが、この男は私が男に見た以上のものを私から見て取っていた。
男の大きな指が繊細に開かれるさまを眺めながら――その手つきは、男の人となりを私に強く意識させるものだった――、私は身を委ねるようにして男の言を待った。
「どういう訳かは知らないが、お前はその神とやり合うだけの力を使わずに生きていくつもりなんだろう?」
「なんだと?」
「じゃなきゃ、人夫なんて割の合わない仕事はしないさ」
「あれは、ただの目くらましだ」
「へぇ、そうかい。なら、暑さでふらふらになってたのも、目くらましってやつなのか? 俺にはあんたが目を回してたように見えたんだが」
「……酒を、貰ってくる」
私は面白い顔こそしなかっただろうが、それでも不思議と悪い気はしていなかった。
それどころか、私の呼吸に合わせて波を打ち始めた階段も、傾きかけた天井も、呆れたように笑う店主も、額を打ちつけた扉のどこか遠い感触までもが、私が最後になってあるべき夜を迎えたことを、揃って告げているようにさえ感じていたのだった。
「おいおい、大丈夫か?」
笑って出迎えた男に手をかざしてから、私は大きく欠伸をした。
男は酒を受け取ると、私の頭を何度かなで回していたが、私は好きにさせていた。
男からすれば、思わずそうしたくなる高さに頭があるというだけのことだろうが、そんな男を殺そうとしていたのかと思うと、私としてはまだ気詰まりなものがあった。
「何だかお前さ、猫みたいだよな」
「私には、お前が犬に見えるがな」
「そうかい」
なるほど私たちは、主が戻るまでは同じ部屋で無聊を慰めるしかないと悟った犬と猫のようなものだった。互いを求めるでも、疎むでもなく、ただ同じぶどう酒を何度でも分け合うだけの。
男が私を求め、私が男を疎んだ経緯も、あるいは互いに神を求める理由も、すべてが溶け込んでいくような気分だけが、今の私たちの間にはあった。
そしてそれだけが、私たちが飽きもせずにひとつ、またひとつと酒瓶を床へと転がし続けることで得た何よりの代償でもあったのだろう。
再々階下を賑わせる私たちに音を上げた店主からは、やがて箱詰めの酒が宛がわれ、翌日飲んだ分だけ貰い受けると、要は厄介払いされる羽目になったのではあるが、それでも私にはどうしても今夜のうちに男に聞いておきたいことがあった。むしろ、そうまでしなければ尋ねられなかったことなのかもしれないが。
「どうして、私を責めようとしない」
「そんなこと、わざわざ蒸し返すなよ?」
この頃になると、私の視界も随分振れてはいたが、男はそれ以上に酔っていたはずだった。
仕草や表情は互いに抑制を欠き、酔っ払いが好んで歩きたがる、些細な風向きでたやすく機嫌を翻してしまう、あの危うい峰の上で片足立ちをしているような、どこか不穏な表情を浮かべていた。
だが、それは私の思い過ごしだったのかもしれない。男の目はすぐに柔らかさを取り戻していたからだ。
「まぁ、簡単な話だ。お前が、俺よりも苦しんでいたからさ」
「私が?」
「あぁ、そうさ。『こんなこと、したくないよ』って、子どもみたいに顔に書いてあったぜ。この際言わせてもらえばだが、今のお前の顔にもまだその痕が残ってる。お前は必死になって顔を拭いたつもりなのかもしれないがな。いいか、フラン。俺はちゃんとこうして生きていて、お前はちゃんと自分から謝ったんだ。もう、それでいいだろう? お前はどうせ、俺を殺さなかったさ。神とやり合うだけの人間がどうしてこんなセコいナイフに頼る必要がある。それに、人ひとり蹴り殺せない人間が神と戦える道理だってない。お前は初めから、ちゃんと加減してくれたのさ。俺にはお前の事情はよく分からないし、お前にだってよく分からないのかもしれないけどな、俺たちの間にはこれ以上、何も必要ないんだよ。俺は最後になってこの夜を楽しんでいるし、お前も嫌なことはさっさと忘れて俺と楽しんでくれたら、それでいいんだ。じゃなきゃ、人の金でこれだけ飲んでいい訳がない。そうだろう? さぁ、フラン、これは俺たちの快気祝いみたいなもんだ。だから残りの酒だって、これまでみたいに気持ちよくやっつけちまうのが一番なのさ」
互いに雫が跳ねるほど勢いよく注がれたグラスを私に宛がい、空いた酒瓶をベッドへと放り投げたあとで、男は満足そうに注いだばかりのグラスを空けてしまった。明日など、とうとう来ることがないと信じているかのように。
私はそれを見ているだけで、少しの間動けなかった。単に男の優しさに触れたからではない。
私が嘲り、軽く見積もり続けてきたこれまでの時間を、この男はこんな風に過ごしてきたのかと思い知らされたからだ。




