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紫羅義  作者: 海道 睦月
81/125

その81

 一団は部屋が確認できるとこまで来ると立ち止まり、様子を伺い始めた。

「よいか、今宵は、ここより先に誰も入れてはならん」

 先頭に立ち、後ろの部下たちに命じたのは史瑛夏であり、その隣で頷いていたのは国王であった。そして史瑛夏の後ろには数人の重臣と、朱色の着物を着た史蘭が立っていた。

 史瑛夏と国王は従兄弟同士で幼馴染みでもあり、さらに悪ガキ同士だったのである。

 史瑛夏の陰謀話に国王はすぐに乗った。皇帝の兄と、大国の大将軍の娘、しかもその将軍は司鬼一族の乱で志芭の国を救った大殊勲者なのだ、これは誰がみても良縁であり、史瑛夏にしてみれば荒馬娘が片付き、国王にしてみれば朝廷と深い繋がりができる。こんな絶好の機会はまたとないのだ。二人は全身全霊を傾けて陰謀を遂行させようとしていた。

 史瑛夏は後ろにいる娘を呼んだ。

「よいか、しくじるでないぞ、敵は手強いが、今は酔って油断している。わしとこの国の未来はお前にかかっている、この一戦に全てがかかっているのだ、行け。行って、手柄を立てるのだ」

 史瑛夏はまるで万の軍勢と戦えとでもいうように命じ、国王もこの一戦に全てを賭けよと叱咤激励した。

 史瑛夏も国王も頭が切れ、聡明で、いかなるときであっても沈着冷静な人物であり、史蘭は二人を尊敬していた。そして、今までこんな二人は見たことがなかったのである。二人ばかりではなく母までもがその陰謀を支援し、床への入り方まで教えに来た。

 史蘭を救おうとする者は誰もいない。

 さすがに史蘭も覚悟を決めたが、実は彼女も紫羅義への思いはそこそこなものを持っていたのである。

「ひけ!」

 陰謀集団は史蘭への命令を伝えると足早にその場を離れ、闇の中へ消えていった。

「……はぁぁ~」

 陰謀集団の去ってゆく後姿を見ながら史蘭は大きくため息をつき、紫羅義の寝る部屋へ向かっていった。

「隆斗様、起きておいででしょうか?」

「起きている、入られよ」

 紫羅義は彼女を部屋に招き入れた。

 史蘭が襖を開けると紫羅義は窓の前に立ち、月を眺めていた。

「何やら廊下に大勢の気配があったが策はまとまったのかな?」

 紫羅義は振り向きながら史蘭に尋ねた。

「はい、この一戦に全てを賭けよと厳命されました」

 真顔で話す史蘭の言葉に紫羅義は声を出して笑った。

 闇に消えた陰謀集団は、どうにもこうにも落ち着かなかったのであろう、その姿を再び闇の中から登場させ、廊下の向こうで様子を伺っていた。

 史瑛夏と国王は笑い声を聞いて顔を見合わせた。

「どうやら上手くいっているようだ、敵将が策に嵌まるのは時間の問題であろう」

 隆斗の笑い声を聞いた陰謀集団は、意気揚々と引き上げていった。

 紫羅義と史蘭は並んで月を見上げていた。

「すまん、俺が来たばかりにあなたに辛い思いをさせてしまった、許してくれ」

 紫羅義は月を見上げながら史蘭に詫びた。

「いえ、こちらこそご迷惑をおかけして。私のような男まさりの女はお嫌でしょうね」

 史蘭も月を見上げたまま紫羅義に尋ねた。

「いや、そんなことはない、男まさりだからといって優しい心を持っていないわけではない、あなたのように芯のしっかりした人間は好きですよ」

 その言葉に史蘭は思わず紫羅義の顔を見上げた。

「酔っているのですか?」

 史蘭は紫羅義の顔を覗き込んだ。

「酔っていないと言えば嘘になるが、あの程度の酒で自分を見失うほど酔いはしない、朱浬にいた時は神澪や羽玖蓮と一緒にもっと飲んでいた。彼らもそれほど酔ってはいないだろう」

 月を見上げていた紫羅義は史蘭の方を向いた。

「今宵、史蘭殿と一夜の契りを交わすことを、お父上も国王も望んでおられるのだろう。だが、今はできぬ」

 紫羅義は再び月を見上げた。

「今は……?」

 史蘭は隆斗の横顔を見つめた。

「我らは父が育ち、祖母が眠る桂の国の青弧という地に向かっている。そこには恐ろしい力を持った者がいる、我らはその者と戦い、倒さねばならぬ。だが、勝てるかどうかはわからぬのだ。生きて帰れないかもしれぬ、いや、生きて戻るのは無理かも。朱浬を出たときには倒せると思っていた。だが、西に進むにつれ、その気持ちに雲がかかっていくような気がしている。相手が目覚めたのかもしれん。一夜を共にするからには、あなたの将来に責任をもたなければならん。しかし、生きて帰れるかどうか。今は責任をもてるとは言えんのだ」

 紫羅義は下を向いた。

 史蘭にはわからなかった。敵がいるなら皇帝の兄として軍を率いて討伐に向かえばよい、青弧の地の太守に討伐を命じればよい、それなのになぜ三人でそこに向かうのか。それを聞くと紫羅義の表情は険しくなった。

「おそらく天命なのであろう、己の力で共に戦うものを見つけ出し敵を倒せと。詳しくは説明できぬが、いや、説明したところで誰も信じはしないだろうが、正体不明の者を相手に軍は動かせない。我らがやるしかないのだ」

 紫羅義は強い決意を言葉にして、険しい表情のまま、また空を見上げた。

「あなたの言葉に嘘がないことは、私にもわかります」

 史蘭は目を見開き、瞳に月を映しながら紫羅義を見上げた。

「いつかまた会おう。そうだ、後押しした者たちに戦果を報告しなければならぬのだろう、顔を潰すわけにはいかない、策は上手くいったと伝えればよい」

 紫羅義は史蘭の顔を見て微笑んだ。

「よいのですか?」

 史蘭は顔を赤らめて紫羅義を見上げた。

「ああ、かまわん、明日は早くここを出る、お別れは今ここでしておこう」

そう言いながらも、紫羅義と史蘭は夜明け前まで色々なことを語り合った。

 夜明けに西門の前に行くと、神澪と羽玖蓮はすでに来ていた。

「夕べは何か良いことがあったのでは?」

 羽玖蓮はニヤニヤと笑いながら紫羅義に尋ねた。

「何もない。行くぞ」

 三人が門の前に行くと、門の責任者は彼らを遮った。

「誰であろうと、勝手に門を開けるなと厳命されております」

「私は天下を治める皇帝の兄だ、私の命は皇帝の命でもある。すぐに開門せよ」

「門を開け!」

 紫羅義の言葉に責任者は慌て、開門を部下に命じた。

 門は開かれ、三人は西に向かって馬を走らせた。日も高くなった時、陰謀を画策した一団が廊下の隅にその姿を現した。史瑛夏や国王ばかりでなく、宰相や多くの重臣たちも連なり、この陰謀が唯の国の総意であることを物語っていた。

「史瑛夏よ、様子を見てまいれ」

 国王は隣にいる史瑛夏に向かって、首を振って、行け、行けと促した。

「わたしが……ですか?」

「我らが行けば、国をあげての陰謀だと露見してしまうではないか、お主なら父が様子を見に来たで済むのだ、さあ、覚悟を決めて行け」

 目を見開き、何で俺が、と言わんばかりの史瑛夏に向かって、国王はさらに何度も行け、行けと首を振った。史瑛夏が後ろを向くと、重臣たちは皆、無言で首を縦に振っていた。

 史瑛夏は仕方なく一人で廊下を進んだ。

「失礼致します、史瑛夏でございます、隆斗様、お目覚めでしょうか?」

「どうぞ」

 襖越しに声を掛けると中から史蘭の声がした。

 史瑛夏が襖を開けると、史蘭が一人で、部屋の中央に座っていた。

「隆斗様はどうした?」

 史瑛夏は部屋を見回した。

「あそこから夜明けとともに出ていかれました」

 史蘭は窓を指さした。

「ぬぬ、さすがは隆徹様の血を受け継いだお方だ。酔って寝ていると思えば……やはり一筋縄ではいかんか!」

 史瑛夏は窓を見ながら吠えたてた。

 その時、ドタドタと国王たちが部屋に走り込んできた。

「世話係の者が、朝になったら我らに渡すようにと、隆斗様から手紙を預かっておった。急ぐ旅ゆえ、挨拶せずに出立致します、いつか改めてお礼に参上致します、と書いてある、これはお主宛ての手紙だ、読んでみよ」

 国王は史瑛夏に手紙を渡した。

 手紙を受け取った史瑛夏の回りを皆が取り巻いた。

「同じことが書いてあります」

 彼が顔を上げると、皆は顔を見合せ、そして、一斉に史蘭の顔を見た。

「史蘭よ、して、戦果は?」

 国王が史蘭に尋ねると、陰謀軍団は史蘭の前に立ち、彼女を見下ろした。

 どの顔も表情は険しく、燃えるような目をしていた。

「策は成功し、既成事実ができました」

 史蘭は陰謀軍団の顔を見上げながら言った。

「おお~でかした! さすが大将軍の娘、早く立派な男児を生むのじゃ」

 国王の言葉に史瑛夏も重臣たちも歓喜の声を上げ、手を取り合って喜び騒いだ。

「我が国の将来は大丈夫であろうか」

 史蘭は集団を見上げながら呟いた。

 ひとしきり騒ぐと国王は急に険しい顔になった。

「いや、いやいやいや、既成事実だけでは安心できん、隆斗様はまだ若い。女は世に星の数ほどいる、他でも既成事実を作ってしまうかもしれん。この機を逃してはならん!」

 国王の言葉に一同は頷いた。

「史蘭よ、すぐに追うのだ、今ならまだ追い着く。すぐに出立の準備をせよ。準備している間にわしは隆斗様宛ての手紙を書く」

 史瑛夏はドタドタと走って行った。

 そんな史瑛夏の後姿を見ながら国王は史蘭に厳命を下した。

「すぐに追え、追って敵将を虜にするのだ!」

 国王は支離滅裂なことを口走しった。

 国王も重臣たちもこれから戦でも始まるが如き興奮状態であった。

 国王と父の命令なら従うしかない、史蘭は急いで準備を済ませ、母に挨拶に行った。

「国王も父上も、言っていることがむちゃくちゃです。私は昨日初めて隆斗様に会ったばかりなのに」

 史蘭は母の前で大きなため息をついた。

「ほほほ、みんなお前のことを心配し、期待しているのですよ、隆斗様なら申し分のないお方、男女の仲に時間の長さは関係ありません、私とお殿様の時もそうでした」

 母は頬を赤らめ天井を見上げた。

「母上、今は、母上と父上のなれそめを聞いている時間はありません、すぐに出立せよとの国王の厳命なのです」

 史蘭は母を回想の世界から引き戻した。

「おお、そうでした。あちらの世界に飛んでいる場合ではなかった。我が娘よ、行きなさい、行って必ず敵将を討ち果たすのです」

 母はいきなり背筋を伸ばし、毅然とした態度で史蘭に命じた。

「はい!」

 史蘭は挨拶を済ませ廊下に出た。

「隆斗様を討ち果たしてどうする、だいたい気をつけて行くのですよとか、早く帰ってくるのですよとか言うのが普通だろう」

 史蘭はブツブツ言いながら廊下を足早に歩いていった。

 史蘭は皆に見送られ、単騎で西に駆け出し、夕刻には、紫羅義たちの一行に追い着いた。

「やはり来たか」

 紫羅義は史蘭が追いかけてくることを予想しており、道を迂回することもできたが、もし史蘭が追いかけてくるのならそれも天意であろうと思い、真っ直ぐに進んでいた。


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