第四話 黒い剣-4
「ふざけるな! 私が望んだ事だと!」
ギリクの言葉に、彼女は叫ぶ。
「貴女が望んだ事でしょう? 貴女は呪われてでも自分は生き残ろうとしたのですから。良かったじゃないですか。貴女はそうやって生きていくんでしょう。呪いを振りまき、他者を食い物にして、自分だけが生き残っていく。それこそが貴女の望んだ生き方なんでしょう?」
「違う! 私は……」
「否定出来るんですか? この状況を」
ギリクがわずかに首を動かすと、モーリスやウェンディーの様に黒く染まった人影がゾロゾロと現れ、立ち尽くしていた。
その奥に、メルディスの姿が見えた。
メルディスは一瞬こちらを見るが、溜息をつくと彼女に背を向ける。
その後ろに二三一や十一、十二の獣人姉妹や他の亜人達も続く。
「貴女が招いた事でしょう?」
「違う! 私が望んだ事はこんなことじゃない!」
「望んでいなかったとしても、招いた事なのですよ。現実に目を向けたらどうですか? 貴女が収容所で死んでいれば、こんな事にはならなかったんですから」
ギリクの言葉は、容赦無く胸を抉る。
「望んだ結果が得られるとでも思っていたのでずか? 随分と夢と希望に満ちた、優しい御伽噺の中で生きているのですね。努力が報われるのではなく、報われてこその努力。わかってますか? 貴女のやっている事は無駄な努力なのですよ。そう言うのを徒労と言うのです。勉強になりましたね」
「言いたい事はそれだけか」
彼女はギリクを睨んで、声を絞り出す。
「ガタガタ説教たれてんじゃねえよ。貴様は所詮幻術。偉そうに喋ってるだけだ」
「そう思いたいのでしょう? 強い言葉を使って否定したいのでしょうが、実際に貴女はそう思っていても、現実かも知れないと言う僅かな可能性に怯えて動けないでいる。強がりを言えるだけでも、褒めておきましょうか?」
ギリクは淡々と言う。
だが、悔しいがギリクの言う通り彼女は僅かな可能性だけで動けなくなっていた。ほぼ間違いなく幻術だという事は分かっている。それでも彼女はこれまでにない恐怖と絶望に縛られ、身動きが取れないでいた。
黒い生き物に染まった者達だけの恐怖ではない。
彼女を本当に恐れさせているのは、その見た目のおぞましさより、投げかけられた言葉の方だった。
本当は、本当にそう思っていたのかも。
その恐怖が彼女を縛る。
何か一押し。誰かがほんの少し背中を押してくれるだけで、この幻術を破れる自信はある。だが、ギリクの声を聴き続けていると、外の吹雪にも負けない勢いで体温を奪われていく。
(何か、何かきっかけが欲しい。それさえあれば、この幻術を破れると思うのに)
一度幻術に囚われると、抵抗力にもよるが抜け出すのは困難である。
それでも幻術を破る事が出来るとすれば、それは外部の力による所も大きい。
「大したモンだよ、お前は」
黒い人影の中、赤く光る小さな何かが彼女に言う。
「余計な事を」
ギリクが赤い光を払おうとするが、光はスイスイとその手を逃れる。
「痛みや恐怖の中で正しく思考出来ているってことは、もう耐えられているって事だろ? それはもう脅威じゃねえんだよ。例えばよ、その黒い剣を運ぶだけなら魔力の鞭で絡めれば運べるよな? だが、触れずに剣を使う事はできない。その剣はその時に牙を剥く」
「黙れ!」
赤い光に対し、ギリクは鋭く言う。
(何? まったくらしくないんだけど)
ギリクらしくない行動は、彼女に強烈な違和感を抱かせる。
(違う何かが出てきたって事? つまりコイツはギリクじゃない!)
「その黒い剣は、理すらも捻じ曲げる武器だが、それでもソイツはただの武器だ。使い手が武器に使われるようじゃ話にならないだろ? ソイツは覚悟を試してるのさ。痛みや恐怖に屈する事なく、勝利を望むのか。どれほどの覚悟で勝利を掴みたいのか。こんな所で屈している奴に、理を捻じ曲げた勝利の重圧に耐えられないと言ってるんだよ」
赤い光はギリクの手から逃げ、黒い人影達の間を飛び回りながら彼女に言う。
「随分と甘い花畑の中で生きているのだな。現実を見る事だ。貴様が生きている限り、呪いを撒き散らす。その現実を受け止め、かなわぬ夢を諦める事も勇気。全ての努力が報われるなど、有り得ない。いかに立ち上がろうと、勝てないものは勝てない。必要なのは言い訳というのが、現実を生きる上でのルールである事を知っておく事だ」
「言いたい事はそれだけか」
彼女は幻覚であるギリクに、言葉を叩きつける。
「私も基本的には同じ考えよ。頑張れば夢が叶うとか、努力は必ず報われるとか、反吐が出るわ」
彼女は笑顔すら浮かべて、ギリクに向かって言う。
「ただ、出来れば本人に言いたいところだったけど、良い手だけど相手が悪かったわね」
彼女は黒い剣を持ち上げ、切っ先をギリクに向ける。
「これが呪いだとしたら、お礼を言わないとね。痛み? 敗北? そんなもので、今の私を止められはしないわ。彼が、イリーズが背負っているものは、戦っているものは、こんなモンじゃない!」
精一杯の強がりであったとしても叫ぶ様に言葉を叩きつけると、彼女は黒い剣でギリクを切り裂く。
その一振りでギリクの姿は消え、洞窟を埋め尽くしていた黒い人影も、耳元で呪いの言葉を言い続けていたウェンディーの幻覚も消えていた。
同じ様に、黒い剣の呪いの正体を彼女に教えた赤い光も消え、何もない洞窟の中に彼女の荒い呼吸音だけが響く。
(ったく冗談じゃない! 見た目には超地味な剣の分際で、私に牙を剥くなんて。イリーズを助けたら、また捨てに来てやる!)
彼女は、鞘も無い黒い剣を背負って体に縛り付ける。
洞窟から移動しようとした時、黒い剣が放置されていたところから魔力の放出を感じた。
「ほう、呪いに耐えうるモノが存在するとは思わなかった」
誰もいない洞窟で彼女の背後から女の声が聞こえ、彼女は驚いて振り返る。
そこには、目を疑うほどに美しい女が立っていた。
白銀の長い髪に、同色で僅かに銀の強い色合いのマント、その下には髪と同色の鎧を身に付けた、人間離れした美女である。
面識は無いが、彼女が何者か知っていた。
収容所の図書室の中で呼んだ歴史書の類に、数回同じ特徴を持った美女が現れている。ある時は戦いの調停のため、ある時は民衆をないがしろにする暴君の元へ現れる神の使い。
正式名称は伝えられていないが、『銀の風』とその美女は伝えられている。
「私から剣を奪いに来たの? それとも剣を盗みに来た盗人が苦しむ様を見て楽しんでたの?」
彼女はあえて『銀の風』を挑発する。
黒い剣に見せられた幻覚のせいで、気が立っていたせいもあるだろう。
「前任の監視者がいなくなったのでな。私は剣の監視者であり、呪いで潰れた者を処理するだけのものだ。呪いを克服したのなら、その剣は君の物だ。私がとやかく言う事では無い」
彼女の挑発に対し、『銀の風』は眉一つ動かさない。
「それじゃもらって行っても構わないのね?」
「イリーズと言うのは知り合いか?」
エテュセの質問に、『銀の風』は質問で返してくる。
「知ってるけど、それが何か?」
「現在の剣の所有者であり、私の前任者を引き抜いた者の名と聞いている。勝手に任務を放り出した前任者に、文句の一つも言ってやりたい」
人間味の欠片もない美貌の『銀の風』だが、感情がまったくこもっていない事を除けば、言っている事は意外と人間臭い。
「そう言う事なら、協力させてもらうわ。特に一人キツく言って欲しいヤツもいるし」
彼女はそう言うと『銀の風』に背を向け、洞窟を出ていこうとする。
「待て。外はかなり強く吹雪いているが、その吹雪の中を進むのか?」
「急いでるのよ!」
「では、なおの事だ。呪いを受けた直後にそれだけ動けるのは大したものだが、今すぐ吹雪の中を行くのは自殺行為だ。休息を取って、体力を回復させるべきだろう」
あまりに意外な提案だったので、彼女は驚いた。
だが、言われて意識したと同時に凄まじい疲労感と、背負った剣の呪いのせいか、体中に痛みの記憶が蘇りそうな疼きが走る。
気持ちは焦るが、今すでに呼吸の乱れた彼女が、外の吹雪の中を強行してイリーズの待つ城まで帰れるとは思えない。
(最低でも体温を維持出来る程度の魔力は回復させないと、イリーズの元まで戻れそうにない、か)
彼女は全力疾走で洞窟を出ようとしていたが、入口付近の焚き火跡のところで足を止め、そこで改めて焚き火を起こす。
(順調、よね?)
焚き火の近くで暖をとりながら、彼女は考えを整理する。
まずはこの剣を古城に持ち帰り、イリーズを助け出す事。剣を使った事など無い彼女の手にあっても、この黒い剣は本来の力は出せないが、そこはサラーマが何とかするだろう。この『銀の風』を巻き込んで、戦わせると言う事も出来る。
その後は冬の終わりまでイリーズと一緒の生活と言うのも悪くない。その間に西側の実力者に会って、冬の終わりに壁を越えてメルディス達を助けに行く。
そういう想像をするのは楽しかった。
(待て待て、私。今はそんな先の事を考えても意味が無い。今はイリーズを助ける事にのみ集中しよう。まずはそれからだ)
残しておいたパンを焚き火で温めながら、彼女は頭を振る。
楽しい未来ばかりを追いかけても、それは先の話であり、まずは今できる事を集中するべきだ。
何より、昨日と同じ日が今日、今日と同じ明日が来る保証が無い事は、他の誰より彼女がよく知っているはずだった。
そのはずだった。
(私は馬鹿だ! イリーズ達の好意に甘えすぎて、考える事を放棄してた。どうしてこんなにギリギリになるまで動かなかったんだ!)
彼女は焚き火を見ながら悔やむ。
だが、まだ間に合う。今ならまだ、その遅れを取り戻すことができる。たとえこの身に呪いを受ける事になっても、また右足を失い背中を切り裂かれる事になったとしても、今度は敗北感に潰される事は無い。
赤い光に助けられたとはいえ、彼女のその強い精神力があったからこそ、黒い剣の呪いの中にあっても赤い光の声が届いたのだ。それが無ければ、痛みの時点で脳が耐えられず発狂、あるいは死に至っていたはずだ。
(大丈夫! 運だって味方してくれている! これまで十分過ぎるくらい不運を溜めてきたんだから、きっと幸運だって同じくらい溜まってる。ここで全部使い切ったってかまわない)
「随分と気持ちが昂ぶっているようだが、仮眠などは取らなくても大丈夫なのか? あの呪いは生身で耐えれる様な生易しいモノではなかっただろう」
「三日くらい寝なくても大丈夫な体質なのよ」
洞窟の壁に寄りかかって立つ『銀の風』に、彼女は答える。
特異体質の塊である彼女は、本人が言う様に三日間一睡もしなくても大丈夫だし、食事も三日くらい取れなくてもどうにでもなる。
しかし今の疲弊の度合いで言えば、これまでに無いほど疲弊している。『銀の風』が言う通り、数時間仮眠を取って体力を回復させる必要がある。
彼女自身その必要性は分かっているのだが、気持ちが焦りとても睡眠をとれる精神状態ではない。
「ねえ、瞬間移動の魔術とか無いの?」
彼女はパンを囓りながら『銀の風』に尋ねるが、『銀の風』は首を振る。
「無い」
「無いの? だってここには転移してきたじゃない」
「あらかじめ座標を定めておく必要がある。最初に飛ぶべきところへ印を付けておかねば、転移など出来ない。響きほど便利では無いのだ」
「そうなんだ。案外使えないのね」
「魔術の利便性など、その程度のものなのだ」
彼女は皮肉のつもりで言ったのだが、『銀の風』は大真面目に答える。
しかし、期待していたのも事実だったが、そう上手くいかないのは分かっていた事でもあった。
「っしゃ、行きますか」
パンを食べ終えると、彼女は立ち上がって土を払う。
「もう良いのか? とても回復したとは思えないが」
「私、人一倍回復が早いのよ」
「無茶ではないか?」
外を見ながら『銀の風』が言う。
吹き荒ぶ吹雪は衰える事を知らず、この洞窟へやって来た時の吹雪と比べても強くなっていても、弱まっているとは思えない。
「この雪では前進する事もままならぬではないか?」
「その時には雪の中に置いていって。前任者のいる場所は教えるから」
彼女は『銀の風』に向かって言うと、洞窟を出て吹雪の中へ足を踏み出す。
すでに時間の感覚は無く、今が夜なのか、夜が明けて朝を迎えているのかも分からない。荒れ狂う吹雪は刃物の様に肌を裂いているかと思うほど冷たく、星明かりも陽の光も無い闇とそれでも白さを誇る雪は視界を閉ざす。
まして今は、背中に黒い剣を背負っている。
黒い剣は未だ彼女に屈した様子は無く、禍々しい気配は隙を見せようものなら今すぐにでも彼女に牙を剥くだろう。その重圧は、黒い剣の実際の重量を数倍に感じさせられる。
強烈な吹雪と、実際以上の重さを感じさせる黒い剣は、彼女の体力を容赦無く奪っていく。
が、それさえも今の彼女にとって、足を前に進ませる材料になっている。
衰えない吹雪は、城を出てからまださほど時間が経っていない証拠。実際以上の重みを感じる黒い剣は、その剣の力の証明。
無理矢理にでも自分にそう言い聞かせる事で、彼女は偽りであることを自覚しながらも達成感を感じているからこそ、足も進む。
「呪いを受けた直後であるにも関わらず、この吹雪をその早さで進めるとは大したものだな」
「そりゃどうも」
吹雪の中では保護色になりそうな『銀の風』だが、まるで吹雪の方が彼女を避けているかと思うほど、彼女は外気の影響を受けていない。腰に掛かるほどの長い銀髪も、強い風に乱される事も無い。
そんな化け物じみた存在から大したものだと言われても、彼女としてはそれ以外に答えられなかった。
「しかし、そのペースで進める程近いのか?」
「時間が無いの。どうしても急ぐ理由があるって事」
彼女は『銀の風』を振り返らずに言う。
全てが上手く行っていると言う自信はあった。幻術にどれくらい足止めされていたかはわからないが、後はゴールテープを切るだけのところまでは来ている。しかし、それまでは油断出来ない。
(黒い剣だって、カウンターを狙ってきたんだから)
彼女は気を引き締めながら、吹雪の中を進む。
(もう少し、もうすぐ戻るからねイリーズ。だから、頑張って!)
古城に戻ってきた時には、桁外れの体力を誇るはずの彼女も息を乱し、倒れそうになっていた。
だが、その甲斐あって、復路は通常では考えられない早さで戻る事ができた。
「城の住人か?」
「住人って言うか、城主かな」
肩で息をしながら、彼女はいつもイリーズ達が使っている使用人の部屋へ急ぐ。
黒い剣を杖にしようかとも思ったが、あの剣を握れば容赦無く牙を剥いてくるだろう。そうなっては杖が無い方がマシなので、本末転倒どころの話では無い。
「随分辛そうだが、大丈夫か?」
「何の問題も無いわよ」
ぜえぜえと息を切らす彼女は、よろめきながらイリーズ達の待っている部屋へ進む。
古城に着いた時に集中力が切れかけたため、体力の消耗が恐ろしく激しく、気を失いかけたが、それでも強靭な意志を持って立て直していた。
「ただいま! イリーズ!」
彼女はイリーズの眠っている部屋に、元気いっぱいに声を響かせる。そうする事によって、イリーズにも生きる意志を伝える事が出来ると思ったのだ。
「おう、早かったじゃねーか! 悪いが、休んでいる暇は無いぞ! こっからが本番だ」
「サラーマ、無茶言うんじゃないの!」
サラーマとウェンディーが明るい声で、彼女の帰りを迎えてくれる。
そう、思っていた。
きっとそうだと、信じていた。




