第四話 黒い剣-3
(何で私、こんな事になったんだろう)
彼女は吹雪の中を歩きながら、そんな事を考えていた。
彼女が城を出てまもなく吹雪が彼女を襲った。それは前触れもなく荒れ始め、今ではほとんど視界も無い。小柄な彼女では強風に逆らって前に進む事もままならず、風に吹き飛ばされない為に踏みとどまる事が精一杯でもあった。
城に戻ろうかと、本気で考えた。
元々寒さには強い方ではない。路地裏で生活していた頃は、寒さを凌ぐのは苦労していた。収容所を経由したとはいえ、去年の自分は、まさか自分から真冬の吹雪の中を行動する事になるとは思いもしなかっただろう。
自分ではドライな性格で、他人がどうなろうと世界でもっとも重要な人物は自分だ、と彼女は自己分析していた。それが数日前に出会っただけの、今にも死にそうな少年の為に、自分から命を縣けるとまで言い出した事に驚いてもいた。
寒いのが苦手なのは変わらない。手足はかじかみ、長距離を徒歩で移動しているだけで充分に疲れが溜まる。まして吹雪の中で遅々として進む事もままならない状態の中では、自分でも何をやっているのか疑問にも思う。
それでも足は進む。
イリーズのためだと思うと、後悔の念も湧いてこない。むしろ気持ちは焦り、自分の体力を省みることなく足が進む。強風でまともに前に進む事も出来ない状況であっても、それは彼女の足を止めることはなかった。
彼女は自分でも何故なのか、まったく理解出来なかった。
(私、どうしちゃったんだろう。本格的におかしくなったのかな?)
これほどの吹雪の中、外で活動した事など無いので、体力のある彼女であっても想像を遥かに超えた困難さだった。体温を維持する為の魔術を使い、吹き飛ばされそうな強風に耐えながら前に進む。
それが思いのほか、辛くない。
一歩前に進む度に、体に火が付いた様に熱を感じるので魔術の効果以上に寒さを感じないのだ。
それでも、黒い剣が捨てられている洞穴の入口に到着した時には驚く程息が上がり、洞穴に入って吹雪を避けると急激に空腹も感じられた。
気持ちは焦るが、彼女は深呼吸して落ち着こうとする。
半日以上強引に吹雪の中を移動して来たのである。人並み外れた体力を持つ彼女といえども疲れきっていたし、その間まったく飲まず食わずでいたのだから空腹であるのも間違いない。
この洞穴の深さはともかく、吹雪を避ける為に熊が休眠しているかもしれないし、何よりあの黒い剣に向かうには疲労や空腹は解消しておいた方が良い。
イリーズの事を考えると心配で胸が張り裂けそうになるが、気持ちだけで先走った結果、剣を手に入れられませんでした、では話にならない。剣の入手に失敗したら、死と向かい合っているイリーズ達に合わせる顔も無い。
逸る気持ちを押さえつけ、彼女は洞穴の入口付近の吹雪を避けられるところで焚き火をおこし、暖を取って休息する。
食料としてパンをもらっていたが、バックパックに入れていたにも関わらず取り出した時にはとても噛めそうにないくらい固くなっていたので、軽く火に当てる。休息や食事の間にも彼女は魔力を張り巡らせて周囲を索敵していたが、少なくともこの近辺に生物の気配や強力な魔力などは感じられない。
(さて、それじゃ行きますか)
本来ならもう少し休息を取って体力を回復させるべきではあったのだが、気持ちが焦って休憩など取れそうにもなかった。
吹雪のせいで正確な時間は分からないが、彼女が城から出た時は曇っていたとはいえ昼頃だった。今は夜である事は間違い無いが、深夜と言う時間帯では無いと思われる。
感覚なので正確ではないが、もしそうなら同じペースで移動すれば明日の昼頃、場合によっては朝方には城に戻れるかもしれない。イリーズの弱り方を考えると、いかにサラーマとウェンディーが頑張ってくれるといっても、そこに最初から期待するわけにはいかない。彼女の帰りが遅くなればなるほど、イリーズ達に負担をかける。
今のペースは悪天候のわりには遅くないのだが、それは間に合わなければ何の意味も無いのだ。
それが分かっているだけに、まともに休憩も取れないほど気持ちが焦っている。
しかし、どれほど焦っていても彼女の冷静な部分は、しっかりと働いていた。
彼女の手にはサラーマから渡された魔力の鞭と、収容所にいた頃に独学で身につけた魔力を飛ばす攻撃魔術、ウェンディーから教わった簡単な結界くらいしかない。
以前来た時には何事も無かったが、サラーマ達がいない事を考えると今回もきっと何もないと楽観は出来ない。
もっと極端な話をすれば、ここで転んで足を挫いて動けなくなると言う事さえも気にしないといけない。
緊張から疲労は増すが、彼女は夜目が利くのは利点だった。
ランプなどの発光器具などで自分の位置を知らせずに移動できるという事と、視界が狭くなるストレスが無いのは大きかったが、結果としてそれは大きなアドバンテージにはならなかった。
洞穴の最深部といっても迷宮と言うほど深くも広くも無いので、すぐにそこに到着できた上に、そこには捨てられる様に無造作に黒い剣が置かれていた。
ここまでに何の障害も無く、天候以外では問題は無い。
最後の、そして最大の障害がこの黒い剣である。
(悩むな、恐るな。私が怖気づいてどうする! 私がイリーズを助ける為の計画の最重要ポジションにいるのに。私がこの剣を持って帰らないと、イリーズを助けられない!)
彼女は意を決して、黒い剣に手を伸ばす。
触れるだけではこの剣が牙を剥かないのは分かっている。この剣は柄を握り、持ち上げようとした時に所有者を敵として認識する。
彼女は深呼吸すると、歯を食いしばって黒い剣を持ち上げる。
最初に襲いかかってくるのは痛みだった。
それは痛みの記憶の再現であり、実際に傷口が開いたり出血している訳ではない。
(そう、これは幻術の類。剣による選別。自分を扱える者かを選んでいる。武器のくせに生意気だっての!)
痛みに屈しそうになる心を立て直す。
背中と右足の痛みは、ちょっと気を抜けば簡単に意識を断たれる程の激痛だが、これは痛みを感じさせる幻術の類であって、実際に右足を失ったり背中を切り裂かれている訳ではない。
そう強く思い込む事で、黒い剣の発する痛みの奔流に耐えていた。
痛みの中で思考が働くと言う事は、その痛みに耐えられていると言う事にほかならない。
「武器のくせに、生意気なんだよ!」
彼女は剣に向かって叩きつける様に叫ぶと、剣を持ち上げて立ち上がる。
その瞬間に彼女を襲っていた痛みの奔流が消えた。
「懲りないものですね」
痛みが消えた瞬間、魂までも凍らせる様な冷たい声が背後からかけられる。
聞き間違いようのない、あまりにも特徴的な冷たい男性の声。消えたはずの背中と右足の痛みすら戻ってきた感覚。
「そ、そんなはずない。ここにいるはずがないんだから」
彼女は恐怖に潰されない様に呟くと、後ろを振り返る。
「しょ、ちょう?」
「こんな所で何か出来るんですか? 貴女に出来る事など無いと、あの時わかったと思いましたが」
目の前いる男は、間違いなく所長であるギリクだった。
異常に冷たい声と、作り物に見える笑顔の男。壁の向こうにいるはずの、壁のこちら側に現れるはずのない絶望の権化。
「努力は買う、とでも言って欲しいのですか? 精一杯頑張ってダメだったから、仕方が無かったとでも? いずれであれ、勝てない言い訳としては上出来ではないですか」
右足と背中が疼く。
それは消えたはずの痛みであり、目の前の男を見ているとその痛みだけではなくあの時の敗北感と絶望感さえも、克明に蘇ってくる。
(これも幻覚の類だ。この剣はまだ私に屈していない。この剣はまだ私を屈服させようとしているんだ)
痛みの時と同じ手口だ、と彼女は自分に言い聞かせる。
しかし、目の前にいる男の現実感と、かけられた冷たい言葉も、声も、とても幻だとは思えない。
剣を持つ手だけでなく、膝も震え、立っている事さえ辛くなる。
「諦めなければ夢は叶う。努力は必ず報われる。何度倒れても、立ち上がれば勝利に手が届く。そう言って欲しいのですか?」
剣の切っ先を下げて、かろうじて立っているだけの彼女に所長は冷たい目と声を彼女に向ける。
(剣を下ろすな、膝を付くな。剣の幻術如きに負けるな。これは私だけの戦いじゃない)
泣き出したくなる程の絶望と、呼吸すらできなくなる圧迫感。
「心配いりませんよ、今ここで死んでも貴女には待っている人もいるでしょう?」
ギリクがそう言うと、その隣に美しい少女が現れた。
目を閉じているが、その美しい亜人の少女は彼女もよく知っている人物だった。
収容所では四の番号を与えられていた少女、どこかで身請けされていたはずの美少女で、名前はモーリス。
「久しぶりでしょう? 貴女の身代わりになったんですから、同じ所にいって詫びたらどうですか?」
「どういう事よ」
幻術のはずだが、生々しい現実感に怯みそうになる。
「言葉通りなのですが、そんな事も理解できないほど頭の悪い人では無かったでしょう」
ギリクはどこか楽しそうに言う。
(耳を貸すな。これは幻術なんだから)
だが、本当にこれが幻術なのかがわからなくなってきていた。
ギリクにはあまりにも不可解な所が多い。この男であれば壁を越える事くらい簡単に出来るだろうし、四の少女の身請けを手配していたのであれば彼女を回収する事も簡単に出来る。
「貴女のせいで、彼女はこうなってしまったんですよ? 侘びの言葉くらいあっても良いのではありませんか?」
「私は頼んでないわよ」
「冷たい言葉ですね。彼女は善意の行為だったでしょうに」
ギリクは溜息をつきながら、首を振る。
「仕方がありません。貴女から何か言ってあげてください」
ギリクが言って四の少女モーリスを見ると、モーリスはゆっくりと目を開く。
そこには大きく美しい瞳は無くなり、黒い液体の様なものが満たされ瞼が上がってからはそれが溢れ出してくる。
最初は目から溢れ出していたが、それは鼻や口からも溢れ始める。
液体の様に流れていたが彼女の顔を黒く染めると、それは自分の意思を持った様に蠢き始める。
(な、何? 何が起きてるの?)
黒い液体のような何かは、よく見ると異様に滑らかな黒い微細な蠢虫の様な生き物の集合体だった。
「な、何よソレ!」
「おや? 貴女は知っているのではありませんか?」
思い当たる事はあるが、考えたくなかった。
しかし、それは目の前で明らかな存在感を示している。
イリーズを蝕む呪い『魔獣の落し子』が、今彼女の目の前に現れている。
本来なら彼女も、モーリスと同じ様に黒い液状の蠢虫の様な何かに染まるはずだった。それをイリーズが肩代わりしたからこそ、彼女はこの場に立っている。
「違う、そんなはずない」
彼女は目の前に立つ二人に向かって、弱々しく否定する。
仮にそうだったとしても、この場にその呪いを具現化したり、ギリクが現れると言う事など絶対に有り得ない。
世界を分断する崖や壁が何故作られたのか、それ以降イリーズの一族だけが呪いを引き受けて周りに被害を及ぼしていないのは何故か。
この呪いは、確実に何らかの形で止められ、蔓延する事が出来なくなっているはずだ。
イリーズ達の話でギリクが関係している可能性が高いのは分かるが、それはギリクがここに簡単に現れる事ができない事を表しているはずだった。
(そう、つまりそれこそが幻術の証明! 恐るな!)
彼女は自分に言い聞かせるが、目の前の現実感はあまりにも圧倒的だった。
「貴女さえいなければ」
その声は耳元で囁くように聞こえてきた。
あまりに深く、重い、怨嗟の声。
確実にこの場にいない人物だが、胸をえぐられる程の痛みはギリクやモーリスの時よりはるかに重い。
「な、なんで?」
「貴女さえいなければ、私達は幸せに暮らせたのに……」
いつもは優しく柔らかいはずの声が、重く冷たい声で話している。
「ウェンディー、そんなに私のことが」
声の方を向いて、彼女は息を飲む。
そこにはモーリスと同じ様に、黒い生き物を目から流しているウェンディーがすぐ耳元にいた。
「イリーズ様を助けたかったのに。貴女さえいなければ、こんなことにはならなかったのに……」
感情を表に出さず、淡々とウェンディーは彼女に訴える。
その様子を見て、ギリクは満足そうに言う。
「良かったじゃないですか。貴女の望んだ結末なのでしょう」




