「墓フェス、二度目の夏(前編)」【中盤】
☆真夜中の、一音
その夜、午前零時。
本堂の裏の、物置小屋の前。
慈念さんは、小さな練習用アンプの前に正座して、エレキギターを抱えていた。
ボリュームは、一番小さく。
円海さんを起こさないように。
近所迷惑にならないように。
――ぽろん。ぽろろん。
物置小屋の陰に、墓場中の霊が、ぎっしりと身を潜めていた。
「……いいか。俺が、一音ずつ、弦を震わせる」
雷太さんが、慈念さんのすぐ後ろに立った。
「……あいつが気づくかどうかは、賭けだ」
雷太さんは、長い指を、そっと、六弦の上に置いた。
それから、目を閉じた。
――ぶぅん。
慈念さんが弾いていないのに。
六弦が、一度だけ、低く鳴った。
「……っ」
慈念さんの手が、止まった。
――ぶぅん。
もう一度。今度は、五弦。
慈念さんは、しばらく、動かなかった。
ギターを見下ろして。
それから、ゆっくりと、北の端の方角を振り返った。
「…………轟さん、ですか」
――物置小屋の陰で、墓場中が、息を止めた。
慈念さんは、知らない。雷太さんの顔も、声も。
でも、北の端の線香の煙が、このギターを弾くたびに暴れることだけは、知っている。
慈念さんは、ギターを抱え直した。
それから、誰もいない夜の空気に向かって、小さく、頭を下げた。
「……もし、何か、弾いてほしいものがあるなら。……一音ずつ、お願いします。……ちゃんと、書き留めますから」
――雷太さんの肩が、震えた。
「……書き留めてくれるってよ」
鬼塚さんが、雷太さんの背中を、ばしんと叩いた。手は、すり抜けたけど。
「――やるぞ、北の端の!」
☆ゴースト・レッスン
それから、毎晩。
午前零時になると、本堂の裏に、たどたどしいギターの音が鳴った。
――ぶぅん。
雷太さんが、一音、震わせる。
慈念さんが、その弦と、そのフレットを探す。
見つけたら、ノートに書く。
――ぶぅん。
次の一音。
「……遅え」
鬼塚さんが、物置小屋の陰で、貧乏ゆすりをした。
「この調子じゃ、一曲で十年かかんぞ」
「……ゆっくりでいい」
雷太さんは、目を閉じたまま、言った。
「……三十三年、待ったんだ。……あと二週間くらい、どうってことねえ」
「――俺も手伝う!」
鬼塚さんが、勢いよく、二弦に指を突っ込んだ。
――びよよよよん。
「…………今の、違いますね?」
慈念さんが、困った顔で、北の端を振り返った。
「……北の端の煙が、ものすごく怒ってます」
「……すまん」
「――ふれー! ふれー! らーいーたー!」
麗華が、物置小屋の屋根の上で、日傘をポンポンみたいに振っていた。
「麗華、うるさい! 集中できないから!」
「応援団長は、貞子さんでしたわね! ご一緒に!」
「そういう意味じゃない!」
「……今のフレーズ、BPM百八十っす」
ハヤトさんが、指でリズムを刻んだ。
「……速っ!」
「わんっ! わおーん!」
ごまが、ギターの音に合わせて、遠吠えを始めた。
――ぱっ。
本堂の明かりが、ついた。
「――慈念! 何時だと思っとる!」
円海さんの声だった。
墓場中の霊が、いっせいに、物置小屋の陰に飛び込んだ。
円海さんは、寝間着のまま、物置小屋の前までやってきた。
ギターを抱えて固まっている慈念さん。その膝の上の、ノート。
びっしりと書き込まれた、数字と記号。
円海さんは、しばらく、そのノートを見下ろしていた。
それから、物置小屋の陰の、何もない暗がりを、ちらりと見た。
「……風邪ひくなよ」
それだけ言って、円海さんは、本堂に戻っていった。
――そうして、二週間。
ノートは、二冊目になった。
リフ。Aメロ。サビ。ギターソロ。
雷太さんの頭の中にしかなかった曲が、少しずつ、慈念さんのノートの上に、引っ越してきた。
⑥ 私の曲では、ありません
「……慈念さん、すごいね」
ある夜、レッスンのあと。
あたしは、ノートを閉じる慈念さんを、物置小屋の陰から見ていた。
慈念さんは、ノートの表紙に、何かを書き込んでいた。
『これは、私の曲ではない』
慈念さんは、ペンを置いて、ギターのネックを、そっと撫でた。
「……いい曲ですね、轟さん」
北の端の方角を向いて、ぽつりと言う。
「……でも、私が人前で弾くわけには、いきません。……私が作ったことになってしまうし。……それに、本山の本審査が、来年にあるので」
慈念さんは、少しだけ、笑った。
「……修行僧が、夏祭りでメタルなんて弾いたら、たぶん、一発で落ちます」
――雷太さんは、黙って、それを聞いていた。
「……弾いてくれる人に、渡しますね。……この曲が、一番似合う人に」
慈念さんは、二冊のノートを、大事そうに胸に抱えた。
その夜、北の端の線香の煙は、ほとんど、揺れなかった。
静かに、まっすぐ、空に昇っていった。
「……雷太さん?」
「……いい。……あいつの言う通りだ」
雷太さんは、背中を向けた。
「……あいつには、あいつの道がある。……俺の曲のために、それを曲げさせるわけにはいかねえ」
――その背中が、ほんの少しだけ、寂しそうに見えた。
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