「夜叉鬼、最後の集会(前編)」【後半】
⭐︎杖可の集会
三月二十一日。日曜日。
鬼塚さんが生まれて、ちょうど七十年目の誕生日。
お彼岸の中日で、墓場は朝から、お参りの人でにぎわっていた。
鬼塚さんは、朝から一度も、リーゼントを触らなかった。
「……来ねえよ。中止に決まってる」
そう言って、墓石に背中を預けたまま、目を閉じていた。
――昼過ぎ。
――ぶるるるる。
原付の音。
それから。
――ぶろろろ……ぷすん。……ぶろろろ……ぷすん。
なんだか、ものすごく頼りない、もう一つのエンジン音。
「……なんだ、ありゃ」
鬼塚さんが、片目を開けた。
山門をくぐってきたのは、三人だった。
先頭は、翔くん。原付を押しながら、片手に、大きな紙袋を提げている。
その後ろに、おじいさんが、二人。
一人は、小柄で、まん丸い体に、黒い特攻服。
――ボタンが、お腹のところで、一つも留まっていない。
もう一人は、ひょろりと背が高くて、腰に、黒いコルセット。その上から、特攻服を羽織っている。手には、杖。もう片方の手には、くるくると巻いた、古い旗。
「……ヤス。……ブン」
鬼塚さんの声が、震えた。
「――総長ぉぉぉ!! 特攻隊長、安田康夫! ただいま、参上いたしましたぁぁぁ!!」
まん丸いおじいさんが、墓地中に響き渡る声で叫んだ。
――ぴーーーーっ。
その瞬間、おじいさんの耳から、ものすごい音が鳴った。
「……ヤスさん、補聴器、ハウってます」
「ああ? なんだって?」
「補聴器!」
「総長の墓は、どれだって?」
「目の前っす!!」
「――旗持ち、岩城文雄。……腰が、痛い」
背の高いおじいさんは、そう言って、そのまま、墓石の横にしゃがみこんだ。
「「「……」」」
墓場中が、言葉を失った。
――それから。
「「「――あはははははっ!!」」」
墓場中が、大爆笑した。
あたしも、麗華も、源蔵じいちゃんも、ふみ先生まで、お腹を抱えていた。
「……なんだよ、お前ら……」
鬼塚さんだけが、笑っていなかった。
いや、笑っていた。
笑いながら、潰れた前髪の奥で、ぐしゃぐしゃに泣いていた。
「……なんで、来てんだよ……ジジイになりやがって……」
ヤスさんが、紙袋の中から、大きな箱を取り出した。
「総長、甘いもん好きだったろ。……うちの店の、最後の苺大福だ。店、先月、畳んじまったからよ」
墓前に、真っ白な大福が、七十個、並んだ。
「七十個は、多くない!?」
「……七十だからな」
ブンさんが、腰をさすりながら、古い旗を、ゆっくりと広げた。
黒地に、金の糸。色あせて、端がほつれている。
『夜叉鬼』
⭐︎引退は、認めねえ
「――じゃ、じいちゃん、つなぎます」
翔くんが、スマホを取り出した。小さな三脚に立てて、墓石のほうへ向ける。
「病院の許可、取ってあるんで。……ビデオ通話」
――ぴろん。
画面の中に、病院のベッドが映った。
その上に、マサさんがいた。
頬が、こけていた。右腕は、毛布の上に、力なく置かれたまま。でも、左の眉の端には、あの小さな古傷が、ちゃんとあった。
「……マサ」
鬼塚さんが、スマホの前に、膝をついた。
――生きてる人には、あたしたちは、見えない。
でも、あたしたちには、画面の中のマサさんが、ちゃんと見える。
「……よう、タケ」
マサさんの声は、ゆっくりで、少しだけ、もつれていた。
「……七十、おめでとう。……お前は、十九の、まんまだろうけどな」
「……うるせえよ」
「……ヤス、ブン。……来て、くれたか」
「「おう!!」」
――ぴーーーーっ。
「ヤスさん、補聴器!」
画面の中で、マサさんが、少しだけ笑った。
それから、左手で、ベッドの脇の紙を、震えながら持ち上げた。
「……じゃあ、始めるぞ。……夜叉鬼、最後の、集会」
ヤスさんと、ブンさんが、背筋を伸ばした。ブンさんは、腰を押さえながら。
翔くんも、慌てて、隣に並んだ。
「……本日の、議題は、一つ。……総長・鬼塚武の、引退」
――鬼塚さんの肩が、ぴくりと動いた。
「……五十年前に、やるはずだった。……俺が、ぶち壊しちまった。……だから、今日、やる」
マサさんは、紙を、ゆっくりと読み上げた。
「……夜叉鬼、副総長、相沢正志は」
一度、息を吸う。
「……総長・鬼塚武の、引退を――」
――鬼塚さんが、ぎゅっと目を閉じた。
「――認めねえ」
「……え」
鬼塚さんが、目を開けた。
「……認めねえよ。……お前は、ずっと、総長だ。……俺が、二代目を、継がなかったからな。……夜叉鬼の総長は、今も、お前、一人だ」
マサさんは、もつれる舌で、それでも、はっきりと言った。
「……以上。……集会、終わり」
「――なんだよ、それ」
鬼塚さんの声が、ひっくり返った。
「なんだよ、それ……引退させろよ……五十年、総長やってんだぞ、俺は……」
ヤスさんが、拳を突き上げた。
「――総長、続投ぉぉぉ!!」
ブンさんが、旗を、高く掲げた。腰が、ぐきっと鳴った。
「……いてて。……続投」
翔くんが、二人の真似をして、ぎこちなく拳を上げた。
「――ぞ、続投っす!」
――そして、墓場中の霊が、それに続いた。
「「「――総長、続投ぉぉぉ!!」」」
「……ぶぉん、ぶぉぉん、ぶんぶんぶぶぶん」
雷太さんが、口で、空ぶかしのコールを入れた。
ヤスさんと、ブンさんの口から、同じリズムが、こぼれた。
「……ぶぉん、ぶぉぉん、ぶんぶんぶぶぶん」
――生きてる人と、死んだ人の、同じコール。
もちろん、お互いには、聞こえていない。
でも、リズムは、ぴたりと揃っていた。
――ふわっ。
「――あ」
「――全員、気をつけ!!」
――ぴしっ。すとん。
浮き上がりかけた鬼塚さんの体が、砂利道に着地した。
画面の中で、マサさんが、ふうっと、長く息を吐いた。
「……なあ、タケ」
「……なんだよ」
「……十月の、命日はよ。……たぶん、俺が、そっちに……行く、番かもな」
――鬼塚さんの顔から、表情が、消えた。
「……冗談、だよ。……じゃあな、総長」
――ぴろん。
看護師さんの声が少しだけ聞こえて、通話は、切れた。
鬼塚さんは、真っ暗になった画面の前に、膝をついたまま、動かなかった。
「……来んな」
小さな声だった。
「……まだ、来んじゃねえぞ、マサ」
翔くんは、スマホを片付けて、墓前に、ミルクコーヒーを一本、置いた。
「……武さん。じいちゃん、本当は、今日、ここに来たかったんす。……バイクで」
――山門の向こうの病院には、届かない。
――山門のこちらからは、走っていけない。
その距離は、たぶん、ほんの数キロしかなかった。
⭐︎総長、続投
翌朝。
「――こらぁぁぁ、鬼塚ぁぁぁ!! わしのぼたもち、どこやったぁぁぁ!!」
源蔵じいちゃんの怒鳴り声で、墓場の一日が始まった。
「お彼岸のぼたもちは、総長への献上品だろが」
鬼塚さんは、口の周りをあんこだらけにして、にやりと笑った。
リーゼントは、いつもの三十分で、ぴんと上を向いていた。
「――この不良がぁぁぁ!!」
――ごつん。
――すぽーん。
「――おまえさんたち」
――かぽーん。
本堂のほうから、慈念さんのお経が流れてくる。
「「「……チッ」」」
いつもの朝。
でも、墓石の前には、七十個の苺大福の、最後の一個と、ミルクコーヒーと、色あせた『夜叉鬼』の旗が、まだ、並んでいた。
その夜。
鬼塚さんは、また、山門の内側の石段に座っていた。
一人で。
山門の向こうの、春の夜の道を、じっと見つめて。
――待っているのか。
――来ないでくれと、祈っているのか。
たぶん、その両方なんだと思う。
石段の下で、おはぎが、ふわあ、とあくびをした。
墓場は今日も、成仏しない。
――総長の引退は、五十年経っても、認められなかった。
(第二十一話 完)
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