↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
墓場ぐらしのサダコさん  作者: 則本潮


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
83/110

「百年分の、産声」(後半)

⭐︎待つだけの火曜日


十二月の半ば。


麗華は、朝から晩まで、空を見上げていた。


「――烏が、東へ三羽! これは、陣痛の前触れですわ!」


「麗華、それ、ただの烏だから」


「――おはぎが、くしゃみを二回! これは、破水の前触れですわ!」


「おはぎに謝って」


霊は、山門の外へは出られない。

病院へ駆けつけることも、電話を待つこともできない。


あたしたちにできるのは、ただ、待つことだけだった。


「……LINEとか、来ないんすか」


「来ませんわ!!」


ハヤトさんが、そっと目を逸らした。


――そして、ある火曜日の朝。


――ごおん。


鐘のあとの、慈念さんのお経。その最後に。


「……西園寺、麗華さん」


「……はい」


麗華が、いつものように、小さく返事をした、そのとき。


――ざっ、ざっ、ざっ。


砂利道を、誰かが、走ってきた。


湊さんだった。


髪はぼさぼさ。ひげも剃っていない。

昨日と同じみたいな服の上に、コートを引っかけている。


湊さんは、西園寺家之墓の前で、はあ、はあ、と膝に手をついた。それから、顔を上げた。


「……昨日の夜、生まれました」


――時が、止まった。


「女の子です。三千百二十グラム。……美月も、元気です」


湊さんは、ちょっと泣きそうな顔で、笑った。


「美月が、行ってきてって。……真っ先に、大伯母様に報告してきてって。名前は、もうちょっとだけ、待ってください。二人で、ちゃんと決めてから、また来ます」


湊さんは、手を合わせて、深く頭を下げて、それから、また走って帰っていった。


――しん。


それから。


「「「――生まれたあぁぁぁぁ!!」」」


墓場が、爆発した。


――ふわっ。ふわわっ。


「――わしの、玄孫じゃあ! 玄孫が、生まれたんじゃあ!」


お兄様が、杖ごと、ふわっと浮き上がった。


紋付きの高祖父さまも、源蔵じいちゃんも、鬼塚さんも、清一さんも、ごまも。

墓場中の霊が、喜びのあまり、次々と、冬の空に浮かんでいく。


「――ちょっと、みんな! 足、足!」


「――全員、気をつけ!!」


――ぴしっ。すとん。


ふみ先生の号令で、全員が、砂利道に着地した。


その真ん中で、麗華だけが、まだ、ほんの少しだけ、浮いていた。


「……一番に、お名前を呼ぶと、申しましたのに」


麗華は、日傘を胸に抱いて、泣き笑いの顔で言った。


「……お名前が、まだ、ございませんわ……」


⭐︎かすみ


年の瀬。十二月二十九日。


山門をくぐってきたのは、三人だった。


美月さんと、湊さん。

そして、美月さんの胸の抱っこ紐の中の、白いおくるみ。


「――――」


麗華は、声も出さずに、日傘を取り落とした。


「寒いから、ちょっとだけね。お宮参りは、一月に、ちゃんと来るから」


美月さんは、そう言って、墓前にしゃがみこんだ。湊さんが、代わりに、お線香に火をつける。


「大伯母様。高祖父さま。みんな。……会いに来たよ」


おくるみの中で、小さな、小さな顔が、すうすうと眠っていた。


湊さんが、鞄の中から、古い本を取り出した。


――あの詩集だった。


「名前、決めました」


湊さんが、本を開く。

色の褪せた押し花が、頁の間から顔を出した。


「全然、決まらなくて。それで、この本を、二人で開いたんです。そしたら、これが、ひらりと落ちてきて」


湊さんの隣で、美月さんが、小さな白い花の押し花を、指先でそっと示した。


「かすみ草。……ひいおじいちゃんと、大伯母様が、百年前に、本の間でやりとりしてた花」


美月さんは、おくるみの中の顔を見つめた。


「この子の名前、『かすみ』にしました」


――かすみ。


「主役の花じゃないけど、そばにある花を、全部きれいに見せる花なんだって。……そういう子になってくれたらなって」


麗華は、動かなかった。


あたしは、そっと、麗華の横顔をのぞきこんだ。


麗華は、震える手で、懐から、あの巻物を取り出した。

そして、一番最初の、墨で塗りつぶした行を、あたしに見せた。


ぐしゃぐしゃの墨の下に、精一杯きれいな字が、うっすらと透けていた。


――かすみ。


「……わたくしの、一番上の、お名前でしたの」


麗華の声は、震えていた。


「背負わせては、いけないと、思っておりましたのに。……あの子たちが、自分で、選んでくださいましたわ」


――偶然、だと思う。


でも、百年前に、本の間を行ったり来たりしていた小さな花が、今、山門の向こうから、名前になって帰ってきた。


麗華は、日傘を拾わずに、おくるみの前に膝をついた。


そして、約束どおり、一番に、その名前を呼んだ。


「――ごきげんよう。……かすみさん」


「「「――かすみちゃん!!」」」


墓場中が、それに続いた。


「……夜叉丸じゃねえのか」


鬼塚さんが、ぼそっと言って、それから、鼻をこすった。


「……まあ、いい名前だ」


⭐︎からっぽの腕


「ほら、かすみ。大伯母様だよ」


美月さんが、おくるみを、墓石のほうに、そっと傾けた。


麗華が、両手を伸ばした。


――すうっ。


指先が、おくるみを、通り抜けた。


もう一度。


――すうっ。


小さな頬にも、白い布にも、何にも、触れられない。


麗華は、それ以上は、手を伸ばさなかった。

代わりに、おくるみのすぐ外側に、両腕で、ゆりかごの形を作った。

触れないように。

でも、できるだけ、近くに。


「……大伯母様にも、抱っこしてほしかったなあ」


美月さんが、ぽつりと言った。


あたしは、ぎゅっと、唇を噛んだ。


――聞こえてるよ。ここにいるよ。

腕まで、伸ばしてるんだよ。


それは、どうしても、届かない。


「……ええ」


麗華は、からっぽの腕の形を崩さないまま、静かに微笑んだ。


「……わたくしも、ですわ」


そのとき。


お線香の煙が、ふわりと揺れた。

風もないのに、細い煙が、おくるみの周りを、ぐるりと一周した。

まるで、誰かの腕みたいに。


おくるみの中で、かすみちゃんの口元が、ふにゃっと、ゆるんだ。


「……あ、笑った」


「新生児微笑っていうんだって。夢を見て、勝手に笑うだけなんだって」


「……そっか」


――きっと、それだけのこと。


それでも、麗華は、ゆりかごの形のまま、ずっと動かなかった。


「……重いじゃろう、麗華」


墓の奥から、お兄様の声がした。


「……わかりませんわ」


麗華は、首を振った。


「わかりませんけれど。……きっと、米袋より、ずっと軽くて。ずっと、重いのですわ」


美月さんたちが、山門の向こうへ帰っていくのを、麗華は、いつまでも見送っていた。


腕は、からっぽのまま。


でも、その腕の形を、麗華は、日が暮れるまで、崩さなかった。


⭐︎また日常へ


翌朝。


「――おはようございます!」


「「「おはようございまーす」」」


「西園寺麗華さん」


「はいっ!!」


麗華の返事は、墓場中に響き渡るくらい、元気だった。


「――皆様に、ご報告がございますわ!」


麗華は、日傘をびしっと構えて、落ち葉の黒板の前に立った。

そこには、きれいな字で、こう書かれていた。


『見届け表』


お宮参り。お食い初め。初節句。一歳の誕生日。七五三。入学式。


「……麗華、それ、どこまで続くの」


「成人式まで書きましたわ。裏には、結婚式も」


「長期計画すぎない!?」


「ですから、成仏などしている暇は、ございませんのよ」


麗華は、得意げに胸を張った。


「――よっしゃ。じゃあ、二人目が生まれたら、夜叉丸だな」


「却下ですわ!!」


「なんでお前が決めんだよ!」


「議長ですもの!」


「――わしの棟梁も、再提出じゃ!」


――ごつん。


――すぽーん。


鬼塚さんの首が、冬の朝の空に、高く、高く舞い上がった。


「――おまえさんたち」


――かぽーん。


本堂のほうから、慈念さんのお経が聞こえてくる。


「「「……チッ」」」


いつもの舌打ち。

いつもの胃もたれ――は、もう、ほとんどしない。


西園寺家之墓の縁側で、麗華が、閉じた日傘を、赤ちゃんみたいに、そっと腕に抱いていた。


「……麗華、何してんの」


「練習ですわ。……いつか、何かの奇跡が、起きないとも限りませんもの」


あたしは、何も言わずに、その隣に座った。


縁側の下で、おはぎが、ふわあ、と大きなあくびをした。


墓場は今日も、成仏しない。


――九十二年からっぽの腕に、今日、名前がひとつ、増えた。


(第十九話 完)


最後までお読みいただきありがとうございました。

よろしければ、ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。