「小僧のお経は、ハーモニックマイナー。」(前半)
⭐︎第一回 墓場総会
「――それでは、第一回、墓場総会を始めます」
十一月のはじめ。西園寺家之墓の前の広場に、墓地中の霊が、ざっと五十人は集まっていた。正座する者、胡坐をかく者、首を膝に載せている者(鬼塚さんだ)。議長は、落ち葉で作った議長席に座る麗華。なぜか。
「議題は、こちらですわ」
麗華が日傘で示した先には、落ち葉で書かれた巨大な文字。
『小僧のお経について』
――ざわっ。
五十人の霊が、いっせいにどよめいた。
「ついにこの日が来たか……」
「わしは昨日も、三時間は起き上がれんかった……」
「うちの婆さんなんぞ、崩れて東の角まで転がっていったぞ……」
秋に入ってから、円海さんが檀家周りで忙しくなって、慈念さんが一人でお勤めをする回数が増えた。それに比例して、墓地の胃もたれ患者数は、過去最高を記録していた。(ナナシさん調べ)
「というわけで、ご提案ですわ」
麗華が、すっと立ち上がる。
「わたくしたちで、慈念さんのお経を、上手にして差し上げるのです。名付けて――『小僧のお経改善作戦』!」
「「「おおおおおおっ!!」」」
拍手が起きた。鬼塚さんの首も、膝の上でうんうん頷いている。
――ただし。
「……あのさ、ひとついい?」
あたしは、おずおずと手を上げた。
「慈念さんのお経が上手になったらさ……胃もたれ、なくなるよね?」
「それが目的ですもの」
「じゃあ、成仏しかけた時の『重り』は?」
――しん。
五十人の霊が、静まり返った。
鬼塚さんが秋に落ちてきたのは、慈念さんのお経のおかげだ。源蔵じいちゃんは怒らせれば落ちるけど、麗華は、もう怒らせられるネタが『エモい』しかない。しかもこの前、正しく使い始めてしまった。
「……でしたら、わたくしは反対ですわ」
議長が、即座に手のひらを返した。
「議長が反対してどうすんだよ!」
「だってわたくし、美月さんの七五三を見るまでは成仏できませんのよ! 安全装置がなくなるのは困りますわ!」
「だが毎日胃もたれで動けんのも困るんじゃ!」
「そうだそうだ!」
「成仏させる気かー!」
「胃もたれさせる気かー!」
総会は、当然のように殴り合いになった。五十人規模の。首が十個くらい飛んだ。
最後はもちろん、トメばあちゃんの「あらあら」で収まって、ひとつの妥協案が採択された。
『とりあえずやってみて、胃もたれが残る程度に上手くする』。
……たぶん世界で一番難しい決議だと思う。
⭐︎作戦の数々
作戦その一:源蔵式・耳元指導。
翌朝のお勤め。慈念さんが本堂で経本を開くと、源蔵じいちゃんがすっとその耳元に後ろから寄り添った。
「いいか小僧。腹から声を出すんじゃ。大工の掛け声と同じじゃ。『せーのっ』じゃ」
「……かっ、観……」
「違う! もっと腹じゃ! こうじゃ! せぇーーのっっ!!」
源蔵じいちゃんの大声が、慈念さんの耳の中で炸裂した。もちろん慈念さんには聞こえない。聞こえないけど、なんとなく耳元が冷やっとするらしい。
「……ううっ……なんか寒気が……」
慈念さんは身震いして、お経はいつもの三割増しで裏返った。
墓地中が、いつもの三割増しでぐったりした。
作戦その二:鬼塚式・気合い注入。
「いいか慈念。ナメられたら終わりだぞ。お経ってのはな、タイマンだ。仏とのタイマンだ。シメてかかれ」
鬼塚さんは、慈念さんの正面にヤンキー座りして、眼力で気合いを注入し始めた。顔が近い。リーゼントが慈念さんの鼻先に刺さっている。
「……なんか……誰かに見られてる気が……」
慈念さんは怖がって、お経の途中で一度、本堂から逃げ出した。
後で円海さんに怒られていた。
作戦その三:西園寺式・落ち葉メッセージ。
「言葉が届かないなら、文字でお伝えすればよろしいのですわ」
さすが手紙の専門家。麗華は一晩かけて、本堂の前の石段に落ち葉で文字を並べた。
『もっと ひくく』
翌朝、慈念さんはそれを見つけて、青ざめた。
「……『もっと 引くく』? ……引く? 何を? ……えっ……引きこもれってこと?」
そして慈念さんは、その日の午前中、本当に部屋に引きこもった。
「……濁点が足りませんでしたわね」
「そこじゃないと思う」
作戦その四:貞子式・ポジティブ指導。
「みんな、わかってないなー。今の時代は『褒めて伸ばす』なの!」
あたしは、慈念さんの隣にぴったり寄り添って、一番かわいい声を出した。
「慈念さん、頑張ってるよ! 声、すっごいよ! いろんな意味ですっごいよ! あとはもうちょっと……こう……音程とか……リズムとか……声質とか……」
褒めるところが、なかった。
あたしは、慈念さんの隣で、慈念さんのお経を正面から浴びて、その場に崩れ落ちた。最前列で聞くと、胃もたれが三倍だった。
――その夕方。
「……全滅ですわ」
西園寺家之墓の前で、作戦の主要メンバー四人は、草むらに転がっていた。全員、顔が青い。慈念さんのお経を、今日は一日で十回は近距離で浴びたからだ。
「あの小僧……根本的に……何かが違う……」
「下手っつーかよ……なんか……逆だよな……全部、微妙に逆……」
「でも、どこがどう違うのか、わかんないんだよね……」
あたしがつぶやいた、そのときだった。
「――あいつは、下手なんじゃねえよ」
低くて、かすれた声がした。
⭐︎ 北の端のギタリスト
振り向くと、黒い革ジャンの男の人が、墓石にもたれて立っていた。
腰まである長い黒髪。破れたジーンズ。銅の鋲が打たれたごついブーツ。そして、指には、骸骨の指輪。
この墓地に、こんな人いた?
「……轟の小僧じゃないか」
源蔵じいちゃんが、むくりと起き上がった。
「北の端に住んとる、轟雷太じゃ。死んで三十年ちょっと。殴り合いにも総会にも来ん、墓場一の引きこもりじゃ」
「……引きこもってねえ。ギター弾いてただけだ」
雷太さんは、空中で指を動かす仕草をした。弦のない、見えないギターを。
「一九九四年。二十七で死んだ。バンドは『冥土インヘヴン』……知らねえだろうな」
「……冥土とヘヴン、どっちなの?」
「両方だ」
ちょっとかっこいい。
雷太さんは、本堂の方をじっと見た。
「……あの小僧のお経。三年間、毎日聞いてた。途中から譜面に起こしてた」
「譜面!?」
「墓の裏に、落ち葉でな」
この墓地の人、みんな落ち葉に頼りすぎじゃない?
「で、結論から言う。あいつは下手なんじゃねえ――」
雷太さんは、骸骨の指輪をはめた指を、ひとつ立てた。
「あれは、ハーモニックマイナーだ」
「…………」
「…………」
「…………はーもにっく?」
あたしたち四人の頭の上に、同時に「?」が浮かんだ。鬼塚さんの首は、まだ膝の上で傾いていた。
「……だろうな」
雷太さんは、落ちていた小枝を拾って、地面に五本の線を引いた。
――そして始まった。墓場初の、音楽理論講座が。
「普通の短調、ナチュラルマイナーは、ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ・ソ。
暗いが、穏やかだ。
……この最後の『ソ』を半音上げる。ソのシャープだ」
ガリガリと、地面に音符が並んでいく。
「すると、ファとソ♯の間が、普通より一歩広くなる。増二度。ここが東洋っぽくて、エキゾチックで、……不安で、美しい。ネオクラシカル・メタルの魂だ」
「…………わからん」
源蔵じいちゃんが、正直に言った。
「わからなくていい。顔で感じろ」
「顔で!?」
「……でだ。円海とかいう坊主のお経は、明るくて、どっしりしてる。ドの音を中心に、きれいに詰めていく節だ。
……だが小僧の地声は、勝手にラの短調を向いてる。
しかも、導音のソ♯に、どうしても引っ張られる」
雷太さんは、地面の『ソ』と『ソ♯』を、小枝で並べて叩いた。
「で、あいつは円海の節を真似しようとする。
小僧の喉はソ♯に行きたがる。
円海の節と、本堂のおりんは、ソのまま。
――その差、半音。短二度だ」
「たんにど……」
「半音違いの音が同時に鳴ると、響きがぶつかって、ウワンウワンと唸る。
……不協和音だ。
――お前らの胃もたれの正体は、これだ」
――えっ。
「慈念さんが下手なんじゃなくて……慈念さんが、円海さんに合わせようとしてるから、ずれてるってこと?」
「そうだ」
雷太さんは、はじめて少しだけ笑った。顔に似合わず、ひどく少年みたいな笑い方だった。
「……だが逆に言えばだ。下に正しい和音を鳴らしてやれば――ミを根っこにした属七の和音、ミ・ソ♯・シ・レを敲いてやれば。
あの小僧のソ♯は、一番気持ち悪い音から、一番気持ちいい音に化ける」
「……化ける?」
「解決したくて、たまらなくなる音になる。
幽霊が化けて出るより、ずっとすげえ化け方だ」
雷太さんは、小枝を地面に突き立てた。
「あいつを直すんじゃねえ。――化けさせるんだ」
…………。
「……議長。作戦変更していい?」
「……それは……エモいですわね」
麗華は、正しい使い方で頷いた。
最後までお読みいただきありがとうございます。
墓場の日常で音楽理論を書くことが出来て満足な出来になりそうです。
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