番外編-麗華- 第三話「白い日傘が届くまで」(中盤)
☆令和の言葉
春になりました。
寺の桜が咲いて、勝負の種目に「落ちてくる花びらを、どちらがたくさんつかめるか」が加わりました。
霊の手では、一枚もつかめませんので、もちろん、引き分け。
つまり、わたくしの勝ちですわ。
その頃、あの子は、わたくしに「今の言葉」を教えるのに、夢中になっておりました。
「――いい? あたしの言うこと、わかんないとこあったら、勝負で不利じゃん。だから、教えてあげる」
「……敵に塩を送る、というやつですわね」
「それそれ。――あ、いまの、『それな』って言うところ」
「……それな。」
「うわ、似合わなっ。うける」
「……うける。」
「それはちょっと似合う」
「まじ」は「本当に」
「やばい」は、よいときにも悪いときにも使える、万能の言葉。
「うざい」は、やはり褒め言葉ではございませんでした。
そして、ある日。
「――あとね、これが一番大事なやつ。『エモい』」
「……エモい?」
「なんか、こう……胸がぎゅってなって、ちょっと切なくて、でもあったかくて、言葉にできない感じのときに使うの」
――胸が、ぎゅっとなって。切なくて。
でも、あたたかくて。
言葉にできない。
それは、まるで。
あの雪の日、椿の花と一緒に名前を呼ばれたときの、あの気持ちそのものでしたの。
――なんということ。
九十年、名前のなかった気持ちに、令和の世では、ちゃんと名前があるのですわ。
「…………エモい」
「え、あ、うん。今のは、例えばで……」
そこへ、西園寺家のお供えの羊羹が、目に入りました。
「――まあ。この羊羹、エモいですわね」
「羊羹はエモくない!!」
「ですが、この翡翠色の透き通り加減は……胸がぎゅっと……」
「それはただ『きれい』!!」
「――おい、お嬢。今ので一回目な」
いつの間にか、鬼塚さんが、墓石にもたれて、指を一本立てておられました。
「……何の回数ですの」
「お嬢が『エモい』を間違えた回数だ。――いや、これ、絶対、すげえ数になるぞ」
――その予言は、半年もたたずに、三百回を超えて当たりました。
鬼塚さんは、数えるのを、二百五十回目あたりで、あきらめてしまわれましたけれど。
でも、皆様。
わたくしにとっては、どの「エモい」も、間違いではございませんでしたの。
羊羹も、慈念さんの裏返ったお経も、鬼塚さんの飛んでくる首も。
あの子が来てからのこの墓地の、何もかもが。
胸がぎゅっとして、あたたかくて。
言葉にできなかったのですもの。
☆お盆の夜と、言えない言葉
八月、お盆。
桜庭家之墓には、キュウリの馬とナスの牛が供えられました。
あの子のご家族が、また、いらっしゃいましたの。
お母様は、今度も、一言もおっしゃいませんでした。
あの子は、今度も、ずっと笑っておりました。
「……また来てくれたじゃん。それだけで、十分だし」
そうおっしゃって。
☆☆☆
その夜。
あの子は、一人で、山門の手前に座っておりました。
納骨の日に、ぶつかった、あの場所。
その一歩手前に、膝を抱えて。
わたくしは、少し離れた石灯籠の陰から、その背中を見ておりました。
今夜は、背中合わせには、参りませんでした。
あの子は、泣いてはおりませんでしたから。
ただ、山門の向こうの、暮らしの灯りを、静かに眺めているだけ。
――待っているのだと、わかりました。
お母様が、いつか、何かをおっしゃってくださる日を。
――なんと、よく似た背中でしょう。
金木犀のうろをのぞく、わたくしの背中も、きっと、あんな風に見えていたのでしょう。
☆☆☆
――皆様。
その夜、わたくしは、一つだけ、自分に尋ねてみましたの。
――あの子のことを、「お友達」とお呼びしてもよろしいのでしょうか。
九十年、一人もおりませんでした。
ですから、お友達というものが、どういうものなのか、わたくしには、よくわかりません。
でも、もし、あの子がそうなのだとしたら。
――いいえ。
わたくしは、首を振りました。
お友達になったら、いつか、お見送りしなければならない。
この墓地で、何度も、何度も、「ごきげんよう」と旅立ちを見送ってきたように。
でも、ライバルなら。
勝負の決着がつかないうちは、明日も、あさっても、ここにいてくださるでしょう。
だから。
――ライバルですわ。
あの子は、わたくしの、ライバル。
そう、自分に言い聞かせて、わたくしは、石灯籠の陰で、背筋を伸ばしました。
☆☆☆
翌朝。
桜庭家之墓の縁側で、あの子とトメさんが、おしゃべりをしていらっしゃいました。
わたくしは、西園寺家之墓の石段で、何も聞いていないふりをしておりました。
いえ、本当に、聞いてはおりませんでしたわ。
たまたま、風向きが。
「――あらあら。貞子ちゃん、麗華ちゃんとは、仲良しなのねえ」
「えー、麗華?」
あの子の声が、少しだけ照れたように、裏返りました。
「麗華は、ライバルだよ。……まあ、つまりは――」
――スポーン。
「こらぁぁぁ鬼塚の小僧ぉぉぉ!!」
その瞬間、どこからか飛んできた鬼塚さんの首が、わたくしの膝の上に、すとんと落ちてまいりました。
「……よう、お嬢。……悪いな」
「――鬼塚さん!! 今、大事なところでしたのに!!」
「あ? 何がだよ」
「……な、なんでもございませんわ!!」
鬼塚さんの首を、体のほうへ放り投げて、縁側のほうを見たときには、もう、あの子は、源蔵さんと鬼塚さんの体の関節技に巻き込まれて、「痛くないけど痛い!!」と叫んでおりました。
――つまりは、何だったのでしょう。
わたくしは、その続きを、とうとう聞きそびれましたの。
その答えを、あの子の口から伺うのは、それから三年もあと。
花のない金木犀の下、雨の夜のことになります。
――ええ、皆様は、もうご存じなのでしょうけれど。
最後までお読みいただきありがとうございました。
よろしければ、ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります。




