番外編-麗華- 第三話「白い日傘が届くまで」(前半)
☆二月の雪
令和五年、二月。
その朝、墓地には、雪が積もっておりました。
白くて、静かで、音のない朝。
――わたくしが、この世を去ったのと、同じような朝でした。
「――ごきげんよう、貞子さん」
「サダ! てか、寒っ! いや寒くないけど、見た目が寒っ!」
あの子は、縁側で、雪だるまを作ろうとして、手が雪をすり抜けるたびに、「もー!」と叫んでおりました。
「――では、本日の勝負は、雪だるまでございますわね」
「絶対できないやつじゃん!!」
いつもどおりの朝でした。
わたくしは、いつもどおりに、背筋を伸ばしておりました。
その日が、わたくしの命日であることなど、おくびにも出しませんでした。
☆☆☆
長いあいだ、西園寺家之墓には、命日には誰かしらが参ってくださいました。
でも、その年は。
雪で電車が止まったのだと、参拝に来たよその家の方が、話していらっしゃいました。
昼になっても、夕方になっても、西園寺家之墓の前の雪には、足跡一つ、つきませんでした。
「……麗華の命日じゃのう」
お父様――いえ、高祖父さまが、墓の中で、ぽつりとおっしゃいました。
「……雪ですもの。仕方ありませんわ」
わたくしは、笑って申し上げました。
そう。仕方のないことですわ。
九十年も経てば、命日を覚えていてくださる方がいるだけで、ほんとうに、ありがたいこと。
ですから、寂しくなど、ありませんでした。
――ええ。寂しくなど。
☆☆☆
夕方。
「――んしょっ……んしょっ……」
妙な強さの掛け声が、砂利道のほうから聞こえてまいりました。
振り返ると。
あの子が、雪の上に四つん這いになって、何かを、両手で、少しずつ、少しずつ、押しておりました。
赤いもの。
椿の花でした。
本堂の裏の、あの椿の木から落ちた、一輪。
霊の力で、生きた世界のものを動かすのは、たいへんなことです。
落ち葉一枚でも、慣れないうちは、何度もすり抜けてしまう。
あの子は、それを、本堂の裏から、ここまで。
雪の上に、赤い花びらの跡が、点々と、長い線になって続いておりました。
「……何を、なさっているのですの」
「……見ればわかるじゃん。……んしょっ」
椿の花が、西園寺家之墓の前に、ころんと、転がりました。
あの子は、雪の上に、どさりと座り込んで、肩で息をしておりました。息など、していないのに。
「……墓誌、読んだの。……あんたのとこの」
「……」
「……今日でしょ。……誰も来ないし。……あんた、何も言わないし」
あの子は、少しだけ口を尖らせて、そっぽを向きました。
「……えっと。……命日、おめでとう、は変か。……お疲れさま? も違うか。……んー、もういいや」
それから、あの子は、まっすぐに、わたくしを見て。
「――麗華」
――――。
「……花。あげる」
――そのときまで、あの子は、わたくしのことを、「あんた」か「お嬢様」としか、呼んだことがありませんでしたの。
「…………」
縁側も、雪も、椿の赤も、すっと、ぶれて見えました。
九十年。
九十年、この墓地で。
家族でもなく、ご先祖様としてでもなく。
ただの「麗華」として、名前を呼んでくださった方は、初めてでしたの。
――ほわ。
「――ちょ、麗華!! 足!! 足光ってる!!」
「……あら。……あら、まあ……」
ふわ、と、体が浮き上がりました。
墓石の高さ。椿の枝の高さ。
「うそ、うそ、うそ!! た、確か、怒らせればいいんだっけ!? えっと、えっと……」
あの子は、雪の上でじたばたしながら、叫びました。
「――てか麗華の着物の柄、古くない?!」
「――なんですって?」
光が、ぶつんと、消えました。
どさっ。
わたくしは、雪の上に、実に優雅に落ちました。
「……古いとは、何事ですの! これは三越であつらえた、正絹の――」
「だって、九十年物じゃん!」
「ヴィンテージとおっしゃい!!」
「その言葉は知ってんの!?」
――美月さんが、前の年のお彼岸に、墓前でおっしゃっていたのを、覚えておりましたの。
あの子は、お腹を抱えて笑いました。
わたくしも、笑いました。
雪の上の椿が、夕日に、赤く光っておりました。
「……ちなみにさ、名前呼んだの、勝負とか関係ないからね。あたしが、呼びたかっただけだから」
「……存じておりますわ。……貞子さん」
「サダ。」
――その「サダ」は、いつもより、少しだけ、やわらかい声でしたわ。
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