番外編-麗華- 第二話「傘のない子」(後半)
☆勝負ですわ
「――ごきげんよう、貞子さん」
「サダ!!」
それから、毎朝が、こうでした。
「――ごきげんよう、貞子さん。今朝も、前髪がご立派ですこと」
「サダだってば!! てか前髪に立派とかある?!」
「――ごきげんよう、貞子さん」
「あんた、人の話聞いてる?!」
「聞いておりますわ。聞いた上で、お呼びしておりますの」
「それ一番たち悪いやつ!!」
五日目の朝。
あの子は、ついに、両手を腰に当てて、わたくしの前に立ちはだかりました。
「……どうしたら、やめてくれんの」
――そこで、わたくしは、一晩かけて考えたことを、申し上げましたの。
「では、勝負いたしましょう」
「……は?」
「わたくしが負けたら、サダさんとお呼びしますわ」
あの子の目が、きらりと光りました。
「……まじ? じゃあ、あたしが負けたら?」
「貞子さん、とお呼びしますわ」
「…………今と変わってないじゃん!!」
「ええ。ですから、貞子さんにとっては、得しかない勝負ですわよ」
「…………たしかに」
あの子は、しばらく考えて、それから、びしっと、指を突きつけました。
「――いいよ。受けてやる。絶対、サダって呼ばせてやるから!」
☆☆☆
第一回戦。
「お供え物を、どちらが可愛く並べられるか」
あの子は、桜庭家のお供えのお菓子を、「映え」とかいう並べ方に。
わたくしは、西園寺家の翡翠羊羹を、屋敷の客間仕込みの盛り付けで。
審査は、鬼塚さんにお願いいたしました。
「……んじゃ、味も見てやるよ」
――二分後。両方とも、きれいになくなっておりました。
「……審査不能だな。引き分け」
「鬼塚さん!!」
「ちょっと!! あたしのいちごミルクまでないんだけど!!」
「――ちなみに、西園寺家の決まりでは、引き分けは、わたくしの勝ちですわ」
「はぁ!? そんなの聞いてないんだけど!?」
「今、申し上げましたわ」
――西園寺家には、そんな決まりはございません。
たった今、できましたの。
護身の術と、同じですわ。
第二回戦。
「寺猫に、どちらが好かれているか」
あの子は、「おいでー、にゃーん」と手を差し出し、わたくしは、美しく正座して、待ちました。
猫は、どちらにも来ず、墓石の上で、大あくびをいたしました。
「……引き分けじゃん」
「いいえ。今のあくびは、わたくしのほうを向いておりましたわ。あくびは、信頼の証ですの」
「絶対うそ!!」
第三回戦。
「どちらが先に、朝の殴り合いを止められるか」
「お二人とも、おやめになって――」
「ちょ、もーやめなよ、二人とも――」
ごっ。ごっ。
「…………」
「…………」
「――西園寺家に伝わる護身の術、ご覧に入れますわ!!」
「――あたしもやる!! いったいんだけど!!」
こうして、三つ巴は、四つ巴になりましたの。
トメさんのお玉じゃくしは、その朝、四つの頭を、公平に叩いてくださいました。
☆☆☆
「……てかさ、あんた、一回も負けてなくない?」
その日の夕方。
十四回戦を終えたところで、あの子は、砂利道に大の字になって、そうおっしゃいました。
「ずるくない? 引き分けが全部あんたの勝ちって、ずるくない?」
「――墓地いちの負けない女の称号は、わたくしのものですわ」
「何それ、いつ決まったの」
「今、決めましたの」
「だろうと思った!!」
――皆様。
わたくしには、負けられない理由がございましたの。
負けたら、あの子を「サダさん」とお呼びしなければならない。
そうなったら、あの子の本当のお名前を、この墓地で呼ぶ者が、また一人、減ってしまう。
ナナシさんのように、いつか、あの子が、自分のお名前を忘れてしまう日が来るかもしれない。
――それだけは、嫌でしたの。
ですから、わたくしは、一度も負けません。
ずるをしてでも。
たった今、決まりを作ってでも。
西園寺の娘としては、たいへんにはしたないことですけれど。
☆納骨の日
十二月の初め。
金木犀はとうに散って、墓地には、乾いた冬の風が吹いておりました。
その日、桜庭家之墓に、あの子のご家族がいらっしゃいました。
穏やかそうなお父様。小さな弟さん。それから、白い布に包まれた箱を、両腕で抱えた、お母様。
墓誌には、新しく、一行が刻まれておりました。
『貞子 令和四年十月 行年十六歳』
「――ママ! パパ! 蒼太!」
あの子は、縁側から飛び降りて、ご家族の周りを、くるくると回りました。
「来てくれたじゃん! てか蒼太、背、伸びた? 伸びてないか。うける。……パパ、ねえ、ネクタイ曲がってるよ。……ママ?」
お母様は、一言も、おっしゃいませんでした。
お経のあいだも。
箱が、墓の中へ納められるあいだも。
線香を立てて、手を合わせるあいだも。
ただ、口をぎゅっと結んで、墓誌の新しい一行を、じっと見つめていらっしゃいました。
その手が、ずっと、震えておりました。
「……ママ、大丈夫だよ。あたし、ここで、けっこう楽しくやってるから。ひいじいちゃん、うるさいけど。……あと、変な大正ロマンもいるけど」
あの子は、笑っておりました。
ずっと、ずっと、笑っておりました。
――あの雪の朝の、わたくしの背筋と、同じお顔で。
☆☆☆
ご家族が、砂利道を山門のほうへ帰っていかれます。
あの子は、その後ろを、小走りに追いかけました。
「――ママ、待って。あたしも――」
山門の手前で。
あの子の体が、見えない壁にぶつかったように、ぴたりと、止まりました。
霊は、山門の外へは出られない。
墓地の霊なら、誰もが知っていること。
でも、あの子は、まだ、知らなかったのです。
「……え。……なんで……」
お母様の背中が、山門の向こうへ、小さくなっていきます。
あの子は、その場に立ち尽くしたまま、動きませんでした。
――その小さな肩が、ふっと、光ったような気がしたのは、わたくしの気のせいだったのかもしれません。
でも、そのとき、わたくしは思ったのです。
――この子は、今、どこかへ行ってしまいそうだ、と。
☆☆☆
やがて、あの子は、ゆっくりと振り返りました。
目が、真っ赤でした。
でも、お顔は、笑っておりました。
「……ねえ、お嬢様」
「……はい」
「……勝負しよ。……今すぐ」
――ああ。
わたくしは、そのとき、ようやくわかりましたの。
この子は、笑っていないと、消えてしまいそうなのだと。
だから、笑うのだと。怒るのだと。
勝負をするのだと。
それは、わたくしが九十年、背筋を伸ばし続けてきたのと、きっと、同じことなのですわ。
「――望むところですわ」
わたくしは、着物の袖をたくし上げて、それから、新しく刻まれた墓誌の一行を、日傘の代わりに、指でびしっと示しました。
「ご覧なさい。お墓に、お名前が刻まれましたわ。――お墓に刻まれたお名前は、呼ばれるためにあるのですわ」
「……刻まなくて、いいのに」
「ですから、勝負ですわ。――貞子さん」
「――サダだってば!!」
あの子のお顔に、ぱっと、血の気が戻りました。
いえ、幽霊ですから、血はございませんけれど。
怒ったお顔。生き生きとした、十六歳の女の子のお顔。
その肩に、もう、あの光は、ありませんでした。
――その日、わたくしは知りましたの。
わたくしの呼び方が、あの子の「重り」になっているのだと。
重りは、悪いものではございません。
ここに、留まるためのものですもの。
その夕方の勝負は、三十二回戦まで続きました。
もちろん、わたくしの全勝ですわ。
墓場は今日も、成仏いたしませんわ。
――ライバル、というものが、できましたの。九十年目にして、初めて。
(番外編-麗華- 第二話 完)
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