番外編-麗華- 第一話「ごきげんよう、を言う相手」(前半)
☆金木犀の季節に、皆様へ
皆様、ごきげんよう。
西園寺麗華でございます。
今年も、寺の金木犀が咲きましたの。
東の角の、あの老木ですわ。
墓地中が甘い香りでいっぱいで、霊の目には、橙色の光の粒が、ふわふわと漂って見えますのよ。
この季節になると、わたくしは、少しだけおかしくなるのだそうです。
トメさんがそうおっしゃいますし、貞子さんにも、毎年指をさされますわ。
ですから、今年は、いっそのこと、おかしいついでに。
皆様に、少し長いお話をしてさしあげようと思いましたの。
――わたくしが、ここで、どなたにも「ごきげんよう」と返していただけなかった頃のお話を。
「……おい、お嬢」
金木犀の陰から、リーゼントがにゅっと突き出てまいりました。
鬼塚さんですわ。
「さっきから、誰と喋ってんだ」
「読者の皆様ですわ」
「……どこにいんだよ、その読者ってのは」
「こちら側ですわ」
「どっち側だよ! っつーか、お嬢、それ、貞子がよくやる、メタな発言ってやつだろ。お嬢までやりだしたら、この墓場、収拾つかねえぞ」
「あら。……わたくし、またメタな発言を、いたしましたかしら」
「自覚してんじゃねえか!!」
鬼塚さんは、ぶつぶつ言いながら、源蔵さんとの朝の殴り合いに戻っていかれました。
――スポーン。
はい、今日も平和ですわね。
では、あらためまして。
これは、皆様がよくご存じの、あの「第一話」よりも、ずっと前のお話。
九十二年前の、雪の朝から始まるお話ですの。
☆昭和九年、雪の朝
サナトリウムの窓から見える屋根に、雪が積もっておりました。
白くて、静かで、音のない朝でした。
胸が苦しいのにも、もう慣れておりました。
熱で霞む目で、わたくしは、窓の外の白い屋根を、ただ、ぼんやりと眺めておりました。
――あの方は、今頃、南の学校で、教壇に立っていらっしゃるのかしら。
最後に考えたのは、そんなことでした。
恨み言では、ありませんでしたのよ。
ただ、知りたかったのです。
あの雨の十五夜、どうして、いらっしゃらなかったのか。
それだけを、知りたかった。
☆☆☆
気がつくと、わたくしは、石畳の上に立っておりました。
目の前に、見覚えのある墓石がありました。
西園寺家之墓。
毎月のお墓参りで、何度も手を合わせた、あの墓石です。
「――まあ、麗華」
振り返ると、墓石の横に、お祖母様が立っていらっしゃいました。
わたくしが十三の年に亡くなった、お祖母様です。
あの頃と同じ、藤色の着物をお召しになって。
「……お祖母、様……?」
「……早すぎますよ、麗華。……ほんとうに、早すぎますよ」
お祖母様は、泣きそうなお顔で、わたくしを抱きしめてくださいました。
あたたかくは、ありませんでした。でも、つめたくもありませんでした。
そのとき、わたくしは、自分が死んだのだということを、すとんと、理解いたしましたの。
不思議と、涙は出ませんでした。
西園寺の娘は、人前で泣いてはなりません。
――お母様の、口癖でしたから。
☆寺猫と、うろ
「――にゃあ」
声がして、見上げると、墓石のてっぺんに、一匹の猫が座っておりました。
黒と茶色のまだら模様。左の前足だけ、靴下を履いたみたいに白くて、右の耳が、少しだけ欠けております。
猫は、わたくしを、じっと見下ろしました。
それから、首を、こてん、と一度かしげて。
大あくびをいたしました。
「……まあ。この子、わたくしが見えておりますの?」
「寺の猫ですよ。生き物の中では、この子だけが、わたくしたちが見えるようなの」
お祖母様が、そう教えてくださいました。
「……ごきげんよう、猫さん」
わたくしは、霊になって初めての「ごきげんよう」を、その猫に申し上げました。
猫は、心の底からどうでもよさそうなお顔で、くるりと丸くなりました。
――それが、わたくしたちの、最初の出会いでしたわ。
ええ、皆様。お察しの通りですの。
この猫が、何を「した」猫なのか。
わたくしがそれを知るのは、これから九十年も先のことです。
知っていたら、その場で、尻尾を結んでさしあげましたのに。
☆☆☆
その日の夕方、わたくしは、墓地の東の角へ参りました。
金木犀の老木は、冬枯れの中で、黙って立っておりました。
胸の高さの、拳が入るくらいのうろ。
郵便受け、でしたの。わたくしと、あの方の。
そっと、のぞいてみました。
枯れ葉と、小枝と、ほこりだけ。
手紙は、ありませんでした。
――そう。
やはり、わたくしは、振られたのですわ。
冬の夕日が、うろの中を、橙色に照らしておりました。
わたくしは、背筋を伸ばしました。
振られた娘が、うつむいて歩くものですか。
西園寺の娘は、どんなときも、顔を上げて、こう申し上げるのです。
「――ごきげんよう」
誰もいない冬の墓地に向かって、わたくしは、そう言いました。
返事は、もちろん、ありませんでした。
最後までお読みいただきありがとうございました。
よろしければ、ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります。




