番外編-伽椰子- 第二話「三回忌は、連絡帳と一緒に。」(中盤)
⭐︎三回忌
十月。
サダのお母さんから、電話があった。
「……伽椰子ちゃん。三回忌、来てくれる? ……あの子も、きっと喜ぶから」
「………………はい…………」
――心の中では、「行きます、絶対行きます、お招きいただいて、ありがとうございます」まで言えていた。
⭐︎⭐︎⭐︎
その日は、朝から、細い雨が降っていた。
私は、紺色の傘を差して、水色の折りたたみ傘を鞄に入れて、山門をくぐった。
――二回目の、敷居。
やっぱり、寒かった。やっぱり、いっぱいいる気がした。それも、三月より、ずっと、たくさん。
――何か、集まっている。
そんな気がした。でも、もう、引き返さなかった。
本堂には、サダのご家族と、親戚の人たちが、少しだけ集まっていた。
おじさんと、おばさんと、蒼太くん。
私は、一番後ろの座布団に、小さくなって座った。
⭐︎⭐︎⭐︎
お経が始まった。
最初は、住職さんだった。
――すごい声だった。
腹の底に、じんわりと響いて。
あたたかいお湯に、肩まで浸かっているみたいな。
しかも、周りの、見えない「いっぱい」も、なんだか、みんなで、とろけているような気がした。
ところが。
途中から、住職さんが、隣の若いお坊さんに、願いを受けるように、小さく頷いた。
――山門の前で、七秒で落ち葉を掃いていた、あのお坊さんだった。
「――かっ、観……自ざいっ……!」
――ずーん。
本堂の空気が、いきなり、重くなった。
私の周りの、見えない「いっぱい」が、いっせいに、がっくりとうなだれたような。
――なんだろう。この感じ。
あの日、山門の外で聞いたお経だ。
裏返って、噛んで、それでも、毎日、読まれているお経。
空気は重かったけれど、私は、なぜか、少しだけ、口元が緩んだ。
――サダも、たぶん、今、一緒にうなだれている。
そんな気がしたから。
⭐︎⭐︎⭐︎
法要のあと。墓前で。
細い雨の中、ご家族が、桜庭家之墓の前に並んだ。
おばさんが、鞄の中から、一冊の薄いノートを取り出した。
――見覚えがあった。
高校の、連絡帳だった。
「……これね。あの朝の、連絡帳なの」
おばさんは、誰にともなく、そう言った。
そして、あるページを開いた。
学校からのお知らせの欄に、先生の字で、一行。
『提出書類の氏名は、表記は戸籍名でお願いします。』
――そして、その横の余白に。
ピンクのペンで、なぐり書きのような、大きな字。
『サダだし!!』
「――――」
私は、息を呑んだ。
「ダ」の濁点が、斜めに傾いていた。
――サダの字だ。
小四のときから、ずっと変わらない、あの斜めの濁点。
あの朝、サダは、これを見て、怒って、この一行を書いて、それから、傘も持たずに、駅へ向かったんだ。
――私との待ち合わせに。
「……あの子の、最後の字なの」
おばさんの指が、ピンクの文字を、そっとなぞった。
「……ずっと、捨てられなくて。でも、持っているのも、辛くて。……だから、あの子に、返そうと思って」
おじさんが、黙って、おばさんの肩に手を置いた。
蒼太くんは、傘の下で、唇を結んで、墓石を睨みつけていた。
おばさんは、連絡帳を、墓石の前に、そっと置いた。
「……貞子。これ、返すね」
それから。
「……あの朝、ママね……」
おばさんは、何かを言いかけた。
口が、少しだけ開いて、震えて、あと少しで、言葉になりそうだった。
でも。
その口は、そのまま、ゆっくりと閉じた。
「……ううん。……なんでもない」
――二月の終わりに、あの居間で見たのと、同じ顔だった。
その続きを、私は、今日も、聞けなかった。
たぶん、私が聞いていい言葉じゃないんだと、思った。
いつか、ちゃんと、サダに届く日が来ればいい。
「……お焚き上げに、いたしましょうか」
住職さんが、穏やかな声で言った。
「……煙になれば、届きますよ」
――その日の夕方、本堂の裏で、連絡帳は、住職さんのお経と一緒に、ゆっくりと焼かれた。
雨は、いつの間にか、上がっていた。
白い煙が、まっすぐに、秋の空へ昇っていった。
それから。
その煙が、ふわりと曲がって、私の前髪を、そっと揺らした。
「………………」
――サダ。
私は、心の中で、呼んだ。
それから、小さな声で、口に出した。
「…………私、今、浪人中………………受かったら…………また、来る…………」
煙が、もう一度、前髪を揺らした。
――たぶん、「はぁ? 浪人? カヤが? うける」って、言われた。
そんな気がした。
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