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墓場ぐらしのサダコさん  作者: 則本潮


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「命日は、成仏日和。」(中盤)

⭐︎命日の朝


日曜日。


祥月命日の朝は、雲ひとつない、快晴だった。


四年前の、あの朝とは、全然違う。

空が高くて、金木犀の香りが、どこまでも澄んでいる。


「……成仏日和、ですわね」


麗華が、空を見上げて、ぽつりと言った。


「……縁起でもないこと言わないでよ」


「……申し訳ございません。……あまりに、いいお天気でしたので」


――ごおん。


本堂の鐘が鳴って、慈念さんの朝のお経が始まった。


最初の一節が、ほんの少しだけ裏返って。

それから先は、まっすぐ。


胃もたれは、やっぱり、来なかった。


そして、お経の最後に。


「……本日は日曜日。……一ノ瀬、隼人さん」


一ノ瀬家之墓の前で、ハヤトさんの背筋が、ぴんと伸びた。


「……それから」


慈念さんの声が、少しだけ、間を置いた。


「……本日は、桜庭貞子さんの、祥月命日です。……桜庭、貞子さん」


――あ。


胸の奥が、ぽっと、あったかくなった。


今日は日曜日で、桜庭家の日じゃないのに。

慈念さんは、ちゃんと、覚えていてくれた。


「……いい小僧じゃのう」


源蔵じいちゃんが、腕を組んで、鼻をすすった。


「……泣くには、まだ早いって、ひいじいちゃん」


――その日は、寺の秋の合同法要の日でもあった。


お昼前から、山門をくぐってくる人が、どんどん増えていく。

檀家さんたち。町内会の人たち。


その中に、見覚えのある顔が、いくつも混じっていた。


「……姉ちゃん。来たよ」


大きなリュックを背負った蒼太が、桜庭家之墓の前に立っていた。

昨日の夜の夜行バスで、東京から帰ってきたらしい。目の下に、ちょっとだけクマがある。


「……蒼太」


「……今日くらいは、ちゃんと来ないとな」


蒼太は、いちごミルクを墓前に置いて、手を合わせた。


「――貞子姉ちゃん」


――うん。


その少しあとに、紺色の傘を差した人影が、山門をくぐってきた。


――快晴なのに、傘。


しかも、鞄の口から、もう一本、水色の折りたたみ傘の柄がのぞいている。


「……カヤ」


伽椰子だった。


「…………第三条、だから」


伽椰子は、誰に言うでもなく、小さくつぶやいて、墓石の前にしゃがんだ。

唇には、あの限定リップの色。


「…………来たよ、貞子」


――うん。来てくれて、ありがとう。


「――まあ、美月さん!」


麗華の声が、跳ね上がった。


西園寺家之墓の前に、美月さんと湊さんが立っていた。

美月さんのお腹は、夏よりも、ずっと大きくなっている。


「……美月さん、そ、そのお体で、法要に……! 湊さん、しっかりお支えなさいまし……! ああ、段差が……段差がございますわ……!」


「麗華、落ち着いて」


「落ち着けるわけがございませんわ! あと二か月で、わたくしの曾孫の、赤ちゃんが……!」


「正確には、もっと遠い親戚だと思うけど」


「細かいことは、よろしいのですわ!」


田村家の悦子さんと健さんも、来ていた。権藤さんも、町内会の法被を着て、受付を手伝っている。北の端には、結衣と哲也さんが、並んで手を合わせていた。


一ノ瀬家之墓の前では、ハヤトさんのお母さんが、今日も、おにぎりを二つ、供えていた。


――みんな、来てくれている。


生きている人たちが、こんなにたくさん、この墓場に。


あたしは、胸がいっぱいになった。


――ふわっ。


「――あ」


「――貞子さん! 足元!」


「――全員、気をつけ!!」


――ぴしっ。すとん。


「……あ、危なかった……」


「……法要が始まる前から、これですのね……」


⭐︎中間審査


午後一時。本堂での合同法要が始まった。


本堂の一番後ろの席に、見覚えのある、厳しい顔のお坊さんが座っていた。


大恩寺さん。本山から来た、慈念さんの審査役。


「……来ておりますわ」


「……うん。中間審査、なんだよね」


本堂の外、縁側の陰に、墓場中の霊が、ぎっしりと集まっていた。


「……いいか、みんな。心の中で、祈るんだ」


鬼塚さんが、真剣な顔で言った。


「――『噛め』、『噛め』ってな」


「……それ、慈念さんの審査的には、最悪じゃない?」


「俺たちの命がかかってんだよ!」


「……もう死んでるけどね」


慈念さんが、経本を開いた。


一度、深く、息を吸う。


「――観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時……」


――噛まなかった。


裏返らなかった。


少しだけ、ハーモニックマイナーに寄った、慈念さんだけの節。

その下で、円海さんの低い声が、根音を支えている。


檀家さんたちが、息を呑んだのがわかった。


――上手い。


びっくりするくらい、上手い。


「「「……噛め……噛め……噛んでくれ……」」」


墓場中の霊が、縁側の陰で、両手を合わせて祈っていた。


でも、慈念さんは、最後まで、一度も噛まなかった。


胃もたれは、一瞬も、来なかった。


代わりに、墓場中の霊の背筋に、あのゾクゾクが、何度も走った。


――ふわ、ふわっ。


「――気をつけ!!」


「――気をつけ!!」


「――き、気をつけ……!」


ふみ先生の号令が、何度も、何度も、縁側の陰に響いた。


法要が終わったあと。


本堂の隅で、大恩寺さんが、円海さんに向かって、ぼそりと言った。


「……型に、心が乗ってきたな」


「……恐れ入ります」


「……だが、まだ荒い。……あと二年じゃ。精進させよ」


大恩寺さんは、それだけ言うと、立ち上がって、本堂を出ていった。


――審査は、それで、終わりだった。


「……あと、二年……」


「……あと二年、上手くなり続けるのかよ……」


縁側の陰で、墓場中の霊が、真っ青になっていた。


慈念さんは、本堂の真ん中で、経本を抱えたまま、ほっとしたように、少しだけ笑っていた。


――その笑顔を見たら、誰も、それ以上、文句は言えなかった。


⭐︎振袖と、二十枚の花びら


法要のあと。


桜庭家之墓の前に、あたしの家族が、そろっていた。


パパと、ママと、蒼太。

それから、少し後ろに、伽椰子。


ママの腕には、大きな風呂敷包みが抱えられていた。


――あ。


春に、見たことがある。


「……貞子。持ってきたよ」


ママは、墓石の前にしゃがんで、ゆっくりと、風呂敷の結び目をほどいた。


淡い桜色の地に、満開の桜の枝。

裾から肩まで、大きく流れる花。

金糸の刺繍が、秋の日差しを受けて、やわらかく光る。


十六歳の夏、ママと一緒に選んだ、あの振袖。


ママは、振袖を広げて、墓石に、そっと掛けた。


まるで、墓石が、振袖を羽織っているみたいに。


「……春は、見せただけで、持って帰っちゃったでしょう。……ごめんね。……まだ、できてなかったの」


「……できて、なかった……?」


ママは、振袖の袖を、そっと手に取った。


それから、袖の内側を、ゆっくりと、表に返した。


「――――」


あたしは、息を呑んだ。


袖の内側に、桜の花びらが、散っていた。


きらきら、光っていた。


金糸じゃない。

もっと、ずっと、きらきらした糸。

ラメの糸だ。


光を受けるたびに、七色に、ちかちかと瞬く、小さな小さな桜の花びら。


そして、その花びらに囲まれた、真ん中に。


同じラメの糸で、少しだけ不格好な字が、縫い取られていた。


『貞子』


「…………」


声が、出なかった。


「……まあ……」


隣で、麗華が、口元を押さえた。


「……貞子さんの、お名前……」


ママは、袖の内側を撫でながら、静かに言った。


「……貞子、昔、言ってたでしょう。『地味じゃない? もっと、きらきらなのがいい』って」


――言った。十六歳の夏。呉服屋さんで。


「……ママ、あのとき、『桜庭でしょ、桜が一番似合うのよ』って、譲らなかったけど」


ママは、少しだけ、笑った。


「……だから、両方にしたの。桜と、きらきら」


――桜と、きらきら。


ママの好きなものと、あたしの好きなもの。


「……花びら、二十枚あるの」


ママの指が、ラメの花びらを、一枚ずつ、なぞっていく。


「……一枚が、一年。……貞子が生まれてから、今年で、二十年だから」


――二十枚。


あたしは、震える指で、花びらを数えた。


一枚、二枚、三枚……十六枚。


あたしが、生きた年。


十七枚目。十八枚目。十九枚目。二十枚目。


――あたしが、いなくなってからの、年。


「……いなくなってからも、ずっと、数えてたの。……貞子、今年で十八ね、十九ね、って。……誕生日が来るたびに」


ママの声は、静かだった。泣いていなかった。ただ、静かだった。


「……二十枚目はね、昨日の夜、やっと、縫い終わったの」


ママが、右手を、少しだけ開いた。


人差し指と、親指に、絆創膏が何枚も、貼られていた。


「…………っ」


――麗華が、お盆に見た、あの絆創膏。


あれは、この花びらを、一枚ずつ、縫っていた跡だったんだ。


「……わたくしの、推理……」


麗華が、日傘を取り落とした。


「……推し活も、恋文も……誰かのお名前が縫ってある、というのは、当たっておりましたのね。……お守りも……着る人のために縫った、というのも。……ステージ衣装みたいに、きらきらしている、というのも……」


麗華の目から、ぽろぽろと、涙がこぼれた。


「……全部、少しずつ、当たっておりましたのね……」


「……麗華」


「……でも、一番大事なところは、一度も、当てられませんでしたわ……。……お母様の、お気持ちだけは……」


あたしは、振袖の袖に縫い取られた、自分の名前を見つめていた。


きらきら光る、ちょっと不格好な、二文字。


『貞子』


――ママが、つけてくれた名前。


誰に何を言われても、まっすぐ貫ける子になってほしいって。


「…………」


涙が、ぽろぽろ、こぼれた。


それから、なぜか、口から、変な言葉が出てきた。


「……きららじゃなくて、よかった……」


「……っ、ふ」


麗華が、泣きながら、吹き出した。


「……そ、そこですの……?」


「……だって……『きらら』って縫ってあったら、絶対、笑っちゃうもん……」


「……っ、ふふ……っ、それは、たしかに……」


泣きながら、笑った。


麗華と二人で、振袖の前で、泣きながら、笑った。


最後までお読みいただきありがとうございました。

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