「墓フェス、開幕。」(後半)
⭐︎本番、首が舞う
八月十五日、午後七時。
本堂の前は、人でいっぱいだった。
町内会のおじさんたち。
浴衣の子どもたち。檀家さんたち。結衣のファンらしい若い人たち。最前列には、蒼太と、伽椰子の姿もある。
「……まあ、美月さん!」
麗華が、日傘を握りしめて、客席の後ろのほうを見た。
美月さんと湊さんが、並んで立っていた。
美月さんのお腹が、少しだけ、ふっくらしている。
「……み、美月さん、このような爆音の場所は、お体に障りますわ……! 湊さん、もう少し後ろに……いえ、椅子を……誰か、椅子を……!」
「麗華、聞こえてないから」
「わかっておりますわ! わかっておりますけれど……!」
麗華は、ライブが始まる前から、そわそわが止まらなかった。
――そして、ステージの袖に、哲也さんが、腕を組んで立っていた。
北の端から出てきた雷太さんは、宣言通り、ステージの一番前に陣取っていた。
「――それでは、開演前に、読経をいたします」
慈念さんが、ステージの中央に座った。
その後ろで、円海さんが、ベースを膝に構えている。
――ごおん。
おりんが鳴って、慈念さんの声が、夏の夜空に響いた。
「――観自在菩薩……」
少しだけ半音ずれた、ハーモニックマイナーの節。そこに、円海さんのベースが、低く、太く、根音を足していく。
――ゾクゾクッ。
墓場中の霊の背筋に、あの感覚が走った。胃もたれじゃない。成仏でもない。
「……こ、これは……」
「……来たっすね……」
――そして、読経の最後の一音が消えた瞬間。
「――こんばんは、天野結衣です!!」
黒いワンピースのラメが、ステージのライトを受けて、星みたいに光った。
結衣のギターが、うなりを上げる。
円海さんのベースが、地面を揺らす。
慈念さんが、なぜか木魚を叩いて、ドラムの代わりをしている。
「「「うおおおおおおおっ!!」」」
生きている人たちの歓声。
そして、それに負けないくらいの、幽霊たちの歓声。
「――いくぞおおおお!!」
鬼塚さんが、最前列で、ヘッドバンギングを始めた。
――スポーン。
首が、飛んだ。
「俺もだぁぁぁ!!」
源蔵じいちゃんも、頭を振り始めた。
――スポーン。
「わ、わしもじゃ!」
清一さんまで、控えめに頭を揺らしている。
――スポーン。スポーン。スポポポーン。
一曲目のサビで、首が、二十個、夏の夜空を舞った。
「……前より、めちゃくちゃ増えてる……」
「記録更新、ですわね……!」
首が、雨みたいに降ってくる。
みんな、手探りで、落ちてきた首を拾って、自分の体に、すぽん、すぽん、とはめていく。
「――おい、これ、俺の首じゃねえぞ!!」
鬼塚さんの体の上に、源蔵じいちゃんの首が乗っていた。
「わしの体に、リーゼントが乗っとるぞぉ!!」
源蔵じいちゃんの体の上に、鬼塚さんの首が乗っていた。
「「――返せぇぇぇ!!」」
首の取り違え事件、発生。
「――列を乱さない!! 背の順に並びなさい!!」
ふみ先生の声が響いた。
――でも、爆音に、かき消された。
「……聞こえておりませんわ、ふみ先生……」
「……ライブで背の順は、無理だって言ったじゃん……」
「ワンワンワンッ!!」
ごまは、音楽に合わせて、全力で尻尾を振っていた。
――ふわっ。
「あ、ごまちゃん!」
ごまの足元が、光った。
感動しやすい子だ。
尻尾をぶんぶん振りながら、幸せそうな顔で、昇っていく。
その横で、ハヤトさんが、両手で四角い枠を作って、ステージに向けていた。
「……ハヤトさん、何してんの」
「……撮影っす。……スマホ、ないんで。……心のシャッター、っす」
「……切ってるんだ、心のシャッター」
「……めっちゃ切ってるっす」
――そのとき。
二曲目のイントロで、最前列の伽椰子の喉が、鳴った。
「――ア゛ア゛ア゛ア゛……」
緊張か、興奮か。たぶん、両方だ。
隣の人が、びくっと振り返った。
――でも、一番びっくりしていたのは、ステージの一番前にいた、雷太さんだった。
「……おい」
雷太さんは、伽椰子を振り返った。
「……あの子、デスボイスの才能あるぞ」
「……カヤが?」
「喉の奥の、あの潰し方。……練習して出せる音じゃねえ。……天性だ」
雷太さんは、本気で感心していた。
「……いつか、ちゃんと教えてやりてえな」
「……カヤ、たぶん、ものすごく嫌がると思う」
――三曲目。
盛り上がりは、最高潮に達していた。
「「「うおおおおおおおおっ!!」」」
――ふわっ。
「……あ」
足元が、光った。
あたしだけじゃない。
墓場中の霊の足元が、いっせいに、光り始めていた。
「――ちょ、ちょっと、まずい!! みんな、浮いてる!!」
「楽しすぎて、成仏しかけておりますわ……!」
体が、ふわりと、浮き上がる。
ステージの屋根の高さ。
本堂の屋根の高さ。
「――全員、気をつけ!!!」
ふみ先生の号令が、響いた。
――でも、やっぱり、爆音に、かき消された。
「……き、聞こえません、先生ぇぇぇ!!」
「……私の号令が、届かないとは……」
ふみ先生まで、浮いていた。
慈念さんは、木魚を叩くのに必死で、お経どころじゃない。
そもそも、今の慈念さんのお経じゃ、もう、胃もたれは来ない。
「――誰か!! 誰か、止めてぇぇぇ!!」
――そのとき。
円海さんが、ベースを弾きながら、ステージの上で、一歩、後ろに下がった。
その背中が、結衣のマイクスタンドにぶつかった。
マイクが、くるりと向きを変えて、円海さんのベースアンプの、真正面を向く。
――キイイイイイイイイインッ!!
「「「――――っ!!!」」」
耳をつんざくような、ハウリング。
生きている人たちが、いっせいに耳を押さえた。
そして、あたしたちは――
ドゴシャアアアアアッ!!
本堂の前の砂利道に、幽霊の山ができた。
「……い、今の、何……」
「……み、耳が……いや、耳はないけど……キーンって……」
「……胃もたれとは違う……気持ち悪さ、ですわ……」
「――す、すみません!! すみません!!」
円海さんが、慌ててマイクの向きを直していた。
結衣が、苦笑いしながら、客席に手を振る。
「……ははっ」
幽霊の山のてっぺんで、雷太さんが、笑っていた。
「……なるほどな。……解決しねえ音なら、なんでもいいんだ」
⭐︎三十三年遅れの一曲
四曲目が終わると、結衣は、ギターを持ち替えた。
――古い、エレキギター。
哲也さんの楽器店から、借りてきたままの、あのギターだ。
円海さんと慈念さんが、静かに、ステージの後ろに下がる。
ステージの真ん中に、結衣が一人で立った。
「……次の曲は、少しだけ、お話をさせてください」
結衣は、マイクに向かって、ゆっくりと話し始めた。
「……私の祖父は、若い頃、バンドをやっていました。『冥土インヘヴン』っていう、ヘヴィメタルのバンドです。……たぶん、誰も知らないと思います」
――北の端の主が、ステージの一番前で、前髪を揺らした。
「そのバンドのギタリストが、この墓地に眠っています。……三十三年前、メンバーと喧嘩して、その夜のうちに、事故で亡くなりました」
客席が、しんと静まった。
「……その人は、喧嘩をしたその夜に、一本のテープを残していました。……自分のわがままと、仲間の言い分の、ちょうど真ん中くらいのリフ。……でも、そのリフには、続きがありませんでした」
結衣は、ステージの袖を、ちらりと見た。
哲也さんが、腕を組んだまま、うつむいていた。
「……一年かけて、続きを書きました。……祖父に、歌い方を教わりながら」
結衣は、少しだけ笑った。
「――顔で感じろ、って」
――北の端の主が、長い前髪の奥で、ぎゅっと、目を閉じた。
「……聴いてください。『まんなか』」
――ジャーン。
古いギターが、鳴った。
テープと同じ、あのリフ。
ハーモニックマイナーの骨格を残した、少しだけ丸い音。
でも、テープよりも、ずっと、今の音だった。
結衣が、歌い出す。
『意地っ張りな ぼくと
正しすぎる きみの
ちょうど まんなかで
まだ 鳴ってる 音がある』
――眉間に、ほんの少しだけ、しわを寄せて。
顔で、感じて。
「…………」
墓場中の霊が、動けなくなっていた。
さっきまで首を飛ばしていた鬼塚さんも、源蔵じいちゃんも、誰も、頭を振らなかった。
ただ、じっと、聴いていた。
四小節目。テープでは、雷太さんの指が止まっていたところ。
結衣は、止まらなかった。
リフが、続いていく。雷太さんの知らない続き。でも、雷太さんのリフから、まっすぐに伸びていく続き。
『届かなかった 朝の
続きを ぼくが 弾くよ
きみの 知らない 今で
きみの 知ってる 音で』
――ステージの一番前で、雷太さんの指が、ぴく、と動いた。
弾きたい。
きっと、今、世界で一番、弾きたい。
でも、雷太さんは、見えないギターの弦を、手のひらで押さえたまま、弾かなかった。
ただ、聴いていた。一番前で。
――ふわっ。
「……っ、雷太さん」
雷太さんの足元が、光っていた。
さっきの、楽しすぎて浮いたときとは、違う光。もっと静かで、もっと白くて、もっと、まっすぐな光。
――三十三年、届けられなかったリフ。その続きが、今、ここで鳴っている。
雷太さんの、最後の未練が、ほどけようとしていた。
「……ら、雷太さん……!」
あたしは、声を上げかけて、止まった。
――止められない。
今、この曲を止めることなんて、誰にもできない。
雷太さんの体が、ゆっくりと、浮き上がっていく。
ステージの高さ。本堂の屋根の高さ。
雷太さんは、昇りながら、ずっと、結衣を見下ろしていた。
最後のサビ。
結衣の声が、夏の夜空に、まっすぐ伸びていく。
そして、最後のフレーズ。
ギターが、最後の音に向かって、上がっていく。
主音の、半音下。
――ハーモニックマイナーの、導音。
解決したがっている音。次の一音で、きれいに終わるはずの音。
結衣の指が、その音を、鳴らした。
――そして。
止まった。
次の一音は、鳴らなかった。
解決しないまま。
導音の響きだけが、夏の夜空に、ふわりと、宙ぶらりんに、残った。
「…………」
――すとん。
本堂の屋根の上から、雷太さんが、落ちてきた。
静かに、まっすぐ、ステージの一番前の、元の場所に。
「……っ」
ステージの袖で、哲也さんが、組んでいた腕を、ほどいていた。
その顔が、くしゃくしゃに、歪んでいた。
「……教えてねえのに」
哲也さんの声が、震えていた。
「……それだけは、教えてねえのに。……あいつと、同じ終わり方だ」
――雷太さんの曲は、いつも、最後が解決しなかった。
「終わらせたら、続きがなくなるだろ」って。
哲也さんは、そのことを、結衣に一度も話していなかった。
なのに、結衣は、自分で、そこにたどり着いた。
テープと、哲也さんの歌い方と、自分の顔で、感じて。
――一瞬の静寂のあと。
「「「うおおおおおおおおおっ!!」」」
客席から、割れるような拍手が起きた。
結衣は、ギターを抱えたまま、少し照れくさそうに、マイクに向かった。
「……最後の音、わざと、残しました。……なんか、あそこで終わらせたら、続きがなくなっちゃう気がして」
――北の端の主が、両手で、顔を覆った。
「……っ、ばーか……」
雷太さんの声が、泣いていた。
「……俺たちの曲が……今の時代に、生まれやがった……」
そして、ステージの袖で。
哲也さんが、夜空を見上げて、同じことを、つぶやいていた。
「……雷太。……聴いてたか。……俺たちの曲が、今の時代に、生まれたぞ」
線香の煙が、ステージの脇で、ふわりと曲がった。
哲也さんの頬を、そっと、撫でていった。
――あたしの隣で、麗華が、日傘で顔を隠して、ぼろぼろ泣いていた。
「……エ、エ……」
「……麗華、今日は、いいよ」
「……え?」
「今日は、雷太さん、ちゃんと、地面にいるから」
麗華は、日傘を下ろして、涙でぐしゃぐしゃの顔で、言った。
「――エモい、ですわ……!」
――ふわっ。
墓場中の霊が、三センチ浮いて。
「――キイイインッ」
鬼塚さんが、口でハウリングの真似をした。
――すとん。
全員、着地した。
「……それ、効くんだ」
「……解決しねえ音なら、なんでもいいんだろ」
⭐︎アンコール
「――アンコール!! アンコール!!」
客席から、声が上がった。
蒼太も、伽椰子も、美月さんも、湊さんも、手を叩いている。
そして、それに負けないくらいの声で、墓場中の霊も、叫んでいた。
「「「アンコール!! アンコール!!」」」
結衣が、もう一度、ステージの真ん中に戻ってきた。
今度は、アコースティックギター。
「……最後は、この曲で」
結衣は、少しだけ、北の端のほうを見た。
「――『届くと信じて』」
優しいイントロが、流れ出した。
結衣が、デビューしてから、一番たくさんの人に届いた、あのバラード。
ヘッドバンギングは、なかった。首も、飛ばなかった。
墓場中の霊が、ゆらゆらと、体を揺らしながら、聴いていた。
生きている人たちも、同じように、揺れていた。
――そして、ステージの一番前で。
雷太さんが、見えないギターを、そっと、構えた。
「……雷太さん、弾くの?」
「……こっちは、もう、一緒に作った曲だからな」
雷太さんの指が、弦をなぞる。
音は、もちろん、誰にも聞こえない。
でも、結衣のアコースティックギターの弦が、ほんの少しだけ、震えた。
結衣が、歌いながら、ふっと、笑った。
「……いい風」
マイクに乗らないくらいの、小さな声だった。
――あたしは、ステージの一番前で、二人のギターを聴いていた。
届かないはずの音と、届いている音。
その二つが、夏の夜の真ん中で、ぴったりと、重なっていた。
曲が終わって、最後に、慈念さんが、そっと、おりんを一つ、鳴らした。
――ちん。
「……続きは、また今度だな」
雷太さんが、小さく、つぶやいた。
ライブが終わって、ステージの片付けが始まったころ。
結衣は、円海さんの前で、深々と頭を下げていた。
「――来年も、ここでやらせてください」
円海さんは、ゆったりと笑って、頷いた。
「……ベースは、わしが弾こう」
――その夜遅く。
本堂の裏で、慈念さんが、スマホを耳に当てていた。
「……もしもし。夜分に失礼いたします。慈念です。……大恩寺さま、ご相談がありまして」
慈念さんは、少し言いにくそうに、続けた。
「……最近、お経が、少しずつ上手くなってきたんですが。……上手くなると、困る人たちがいるんです」
――電話の向こうが、黙った。
「……いえ、あの、その、うまく説明できないんですが……」
長い、長い沈黙。
「……もしもし? 大恩寺さま?」
――ツー、ツー、ツー。
「……切られた……」
慈念さんは、夜空を見上げて、深いため息をついた。
⭐︎送り火
八月十六日。
――ごおん。
「――かっ、観……自ざいっ……!」
「「「「……チッ」」」」
朝のお勤めは、やっぱり、ちょっとだけ下手だった。胃もたれは、軽い。
「……昨日の夜は、あんなに上手かったのにね」
「……ステージと勤行は、別物らしいっすね」
そして、お経の最後に。
「……本日は木曜日。……轟、雷太さん」
北の端で、雷太さんが、見えないギターを、ぽろん、と一つ鳴らした。
――その日の夕方。
墓地のあちこちで、送り火が焚かれた。
ご先祖様を、あの世に送り返す火。家族たちが、墓前で、小さな火を見つめている。
「――今日こそ、この牛の出番じゃ!」
源蔵じいちゃんが、ナスの牛にまたがっていた。
「……ひいじいちゃん、どこ行くの」
「……どこにも行けん。……山門から出られんからのう」
「……じゃあ、なんで乗ってるの」
「……ゆっくり、墓地を一周するんじゃ。……たまには、ええじゃろう」
一歩。
……一歩。
ナスの牛は、今日も、ものすごく遅かった。
でも、源蔵じいちゃんは、満足そうだった。
「――姉ちゃん」
桜庭家之墓の前に、リュックを背負った蒼太が立っていた。
「……明日、東京に戻る」
蒼太は、送り火の小さな炎を見つめながら、言った。
「……ステージ、ちゃんと揺れなかったな。……なんか、誰かに教わってた気がするんだよ。変な話だけど」
――源蔵じいちゃんが、ナスの牛の上で、また泣いていた。
「……正月に、また来る」
蒼太は、少しだけ照れくさそうに、墓石を見上げた。
「――貞子姉ちゃん」
――うん。
「……いってらっしゃい、蒼太」
送り火の煙が、ふわりと曲がって、蒼太の髪を、そっと揺らした。
蒼太の背中が、山門の向こうに、消えていく。
北の端からは、見えないギターの音が、聞こえていた。解決しないまま、宙ぶらりんに残る、あの最後の一音。
墓石の上では、おはぎが、今日も、心の底からどうでもよさそうな顔で、大あくびをしていた。
――送り火の煙の向こうで、夕焼けの空が、少しだけ、秋の色をしていた。
もうすぐ、あの季節が来る。
墓場は今日も、成仏しない。
そして、北の端からは、今日も、終わらない音が聞こえている。
(第十七話 完)
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