「墓フェス、開幕。」(中盤)
⭐︎真ん中のリフ
その夜。
北の端の、轟家之墓の前に、二人分の人影があった。
天野結衣と、おじいさんの哲也さん。
結衣は、古いギターケースを背負っている。
哲也さんの手には、小さなカセットプレイヤー。
「――雷太。……お盆だから、来たぞ」
哲也さんは、墓石の前に、缶ビールを一本置いた。
それから、ぎこちなく、手を合わせた。
――北の端の暗がりで、雷太さんが、じっと二人を見ていた。
あたしと麗華は、少し離れた墓石の陰から、その様子を見守っていた。
「……おじいちゃん。聴いて、いい?」
「……ああ」
結衣が、カセットプレイヤーの再生ボタンを押した。
『……あー、テスト、テスト。……哲也、聞こえてっか』
三十三年前の、雷太さんの声。
それから、ギターの音。
ハーモニックマイナーの骨格を残したまま、少しだけ丸くなった、あのリフ。
――俺のわがままと、お前らの言い分の、真ん中くらいの、リフだ。
雷太さんが、喧嘩別れしたその夜に作って、翌朝、スタジオに持っていくはずだったリフ。
届けられないまま、雷太さんは、事故で死んだ。
だから、この曲には、続きがない。
『……じゃあな』
テープが、止まった。
結衣は、ギターを膝に抱えたまま、しばらく黙っていた。
「……一年、ずっとやってるんだけどさ」
結衣が、ぽつりと言った。
「このリフの続き、どうしても書けないの。……何回書いても、雷太さんの曲の真似になるか、私の曲になっちゃうかの、どっちか。……真ん中に、ならない」
結衣は、ギターを、ぽろん、と鳴らした。テープと同じリフ。でも、四小節目で、指が止まる。
「……明日のライブで、歌いたいのに」
「……」
哲也さんは、黙って、缶ビールのプルタブを開けた。自分では飲まずに、墓石の前に、そっと置き直す。
「……結衣」
「うん」
「……俺には、この曲は、完成させられねえ」
結衣が、顔を上げた。
「……俺は、あいつの横で、歌ってただけだ。……あいつの頭の中にあった続きなんか、わかりゃしねえ。……わかるふりして書いたら、それこそ、あいつに怒られる」
哲也さんは、墓石を見上げた。
「――だから、お前がやれ」
「……え」
「俺が教えられるのは、歌い方だけだ。……それでいいなら、今から教えてやる」
――北の端で、雷太さんが、ぎゅっと、拳を握りしめた。
⭐︎顔で感じろ
「――じゃあ、まず、今のフレーズ、歌ってみろ」
哲也さんは、墓石の前にあぐらをかいた。
結衣が、ギターを構えて、歌い出す。
さすが、デビューした歌手だ。
音程は完璧で、声もきれいだった。
――なのに。
「……止めろ」
哲也さんが、手を上げた。
「……え、今の、だめだった?」
「音は合ってる。……でも、全然、届かねえ」
哲也さんは、自分の顔を、指でとんとんと叩いた。
「――顔で感じろ」
「……は?」
「顔で感じろ、っつってんだ」
結衣が、ぽかんと口を開けた。
あたしも、ぽかんと口を開けた。
――そのとき。
「――それ、俺のセリフじゃねえかぁぁぁ!!」
北の端で、雷太さんが、叫んだ。
「……え、雷太さんの!?」
「俺が、あいつに毎日言ってたやつだ!! あいつ、音程ばっか気にして、顔が死んでたからよ!! 『顔で感じろ、哲也』って!! 三十年以上前の話だぞ!!」
雷太さんは、墓石の陰で、頭をかきむしっていた。
「……あいつ、それ、覚えてやがったのか……」
「……っていうか、自分の孫に、使ってるね」
「……使ってやがるな……」
雷太さんの声が、少しだけ、震えていた。
「……おじいちゃん、顔で感じろって、どういうこと?」
「……歌ってのはな、喉で歌うんじゃねえ。顔に出るんだ」
哲也さんは、真剣な顔で言った。
「顔が嘘ついてたら、声も嘘になる。……悲しい歌なら、悲しい顔。怒ってる歌なら、怒ってる顔。……やってみろ」
哲也さんは、お手本を見せるように、ぐっと眉間にしわを寄せた。
口の端を歪めて、目をかっと見開く。
――ものすごい顔だった。
「……ぶっ」
結衣が、吹き出した。
「ちょ、おじいちゃん、その顔、怖いって!」
「笑うな! これが、ロックの顔だ!」
――墓石の陰で、墓場中の霊が、いっせいに、哲也さんの顔を真似し始めた。
「……こ、こうか?」
鬼塚さんが、眉間にしわを寄せた。
もともと怖い顔が、三倍くらい怖くなった。
「こうじゃな!」
源蔵じいちゃんが、目をかっと見開いた。
怖いというより、びっくりした狸みたいな顔になった。
「……顔の体操、ですか」
ふみ先生まで、真顔で、眉を上下させている。
「ワンッ!」
ごまは、尻尾を振りながら、とびきりの笑顔だった。ロックの顔ではない。
「……麗華は、やらないの?」
「淑女は、顔で感じたりいたしませんわ」
麗華は、日傘で顔を隠した。
――日傘の隙間から、ちょっとだけ、眉間にしわが寄っているのが見えた。
「……やってるじゃん」
「や、やっておりませんわ!」
結衣は、お腹を抱えて、笑っていた。
笑って、笑って、それから、涙をぬぐって、もう一度、ギターを構えた。
さっきより、肩の力が抜けていた。
「……じゃあ、もう一回」
結衣は、目を閉じた。
眉間に、ほんの少しだけしわを寄せる。哲也さんほどじゃない。でも、ちゃんと、何かを感じている顔。
歌い出す。
――さっきと、同じフレーズ。同じ音程。
なのに、全然、違った。
声が、まっすぐ、胸に届いてくる。
「…………」
哲也さんは、黙って、聴いていた。
歌い終わると、少しだけ、鼻をすすった。
「……ああ。……今のだ」
哲也さんは、墓石のほうを向いて、小さく言った。
「……雷太。……お前に、毎日、言われたっけな」
――北の端で、雷太さんが、長い前髪で、顔を隠していた。
レッスンは、夜遅くまで続いた。
腹の支え方。息継ぎの場所。サビの前に、一瞬だけ、声を引く間。
哲也さんは、三十三年、誰にも教えなかったことを、一つずつ、結衣に渡していった。
そして、最後に、必ず言った。
「――顔で感じろ」
⭐︎雷太の決心
八月十五日。本番の日の朝。
本堂の脇に、結衣の衣装が届いた。
黒いワンピース。胸元から裾にかけて、細かいラメが、星みたいに散りばめられている。
「……まあ……!」
麗華が、衣装の前で、目を輝かせた。
「ラメ、ですわ! きらきらですわ!」
「……麗華、また何か思いついた顔してる」
「――わかりましたわ、貞子さん!」
「……だから、今度は何」
「あの振袖の、袖の内側の、きらきらしたラメ糸。……あれは、ステージ衣装ですわ!」
「……ステージ衣装?」
「ええ! お母様は、貞子さんを、アイドルとしてデビューさせるおつもりなのですわ! 振袖に、ラメの刺繍を施して、晴れ着を、ステージ衣装に改造なさっているのですわ!」
「……あたし、もう死んでるんだけど」
「――あっ」
麗華は、日傘を取り落とした。
「……そ、そうでしたわ……。デビューは、少々、難しゅうございますわね……」
「少々どころじゃないってば」
――麗華探偵、本日も、推理、外れ。
でも。
「……まあ、でも、きらきらなのは、ちょっと好きかも」
あたしは、結衣の衣装のラメを見つめながら、つぶやいた。
「生きてた頃、ずっと、きらきらしたのが好きだったからさ。……ママには、派手すぎるって、いつも怒られてたけど」
「…………」
麗華は、日傘を拾い上げて、しばらく、黙っていた。
「……貞子さん。昨日、お盆のお参りに、お母様がいらしたでしょう」
「うん。パパと一緒に。キュウリの馬、パパが作ったやつ」
「……お母様の指先に、絆創膏が、何枚も貼ってございましたわ」
「……え?」
「右手の、人差し指と、親指に。……お料理の怪我にしては、少し、多すぎましたわ」
麗華は、何かを考えるように、日傘の柄を、指先でなぞった。
「……いえ。気のせいかもしれませんわね」
――あたしは、そのとき、まだ、何も気づいていなかった。
――お昼過ぎ。
あたしと麗華は、北の端の、轟家之墓に向かった。
雷太さんは、墓石の前に座って、見えないギターを、膝に抱えていた。
その指が、ぴく、ぴく、と、動いている。
弾きたくて、しかたない指。
「……雷太さん」
「……おう」
「……結衣ちゃんの曲、手伝ってあげないの?」
前に、結衣が曲作りで壁にぶつかっていたとき、雷太さんは、こっそり、結衣のギターの弦を、ほんの少しだけ震わせて、メロディを届けた。
あの『届くと信じて』は、そうやって生まれた曲だ。
「……今度は、やらねえ」
雷太さんは、きっぱりと言った。
「……あのリフは、俺が途中で放り出したもんだ。……俺が続きを弾いたら、それは、俺の曲になっちまう」
雷太さんは、見えないギターの弦を、そっと手のひらで押さえた。
「……あれは、結衣の曲にならなきゃいけねえんだ。……哲也の歌い方と、結衣の声と、今の時代の音で。……俺たちの頃の曲じゃなくて」
「……雷太さん」
「……手ぇ出したら、また、あいつらを試すことになる。……三十三年前と、同じ失敗は、しねえよ」
雷太さんは、長い前髪の奥で、少しだけ笑った。
「――だから、今回は、聴くだけだ」
麗華が、日傘を、そっと雷太さんのほうに傾けた。
「……見守るのも、いちばん近くで、ですわね」
「……ああ。……一番前で、聴いてやる」
雷太さんの指は、まだ、ぴく、ぴく、と動いていた。
でも、その指は、最後まで、弦を弾かなかった。
最後までお読みいただきありがとうございました。
なかなか3000文字で書けないもんだ。
よろしければ、ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります。




