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墓場ぐらしのサダコさん  作者: 則本潮


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「雨の日の、同盟規約。」(後半)

⭐︎雨の夜、待たせた側の二人


その夜も、雨は、やまなかった。


あたしは、墓地の奥の、金木犀の老木の下に座っていた。

六月の金木犀には、花がない。

濃い緑の葉っぱが、雨に打たれて、ぱらぱらと鳴っているだけだ。


「――やはり、ここにいらしたのね」


白い日傘が、ふわりと、隣に開いた。


「……麗華」


「縁側にいらっしゃらないと、トメさんが心配なさっておりましたわ」


麗華は、あたしの隣に、きちんと正座した。

日傘を、あたしのほうに、少しだけ傾ける。


しばらく、二人で、黙って雨の音を聞いていた。


「……ねえ、麗華」


「なんですの」


「……カヤ、大人になってたね」


大学のサークルに入って。後輩ができて。

先輩って呼ばれて。お化粧をして。

噛みながらでも、ちゃんと、人前で説明をして。


「……あたしが知ってるカヤは、教室の端っこで、前髪で顔隠して、本読んでる子だったのに」


「……ええ」


「あたしだけ、十六歳のまま、止まってるのに。……カヤは、どんどん、先に行っちゃう」


膝を抱える腕に、力が入った。


「……明日の話も、きっと、そういう話なんだよ。彼氏とか、就職とか、引っ越しとか。……カヤが、もっと遠くに行っちゃう話」


「……貞子さん」


「……わかってるんだよ。喜ばなきゃいけないって。蒼太のときと、同じ。……でも」


――でも、置いていかれるのは、怖い。


言葉にしたら、本当になりそうで、あたしは、それ以上、言えなかった。


麗華は、日傘の柄を、指先で、そっとなぞった。


「……百年前の、秋のことでしたわ」


「……え?」


「蒼一郎さんと、約束をいたしましたの。……十五夜に、金木犀の下で、と」


――麗華の、叶わなかった恋。


美月さんと湊さんが持ってきた、あの詩集。

最後の頁の、下手な字。

『あの夜、駅の金木犀の下で朝まで待っていました』。


「……わたくしは、お寺の金木犀の下で、朝まで待っておりました。……蒼一郎さんは、駅前の金木犀の下で、同じように、朝まで。……場所を変えるというお手紙が、わたくしに届いていなかったのですわ」


麗華は、頭上の、花のない金木犀を見上げた。


「ですから、わたくしには、少しだけわかりますの。……貞子さんのお胸の痛みが、どこから来ているのか」


「……」


「わたくしは、待っていた側で、同時に、知らないうちに蒼一郎さんを一晩中待たせていた側でもありましたの。……貞子さんも、わたくしも。……待たせた側、ですわ」


――待たせた側。


あの雨の朝。駅で、一時間、あたしを待っていた伽椰子。


「待たせた側はね、貞子さん。……もう、一緒には歩けませんの。ですから、見送ることしか、できませんのよ」


麗華は、あたしのほうを向いて、静かに微笑んだ。


「でも、それは、置いていかれることとは、違いますわ。……見送るというのは、相手が前に進むのを、いちばん近くで、見ていられるということですもの」


「……いちばん、近くで」


「ええ。兄の子も、孫も、曾孫の美月さんも。……わたくしは、この墓場から、ずっと、見送ってまいりましたの。……悪くない眺めでしたわよ」


あたしは、麗華の横顔を、じっと見つめた。


それから、ぽつりと言った。


「……麗華って、たまに、すっごくいいこと言うよね」


「たまに、は余計ですわ」


麗華は、ぷいっと、そっぽを向いた。


それから、日傘で顔を半分隠して、小さな声で言った。


「……それに。……わたくしも、少しだけ、妬いておりましたのよ」


「……え? 小野寺くんに?」


「違いますわ。……月島さんに、ですわ」


「――え」


「……九十七年、この墓場におりまして。……お友達と呼べる方ができたのは、貞子さんが、初めてですもの」


雨の音が、少しだけ、遠くなった。


「……月島さんのお話をなさるときの貞子さんは、わたくしには見せないお顔をなさいますの。……ほんの少しだけ、悔しいのですわ」


麗華の耳が、日傘の陰で、真っ赤になっていた。


「……麗華」


「……な、なんですの。笑いたければ、お笑いなさいな」


「……ううん。笑わない」


あたしは、麗華の手を、ぎゅっと握った。

幽霊同士だから、ちゃんと、握れる。


「……麗華も、あたしの親友だよ。……ライバルで、親友」


「…………っ」


麗華の目から、ぽろっと、涙がこぼれた。


「……そ、そういうことを、急におっしゃらないでくださいまし……」


「麗華が先に言ったんじゃん」


「わ、わたくしは、妬いていたと申しただけで……っ、うう……これは……これは、もう……」


――あ、まずい。


「――エモい、ですわ……!」


――ふわっ。


あたしと麗華の足元が、同時に、光った。


「ちょ、ちょっと麗華!!」


「も、申し訳ございませんわぁぁぁ!!」


手をつないだまま、二人の体が、ふわりと浮き上がる。金木犀の枝の高さ。本堂の屋根の高さ。


「――ふみ先生!! 気をつけ、お願い!!」


「……ふみ先生は、夜九時には、ご就寝なさいますわ……」


「規則正しすぎるでしょ!!」


慈念さんも、もう寝ている時間だ。誰も、止められない。


雨の中を、あたしと麗華は、手をつないだまま、どんどん昇っていった。


「……ど、どうしましょう、貞子さん……!」


「と、とにかく、なんか、嫌なこと考えて!」


「嫌なこと……」


麗華は、少し考えて、それから、ちらりと、あたしの足元を見た。


「……ところで、貞子さん。わたくしのほうが、少しだけ、高く浮いておりますわね」


「――は?」


「ほら。わたくしのつま先のほうが、貞子さんの頭一つ分、上ですわ。……霊歴の差、でしょうか」


「いやいや、麗華が正座のまま浮いてるから、そう見えるだけでしょ。あたしのほうが上だし」


「いいえ、わたくしのほうが上ですわ」


「あたしのほう!」


「わたくしですわ!」


「あたし!!」


「わたくし!!」


――むかっ。


――ずしっ。


「「――あ」」


二人同時に、体が、重くなった。


ドゴシャアアッ!!


金木犀の根元に、あたしと麗華は、手をつないだまま、仲良く、頭から突き刺さった。


「……い、いた……くないけど……」


「……わ、わたくしたち……喧嘩で、落ちましたのね……」


泥だらけ――の気分で、顔を見合わせる。


それから、どちらからともなく、吹き出した。


「……あはは! なにそれ!」


「……ふふっ、お、おかしいですわ……! ライバルで、よろしゅうございましたわね……!」


雨の夜の墓場に、二人分の笑い声が響いた。


――怖いのは、まだ、ちょっとだけ、残ってる。


でも、明日、カヤが何を言っても、ちゃんと、いちばん近くで、見送ろうと思った。


⭐︎改訂案


月曜日。朝から、やっぱり雨だった。


「――かっ、観……自ざいっ……!」


「「「「……チッ」」」」


胃もたれは、今日も、軽い。


そして、お経の最後に。


「……本日は月曜日。……桜庭、貞子さん」


――うん。ここにいるよ。


午後三時。


山門の向こうから、紺色の傘が一本、近づいてきた。


今日は、一人分の足音。


伽椰子は、桜庭家之墓の前で、傘を差したまま、しばらく立っていた。

肩にかけた鞄の口から、折りたたみ傘の柄が、のぞいている。


それから、鞄の中から、一冊のノートを取り出した。


大学ノート。表紙に、油性ペンで、丁寧な字が書いてあった。


『改名同盟規約・改訂案』


「……え」


「……規約、ですの?」


縁側の陰で、麗華が、首をかしげた。

その後ろに、ハヤトさんと、ごまと、なぜか、墓場中の霊が、ぎっしり隠れている。


伽椰子は、ノートを開いて、背筋を伸ばした。


大きく、息を吸う。


「――ア゛ア゛ア゛……」


「「「ひいっ」」」


「…………っ、ご、ごめん。……き、緊張して」


伽椰子は、自分の喉を押さえて、もう一回、息を吸った。


「…………ほ、本日は、改名同盟の、規約の、改訂について、ご、ご相談に、まいりました」


――硬い。


ものすごく、硬い。


たぶん、昨日の夜、何回も練習してきたんだ。一人で、部屋で、ノートを読み上げて。


「…………まず、報告と、お詫びがあります」


伽椰子は、ノートのページをめくった。


「…………先月、家庭裁判所の、相談窓口に、行きました。…………一人で」


――え。


「…………旧規約、第一条。『十六になったら、二人で家庭裁判所に行って、名前を変える』。…………二人で、って約束だったのに、一人で行って、ごめん。…………規約違反です」


伽椰子は、墓石に向かって、深々と頭を下げた。


雨が、紺色の傘を、ぱらぱらと叩いている。


「…………それから、旧規約、第二条。『名前を変えるまで、お互いの本当の名前は呼ばない』。…………これも、三年前に、私から、破りました。…………ずっと、謝ってなかったから。…………ごめん」


――カヤ。


そんなこと、ずっと、気にしてたの。


あの日、あたしの名前を呼んでくれて、あたしは、あんなに嬉しかったのに。


「…………窓口の人、優しかった。…………書類の書き方も、教えてくれた。…………それで、最後に、聞かれたの」


伽椰子は、少しだけ、顔を上げた。


「…………『どうして、お名前を変えたいんですか』って」


雨の音だけが、墓地に響いた。


「…………答えられなかった」


伽椰子の声が、少しだけ、震えた。


「…………小四のときは、答えられたの。『からかわれるから』『ホラーコンビって言われるから』『井戸と押し入れって言われるから』って。…………でも、この前は、何も、出てこなかった」


伽椰子は、ノートを胸に抱えた。


「…………三年前、ここで、約束したでしょ。帰ったら、お母さんに、自分の名前の意味、聞いてみるって」


――うん。覚えてる。


「…………聞いたの」


伽椰子は、前髪の奥で、小さく笑った。


「…………『伽』っていう字はね、誰かのそばにいて、話し相手になる、っていう意味なんだって。…………寂しい人が、寂しくないように」


――誰かの、そばに。


「…………『椰子』は、南の島の木。…………嵐が来ても、しなって、折れない木。…………『誰かのそばにいて、どんな雨や風の日でも、折れない子になってほしかった』って。…………お母さん、泣きながら、教えてくれた」


伽椰子の喉が、小さく、ひくっと鳴った。


「…………ずるいよね。サダのときと、同じ。…………そんないい意味、あったなんて」


「……っ」


あたしの目から、涙がこぼれた。


――誰かのそばにいて、折れない子。


四年間、晴れの日も雨の日も、傘を二本持ち歩いていた子。嫌いな名前を背負ったまま、一度も、逃げなかった子。


カヤは、最初から、ずっと、その名前の通りの子だった。


「…………だから、決めました」


伽椰子は、ノートの次のページを開いて、読み上げた。


「…………改名同盟規約、改訂案。…………第一条。『月島伽椰子は、名前を変えない』」


――ざわっ。


縁側の陰で、墓場中の霊が、息を呑んだ。


「…………『桜庭貞子も、変えなくていい』」


伽椰子は、少しだけ、照れくさそうに付け足した。


「…………サダが呼ぶと、あんまり、怖くないから。…………私の名前」


――カヤ。


「…………第二条。『お互いを、本当の名前で呼ぶ。ただし、カヤとサダも、使ってよい』。…………どっちも、私たちの名前だから」


伽椰子は、ノートを閉じた。


それから、鞄の口から、折りたたみ傘を、引き抜いた。


「…………第三条」


折りたたみ傘を、ぱちん、と開く。


淡い水色の、小さな傘。


伽椰子は、しゃがみ込んで、その傘を、墓石に、そっと差しかけた。


「…………『雨の日は、傘を二本持つ』」


――雨粒が、水色の傘に当たって、ぽつぽつと、優しい音を立てた。


「…………あの日、渡せなかったから」


伽椰子は、墓石に差しかけた傘の柄を、両手で、しっかり握っていた。


「…………サダ。…………同盟の規約は、二人の合意がないと、改訂できない。…………だから」


伽椰子は、前髪の奥から、まっすぐに、あたしを見た。


「…………サダの、承認が、ほしい」


⭐︎紫陽花の返事


――返事をしなきゃ。


あたしは、縁側から、飛び出した。


でも、声は、届かない。三年前みたいに、奇跡みたいな一瞬は、そう何度も来ない。


「……落ち葉。落ち葉、ない!?」


地面を見回す。

六月の墓地には、落ち葉なんて、ほとんど落ちていない。

あっても、雨に濡れて、砂利に張りついて、ぐしゃぐしゃだ。


「――さだちゃん」


後ろから、トメばあちゃんの声がした。


振り返ると、トメばあちゃんが、桜庭家之墓の脇の、紫陽花の株の前に立っていた。


青と、紫と、薄い桃色の、大きな紫陽花。

雨に濡れて、一番きれいな時期を迎えている。


「これを、使いなさい」


「……え、でも、それ、ひいばあちゃんの紫陽花……」


「花はね、また咲くの。……今、使わないで、いつ使うの」


トメばあちゃんは、にこにこと笑った。


「濡れた花びらは、石に、よく張りつくのよ。雨でも、流れないわ」


――ひいばあちゃん。


「――一人、一枚ずつじゃ!」


源蔵じいちゃんが、雨の中に飛び出してきた。


「三年前と、同じじゃろう! ほれ、並べい!」


「「「おおおおっ!!」」」


縁側の陰から、墓場中の霊が、いっせいに飛び出した。


鬼塚さんが、紫陽花の花びらを一枚、指先でつまむ。雷太さんも、清一さんも、ふみ先生も。


「……一枚ずつ、っすね。了解っす」


ハヤトさんも、見よう見まねで、花びらを一枚、手に取った。


ごまは、口に一枚くわえて、尻尾をぶんぶん振っていた。


「――月島さんが、お帰りになる前に! 急ぎますわよ!」


麗華が、日傘を放り出して、花びらを抱えて走った。


一枚。また一枚。


霊の力で動かせるのは、ほんの小さなものだけ。

一人一枚が、精一杯。


でも、五十人いれば、五十枚。


伽椰子の目の前の、濡れた砂利の上に、青と紫と桃色の花びらが、一枚ずつ、並んでいく。


「――ダ、の字、足りませんわ!」


「わしが持ってくる!」


「サの三画目、ちょっとずれてるっす!」


「そこの新入り、私語は――いえ、今日は結構です。どんどん直しなさい」


最後に、あたしが、二枚の花びらを、手に取った。


濁点。


――ちょっとだけ、斜めに。


わざとじゃない。

昔から、あたしの濁点は、どうしても、斜めになる。


ぴたり、と。


濡れた花びらが、砂利に、張りついた。


「…………」


伽椰子が、息を呑んだ。


墓石の前の砂利道に、紫陽花の花びらで、大きな文字が、並んでいた。


『ダイサンセイ』


「…………っ」


伽椰子は、傘を持ったまま、その場に、しゃがみ込んだ。


指先で、斜めの濁点に、そっと触れる。


「…………サダの、濁点だ…………」


前髪の奥から、ぽろぽろと、涙がこぼれた。


「…………だいさんせい、って…………承認どころじゃ、ないじゃん…………」


泣きながら、笑っていた。


それから、伽椰子は、涙を手の甲でぐいっと拭って、背筋を伸ばした。


「…………しょ、承認、いただきました。…………改名同盟規約、改訂版、本日付で、施行します」


――硬い。


最後まで、硬い。


「……カヤ、そこは、もうちょっと、普通でいいって」


あたしは、泣きながら、笑った。


伽椰子は、ノートの最後のページに、何かを書き込んだ。

それから、鞄の中から、小さな紙袋を取り出した。


「…………あと、これ」


紙袋から出てきたのは、リップが二本だった。


同じ色。少しだけ青みがかった、透き通るようなピンク。


「…………三年前に、言ったでしょ。サダに借りてた限定のリップ、使い切っちゃったって。…………この春、復刻したの。…………二本、買った」


伽椰子は、一本を、墓前に、そっと置いた。


「…………一本は、返す。…………一本は、私の」


――あ。


「…………今日も、つけてきた。…………サダに、見せたくて」


縁側の陰で、麗華が、日傘で顔を覆っていた。


「……殿方のためでは、ございませんでしたのね。……貞子さんのための、お化粧でしたのね……」


「……麗華、また浮くから、言わないでね」


「……わ、わかっておりますわ……っ」


伽椰子は、立ち上がって、墓石に差しかけていた水色の傘を、丁寧に、畳んだ。


「…………第三条。…………ちゃんと、持って帰る」


折りたたみ傘を鞄にしまって、紺色の傘を差し直す。


それから、スマホを取り出して、少しだけ、困ったように笑った。


「…………そういえば、小野寺くんの写真。…………昨日の調査の。…………サークルのグループに上げたら、大騒ぎになってて」


伽椰子が、スマホの画面を、墓石に向けた。


雨の墓地。

鬼塚家之墓の前。

首のない男の人が、小脇に自分の首を抱えて、ピースをしている。


「…………首のない人が、写ってるの。…………ピースしてるの」


「――よっしゃあ!!」


鬼塚さんが、雨の中で、拳を突き上げた。


「だから言ったろ、サービスだって!!」


「……鬼塚さん、それ、心霊写真として大騒ぎになってるんだと思うよ」


「有名人じゃねえか」


伽椰子は、スマホをしまって、墓石に向き直った。


「…………また来るね」


少しだけ、間があった。


「――貞子」


――うん。


「……またね、伽椰子」


線香の煙が、雨の中で、ふわりと曲がった。


伽椰子の前髪を、そっと、揺らした。


伽椰子は、少しだけ目を見開いて、それから、とびきりの笑顔で笑った。


「――ア゛ア゛ア゛……」


嬉しいときも、鳴るらしい。


⭐︎雨上がり


翌朝。


雨が、あがっていた。


一週間ぶりの、青空だった。

濡れた墓石が、朝日を受けて、きらきら光っている。


「――朝礼を、始めます!」


竹林の前に、墓場中の霊が、背の順に並んだ。


あたしの隣で、麗華が、日傘を差していた。

今日は、ちゃんと、晴れの日の日傘だ。


「……昨日の夜は、失礼いたしましたわ」


「なにが?」


「……いろいろ、ですわ」


麗華は、日傘で顔を半分隠した。


――本堂から、慈念さんのお経が聞こえてくる。


「――かっ、観……自ざいっ……!」


「「「「……チッ」」」」


胃もたれは、やっぱり、軽い。


そして、お経の最後に。


「……本日は火曜日。……西園寺、麗華さん」


――麗華の背筋が、ぴん、と伸びた。


日傘の柄を握る指に、ぎゅっと力が入る。


「……麗華」


「……な、なんですの」


あたしは、ちょっとだけ、にやっと笑って、言った。


「――麗華」


「……二回も、呼ばなくて、結構ですわ」


「麗華、麗華、麗華」


「そ、そんなに何回もっ……!」


麗華の耳が、みるみる赤くなっていく。


「……ねえ、麗華。これ、エモくない?」


「――それは、わたくしの台詞ですわ!!」


――ふわっ。


「――あっ」


言い合っているうちに、二人の足元が、また、ちょっとだけ光った。


「――全員、気をつけ!!!」


――ぴしっ。


ふみ先生の号令で、あたしと麗華は、気をつけの姿勢のまま、すとんと地面に落ちた。


「……朝から、何をしているのですか、そこの二人」


「「……すみません」」


――今日は、朝だから、ちゃんと、間に合った。


桜庭家之墓の前の砂利道には、まだ、紫陽花の花びらが、張りついていた。


『ダイサンセイ』


雨に洗われて、少しだけ色が薄くなった花びらが、朝日の中で、きらきら光っている。

斜めの濁点も、ちゃんと、そのまま。


その横に、限定リップが、一本。


墓石の上では、おはぎが、今日も、心の底からどうでもよさそうな顔で、大あくびをしていた。

ごまが、その下で、全力で尻尾を振っている。


――空は、もう、夏の匂いがし始めていた。


墓場は今日も、成仏しない。


そして、雨の日は、前ほど、嫌いじゃなくなった。


(第十六話 完)


最後までお読みいただきありがとうございました。

調子に乗ると後半が長くなりがちなんだよな。

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