「雨の日の、同盟規約。」(中盤)
⭐︎先輩、がんばる
「――つ、月島先輩。今日は、東側の区画からでいいですか」
男の人が、カメラを構えながら言った。
背が高くて、ひょろっとしていて、眼鏡をかけている。
優しそうな顔だ。優しそうなのが、なんか、腹立つ。
「…………う、うん。……じゃあ、小野寺くん。…………ま、まずは、こちらの墓石から、せ、説明します」
伽椰子が、メモ帳を開いて、背筋を伸ばした。
――先輩の顔を、しようとしている。
あたしには、わかる。
六年間、隣の席にいたんだから。
あれは、カヤが、ものすごく頑張っているときの顔だ。
「…………こ、こちらは、鬼塚家之墓。……昭和の中期に建てられた、い、一般的な、和型の、墓石で…………」
「なるほど」
「…………ほ、本日は、墓石の、ぎょ、ぎょうし……形状と、しゅ、しゅ、宗派による……」
「先輩、ゆっくりで大丈夫ですよ」
「…………っ」
伽椰子の喉が、ひくっと鳴った。
「――ア゛ア゛ア゛ア゛……」
「「「――ひいっ!!」」」
墓石の陰に隠れていた霊たちが、いっせいに後ずさった。
「……な、なんすか、今の音」
ハヤトさんが、青い顔で、あたしの腕をつかんだ。
「……え、あの人、生きてる人っすよね? あの人のほうが、ガチのやつじゃないすか?」
「カヤは、緊張すると喉が鳴るの。昔から」
「……そういう体質、あるんすね……」
――三年前、初めて伽椰子がこの墓場に来たとき、墓場中が「本物が出た!」って大パニックになったことを、思い出す。
「……すみません。緊張すると、出ちゃうの」
伽椰子が、前髪の下で、耳まで真っ赤になっていた。
「知ってますよ。サークルのみんな、知ってます」
小野寺くんは、にこにこしながら、シャッターを切った。
「僕、先輩のその音、けっこう好きですけどね。ホラー映画みたいで」
「…………っ!!」
伽椰子の喉が、さっきより、もっと大きく鳴った。
――褒められて、鳴った。
「……ちょっと、今の何!? 褒めた!? 今、カヤのこと、褒めたよね!?」
「落ち着いてくださいまし、貞子さん!」
「あたしだって、カヤのその音、好きだし!! 小四のときから好きだし!!」
「張り合うところではございませんわ!」
そのあとも、伽椰子は、ずっと頑張っていた。
墓石の説明をしようとして、三回噛んだ。
風で、傘が、裏返った。
「……っ、あ、あ、あ……」
裏返った傘を直そうとして、ぬかるみに片足を突っ込んだ。
「先輩、大丈夫ですか!」
「…………だ、だ、大丈夫…………先輩、だから…………」
――全然、大丈夫じゃない。
でも、伽椰子は、泥のついた靴のまま、背筋を伸ばして、メモ帳を開き直した。
「…………つ、続けます。……次は、西園寺家之墓。……この墓地で、一番、由緒ある、お墓です」
「――まあ」
隣で、麗華の日傘が、ぴくりと揺れた。
「……一番、由緒ある。……月島さん、見る目がおありですわね」
「麗華、今、ちょっと嬉しかったでしょ」
「……少しだけですわ」
その横で、鬼塚さんが、小野寺くんのカメラの前に、すうっと回り込んでいた。
「――おう、記念撮影なら、俺も入れとけ」
鬼塚さんは、自分の首を、すぽんと外して、小脇に抱えた。
首のない体で、ピースをする。
「……鬼塚さん、何してんの」
「サービスだ」
――パシャッ。
もちろん、小野寺くんには、見えていない。
⭐︎麗華の糸、恋文編
「……で、あの小野寺っての、結局、彼氏なのかよ」
西園寺家之墓の軒下で、雨宿りをしながら、鬼塚さんが言った。
首は、もう元に戻っている。
「……まだ、わかりませんわ」
麗華が、日傘をくるくる回しながら、うっとりとため息をついた。
「でも、殿方が、あんなに優しく、『ゆっくりで大丈夫ですよ』などと……。まあ、恋の始まりというのは、いつだって、雨の日なのですわ」
「麗華、楽しそうだね」
「楽しいですわ! 恋のお話は、九十七年経っても、胸がときめきますもの!」
麗華は、そこで、はっと何かを思いついたように、あたしを見た。
「――そうですわ。恋、ですわ」
「……今度は何」
「あの振袖の、袖の内側の、きらきらした糸。……あれは、恋文ですわ!」
「……恋文?」
「ええ! 生前の貞子さんに、想いを寄せる殿方がいらして、その方のお名前を、お母様が、こっそり縫い込まれたのですわ! 晴れ着を着るとき、想い人がそばにいるように!」
麗華が、日傘を胸に抱いて、瞳をうるませた。
「……貞子さんの、想い人。……どなたでしたの?」
「……いないけど」
「――え」
「いたことないけど。一回も」
麗華の日傘が、ぴたりと止まった。
「…………一度も?」
「一度も」
「……十六年間、一度も?」
「……うん。まあ、ほら、忙しかったし。カヤと遊ぶのに」
麗華は、しばらく、あたしの顔を見つめていた。
それから、日傘で口元を隠して、心の底から気の毒そうに言った。
「……わたくしより、寂しい青春ですわね」
「うるさいな!!」
――麗華探偵、本日も、推理、外れ。
「……ぶっ」
ハヤトさんが、軒下の隅で、肩を震わせていた。
「……聞こえてるからね、ハヤトさん」
「……す、すんません……」
⭐︎二本の傘
調査が終わったのは、夕方だった。
桜庭家之墓の前で、伽椰子は、いつものように、しゃがんで手を合わせた。小野寺くんは、少し離れたところで、カメラの写真を確認している。
「――あ、そうだ、先輩」
小野寺くんが、リュックの中から、小さな包みを取り出した。
「これ、先週の。遅くなって、すみません」
「…………え?」
包みの中から出てきたのは、新品の、折りたたみ傘だった。
「先週、先輩に借りた折りたたみ、僕、風で壊しちゃったじゃないですか。同じ色、探したんですけど、これしかなくて」
――あ。
「結局、先輩の傘に入れてもらっちゃって。……すみませんでした」
「…………い、いいのに。…………私が、勝手に、貸しただけだし」
――先週の、相合い傘。
あれは、伽椰子が貸した折りたたみ傘が壊れたから、だったんだ。
「……なんだ」
あたしの口から、へにゃっと、気の抜けた声が出た。
「……なんだ、そういうことか……」
体中から、力が抜けていく。
「……ちょっと、貞子さん。露骨に安心しすぎですわ」
「し、してないし!」
「しておりますわ。前髪まで、ふにゃっとなっておりますもの」
麗華は、日傘の下で、心の底から残念そうに、ため息をついた。
「……恋では、ございませんでしたのね……」
「麗華、露骨にがっかりしすぎ」
小野寺くんは、新しい折りたたみ傘を伽椰子に渡しながら、何気なく笑った。
「でも、先輩って、いつも傘、二本持ってますよね。晴れの日でも」
――え。
「サークルのみんな、不思議がってますよ。『月島さん、なんで晴れてても傘二本なの』って」
「…………」
伽椰子は、答えなかった。
新しい折りたたみ傘を、両手で、大事そうに受け取って、鞄の中に、そっとしまった。
――晴れの日でも、二本。
あたしは、伽椰子の横顔を見つめた。
四年前の、秋の朝。
あたしは、ママと喧嘩して、傘も持たずに、家を飛び出した。
伽椰子は、駅で、一時間、待っていた。
雨の中で。
――もし、あの日、伽椰子が、傘を二本持っていたら。
――もし、あたしが、傘を一本でも持っていたら。
「……カヤ」
声が、震えた。
伽椰子は、ずっと、あたしの分の傘を、持ち歩いていたんだ。
あの日から、もうすぐ四年。晴れの日も、雨の日も。
「――小野寺くん。先に、山門のところで待ってて」
伽椰子が、立ち上がった。
「はい」
小野寺くんが、傘を差して、山門のほうへ歩いていく。
伽椰子は、墓石の前で、少しだけ、黙っていた。
それから、前髪の奥から、まっすぐに、墓石を見た。
「…………サダ。明日、一人で来る」
――え。
「…………話したいことが、あるの」
伽椰子は、それだけ言うと、小さく頭を下げて、山門のほうへ、歩いていった。
「…………」
あたしは、その場に、立ち尽くしていた。
「……話したいこと、って」
「……貞子さん」
「……や、やっぱり、彼氏の報告じゃない? 小野寺くんじゃなくて、別の人とか。サークルの先輩とか。……それか、結婚とか」
「まだ二十歳ですわよ」
「わかんないじゃん! ハヤトさんの話だと、都会の大学生って、すごいんでしょ!?」
「俺、そんな話しましたっけ」
――あたしの頭の中は、もう、ぐちゃぐちゃだった。
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