「雨の日の、同盟規約。」(前半)
⭐︎梅雨とふて腐れ
六月。梅雨入りして、今日で五日目。
墓地は、朝から、しとしとと雨に濡れていた。
「……はあ」
あたしは、桜庭家之墓の縁側で、膝を抱えていた。
雨は、嫌いだ。
幽霊だから、濡れはしない。
雨粒は、あたしの体をそのまま通り抜けて、砂利に落ちていく。
寒くもない。冷たくもない。
なのに、なぜか、気分だけは、びしょ濡れになる。
「――朝礼を、始めます!」
雨の中でも、ふみ先生の声は、いつも通りよく通った。
「……先生、雨だよ? 今日くらい、中止でいいんじゃない?」
「雨天中止の朝礼など、聞いたことがありません。雨の日は、体育館で行うものです」
「墓場に体育館はないって!」
「では、竹林の下で結構です」
――結局、墓場中の霊が、竹林の下に、背の順に並んだ。
源蔵じいちゃんと鬼塚さんは、いつも通り、最初から砂利道に立っている。
その列の真ん中で、麗華が、白い日傘を、優雅に差していた。
「……麗華、それ、日傘だよね」
「ええ。美月さんがお供えくださった、わたくしの宝物ですわ」
「雨、通り抜けてるけど」
日傘の布を、雨粒が、すいすいと素通りしていた。
そもそも、麗華自身が、濡れない。
「濡れませんのに、なぜ差すのか、とおっしゃりたいのでしょう」
「うん」
「淑女のたしなみですわ」
「……そっか」
隣で、ハヤトさんが、あくびを噛み殺していた。
「……雨の日くらい、リモート朝礼にしません?」
「そこの新入り。リモートとは何ですか」
「……いえ、なんでもないっす」
ごまだけが、雨の中を、嬉しそうに駆け回っていた。水たまりに飛び込んで、ばしゃばしゃ――と、音はしない。
幽霊だから。
でも、尻尾はぶんぶん回っている。
「……いいなあ、ごまちゃんは」
あたしは、灰色の空を見上げた。
――あの日も、こんな雨だった。
「……貞子さん」
朝礼のあと、麗華が、日傘をくるりと回して、あたしの隣に座った。
「……梅雨に入ってから、ずっと、そのお顔ですわね」
「……そう?」
「ええ。前髪が決まらない朝の、三倍くらい、ぶすっとしておりますわ」
「……湿気で前髪が決まらないんだよ。幽霊なのに」
あたしは、そう言って、笑ってごまかした。
麗華は、何も言わずに、日傘を少しだけ、あたしのほうに傾けた。
雨は、日傘ごと、あたしたちを通り抜けていく。
それでも、なんとなく、ほんの少しだけ、雨が遠くなった気がした。
⭐︎相合い傘
その日の午後。
「――さだちゃん、お客さんよ」
トメばあちゃんの声で、あたしは顔を上げた。
山門の向こうから、傘が一本、近づいてくる。紺色の、大きめの傘。
その下に――二人分の足。
一人は、黒いスニーカー。
もう一人は、見覚えのある、黒いストラップシューズ。
「……え」
傘が、山門をくぐった。
黒髪ロング。長い前髪。少しだけ大人っぽくなった横顔。
「――カヤ!!」
月島伽椰子。あたしの親友。
大学二年生になった伽椰子が、傘の下で、隣を歩く男の人と、何か話していた。
――男の人と。
一本の傘で。
肩が、触れそうな距離で。
「…………………………」
あたしは、縁側で、石になった。
「……まあ」
いつの間にか隣に来ていた麗華が、日傘の下で、口元を押さえた。
「……まあ、まあ、まあ……!」
「……麗華、何」
「――相合い傘、ですわ!!」
麗華の目が、今年一番の輝きを放っていた。
「しかも、ご覧になって、貞子さん。月島さんの、あの唇!」
「……唇?」
言われて、よく見る。伽椰子の唇に、ほんのりと、色がついていた。
少しだけ青みがかった、透き通るようなピンク。
――見覚えがある。
高一の冬、あたしが限定で買って、「カヤにも絶対似合うから」って、無理やり貸した、あのリップの色だ。
「……あれ、あたしが貸したやつと、同じ色……」
「お化粧ですわ! 殿方と会う日に、お化粧をなさる! これはもう、決定的な物証ですわ!」
「……い、いや、カヤだって、大学生なんだし、お化粧くらい……」
「相合い傘、お化粧、そして、この雨。……三つそろえば、答えは一つですわ!」
麗華が、日傘をびしっと伽椰子に向けた。
「――月島さんに、彼氏ができましたのよ!!」
――ざわっ。
墓場中が、どよめいた。
「……か、かれし……?」
あたしの口から、かすれた声が漏れた。
「カヤに……彼氏……!?」
⭐︎探偵団、山門で止まる
「――というわけで、本日、臨時探偵団を結成いたしますわ!」
桜庭家の縁側の陰で、麗華が、日傘を振り上げた。
「団長は、わたくし、西園寺麗華。団員は、貞子さん」
「……うん」
「それから――」
「俺も行くっす」
ハヤトさんが、パーカーのフードをかぶって、手を挙げた。
「こういうの、都会で鍛えてるんで。尾行とか、たぶん得意っす」
「たぶんなんだ」
「ワンッ!」
ごまが、尻尾をぶんぶん振りながら、麗華の足元に飛びついた。
「……ごまちゃんも?」
「ワンワンッ!」
――探偵団、四名。いや、三名と一匹。
伽椰子と男の人は、まず本堂で慈念さんに挨拶をして、それから、墓地の中を、ゆっくり歩いて回っていた。
男の人は、首からカメラを下げて、ときどき、墓石の写真を撮っている。
伽椰子は、手に持ったメモを見ながら、何か説明していた。
あたしたちは、墓石から墓石へ、こそこそと、その後をつけた。
「……なんか、デートっぽくないっすね。どっちかっていうと、仕事っぽい」
「油断は禁物ですわ。殿方というのは、最初は皆、誠実なふりをなさいますのよ」
「麗華、その知識、どこから来たの」
「女学校の頃の、少女雑誌ですわ」
「百年前の情報じゃん」
一時間ほどして、伽椰子と男の人は、山門のほうへ歩き出した。
「――お帰りになりますわ! 追いますわよ!」
「駅まで行くのかも! どこで何してるのか、確かめないと!」
あたしたちは、山門に向かって、全速力で駆け出した。
そして。
――ごんっ。
四人――いや、三人と一匹は、見えない壁に、同時にぶつかった。
「……いったぁ……」
「……わ、忘れておりましたわ……」
そうだ。あたしたち幽霊は、山門の外には、出られない。
「――いや、俺ならいけるかもしんないっす」
ハヤトさんが、額をさすりながら、立ち上がった。
「俺、東京の納骨堂にいた頃、搬送レーンでフロアまたいでたんで。ゲート通過には、慣れてるんすよ」
「……そういう問題?」
「見ててください」
ハヤトさんは、助走をつけて、山門に向かって走り出した。
――ぼよんっ。
「うわあああ!!」
ハヤトさんは、きれいな放物線を描いて、はね返された。三メートル後ろの紫陽花の植え込みに、頭から突っ込む。
「……都会のゲートと、仕様が違うっす……」
「クゥゥン……」
ごまは、山門の見えない壁に鼻を押しつけて、伽椰子の背中を見送りながら、この世の終わりみたいな声で鳴いていた。
――山門の向こうで、伽椰子が、ふと足を止めた。
振り返って、墓地のほうを見る。
前髪の隙間から、ちょうど、あたしたちが団子になっている場所を。
伽椰子は、少しだけ首をかしげて、小さく手を振った。
それから、男の人と一緒に、坂道を下っていった。
「……今、こっち見たよね」
「……ええ。月島さん、少しだけ、霊感がおありですものね」
――そして、次の日曜日。
朝から、また雨だった。
伽椰子は、また、あの男の人と一緒に、山門をくぐってきた。
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