「B-1247は、表札がほしい。」(後半)
⭐︎歩いて五分
連休の最後の日。
山門のほうから、二人分の足音が近づいてきた。
ハヤトさんのお父さんとお母さんだった。
お母さんは、手に小さな紙袋を提げている。
お父さんは、少し後ろから、黙ってついてきていた。
「……隼人。来たよ」
お母さんが、字のない墓石の前にしゃがんだ。
紙袋から出てきたのは、またエナジードリンクの缶と、コンビニのおにぎりが二つ。
梅と、ツナマヨ。
「……俺の、朝飯セットだ」
ハヤトさんが、墓石の後ろで、小さくつぶやいた。
――今日は、鬼塚さんも、盗まなかった。
少し離れたところで、腕を組んで、黙って見ていた。
「……ねえ、隼人」
お母さんは、墓石を、そっと撫でた。
「……東京の納骨堂、ずっと行けなくて、ごめんね」
ハヤトさんの肩が、ぴくりと動いた。
「お父さんの定年でこっちに帰ってきてから、新幹線で片道三時間でしょう。……最初のうちは、月に一回、行ってたのよ。でも、お母さん、去年、膝を悪くして。……行きたいのに、行けなくなって」
お母さんの声が、少し震えた。
「……受付のタッチパネルで、あなたの番号を押すたびにね。……ああ、この子、ここでは番号なんだなって。……ずっと、それが、つらかったの」
――番号。
ハヤトさんが、息を呑んだのがわかった。
「だから、お父さんと相談して、こっちにお墓を建てることにしたの。……実家から、歩いて五分なのよ、このお寺。お母さんの足でも、毎日来られる」
お母さんは、墓石に、額をこつんとつけた。
「……東京に、一人で置いておけなかったの。……ごめんね。勝手に、連れて帰ってきちゃって」
――厄介払いなんかじゃ、なかった。
「……っ」
ハヤトさんは、何も言えずに、立ち尽くしていた。
後ろで、お父さんが、ぼそっと口を開いた。
「……墓の字な。来月、石屋さんが彫ってくれるんだが」
お父さんは、少し照れくさそうに、頭をかいた。
「……『一ノ瀬家之墓』だけじゃなくて、横の墓誌に、ちゃんと、お前の名前も入れてもらうことにした。……番号じゃなくてな」
――風が、吹いた。
線香の煙が、ふわりと曲がって、お母さんの頬と、お父さんの肩を、そっと撫でた。
「……あら」
お母さんが、顔を上げた。
「……今、隼人の声、した気がする。……『母さん』って」
「……気のせいだろ」
お父さんは、そう言いながら、目元を、乱暴に拭っていた。
「……じゃあね、隼人。明日も、来るからね」
「――また来るよ」
二人が、ゆっくりと、山門の向こうへ帰っていく。
実家まで、歩いて五分。
明日も、明後日も、来られる距離。
⭐︎浮き上がる新入り
――ふわっ。
「……あ」
ハヤトさんの足元が、光っていた。
「……え、何これ。俺、光ってません?」
「――ハヤトさん、それ、成仏しかけてるやつ!」
「成仏!? え、俺、今日来たばっか……じゃないけど、まだ一週間っすよ!?」
ハヤトさんの体が、ふわりと、浮き上がった。
墓石の高さ。桜の木の高さ。
どんどん、どんどん、昇っていく。
「――慈念さん! お経!!」
ちょうど、本堂から、夕方のお経が聞こえてきた。
「――観……自在、菩薩……」
――ふわっ。
「かっ、軽いぃぃぃ!!」
やっぱり、ほとんど効かない。慈念さんのお経は、今日も、困るくらい上手だった。
「――ふみ先生! あれ! あれお願い!!」
「――全員、気をつけ!!!」
ふみ先生の号令が、夕焼けの空に響いた。
――ぴしっ。
地面の上にいた墓場中の霊が、全員、気をつけの姿勢で固まった。
源蔵じいちゃんも、麗華も、雷太さんも。
ごまも、なぜか、四本足で気をつけしていた。
でも。
「……え、何すか、それ。なんかの儀式っすか?」
ハヤトさんだけが、空の上で、ふつうに首をかしげていた。
――効いてない。
「……朝礼に、まだ一週間しか出ていないからですね。体に染み込んでいない」
ふみ先生が、眼鏡を押し上げて、冷静に分析した。
「――分析してる場合じゃないって!!」
ハヤトさんの体は、もう、本堂の屋根を越えようとしていた。
「……え、ちょ、マジでこのまま行くんすか、俺……。まだ、母さんのおにぎり、食べてないんすけど……」
――そのとき。
「――逃がすかぁぁぁ!!」
墓石を踏み台にして、鬼塚さんが、空に向かって跳んだ。
首を体から外して、首だけを、ハヤトさんに向かって投げる。
――首が、ハヤトさんの肩に、がしっと噛みついた。
「いってえええ!! 噛んだ!! この人、首だけで噛みましたよ!?」
「近所付き合いは、逃がさねえって言っただろうが!!」
「そういう意味だったんすか!?」
首に引っ張られて、ハヤトさんが、少しだけ下がる。
でも、まだ足りない。
光は、まだ強い。
――カン、カン、カン。
下のほうから、金槌の音が響いてきた。
「――ハヤト! 下を見い!!」
源蔵じいちゃんが、字のない墓石の前で、何かを打ちつけていた。
――一枚の、木の板だった。
削りたての檜の、きれいな木目。そこに、力強い字で、こう彫ってあった。
『一ノ瀬家之墓』
「……え」
「石屋の彫りは、来月なんじゃろう。……それまで、表札のない家に住まわせるわけにはいかん」
源蔵じいちゃんは、最後の釘を、カンッと打ち込んだ。
「家があるもんは、帰ってくるもんじゃ!!」
――ずしっ。
ハヤトさんの体が、急に、重くなった。
「――うわっ」
鬼塚さんの首に噛みつかれたまま、ハヤトさんは、まっすぐ、下に落ちていった。
ドゴシャアアッ!!
真新しい墓石の前に、ハヤトさんと、鬼塚さんの首と、それを追いかけて落ちてきた鬼塚さんの体が、山になって積み重なった。
「……い、生きてる……いや、死んでるけど……」
「……へっ。着地成功だな」
鬼塚さんの首が、ハヤトさんの肩から離れて、にやりと笑った。
⭐︎表札の裏
「……これ、源蔵さんが、彫ってくれたんすか」
山から這い出したハヤトさんは、墓石に打ちつけられた木の表札を、じっと見つめていた。
「うむ。わしの本業は、大工じゃからのう」
源蔵じいちゃんが、腕を組んで、得意げに胸を張った。
「……いつ、彫ったんすか」
「昨日の夜じゃ。……お前さんが、貞子に『どこ行っても、誰でもない』と言うとるのを、聞いてしもうてな」
「……聞いてたんだ、ひいじいちゃん」
「たまたまじゃ、たまたま」
源蔵じいちゃんは、ぷいっと、そっぽを向いた。
耳が、ちょっとだけ赤かった。
「……裏も、見てみい」
「……裏?」
ハヤトさんが、そっと、表札を裏返した。
――そこには、小さく、でも、丁寧な字で、二文字だけ彫ってあった。
『隼人』
「……っ」
ハヤトさんの目から、ぽろっと、涙がこぼれた。
「……漢字、わかったんすね、俺の名前」
「お前さんのお母さんが、何度も呼んどったじゃろう。……墓誌に入れる字も、お父さんが言うとった」
源蔵じいちゃんは、ハヤトさんの肩を、ばしんと叩いた。
「一ノ瀬家の、隼人。……ここでは、それが、お前さんの名前じゃ」
――B-1247番じゃなくて。
ハヤトさんは、表札を、両手で抱えるみたいにして、しばらく、泣いていた。
隣で、麗華が、日傘で顔を隠して、ぷるぷると震えていた。
「……エ、エモ……」
「麗華、今は言わないで。また全員浮くから」
「……っ、うう……おもむき、深い、ですわ……」
――エモいは、今日も、ぎりぎりで封印された。
⭐︎日曜日
翌朝、六時半。
「――朝礼を、始めます!」
竹林の前に、墓場中の霊が、背の順に整列した。
ハヤトさんも、鬼塚さんの隣に、ちゃんと並んでいた。
まだ、ちょっと眠そうな顔で。
「……やっぱ、ブラックっすね、これ」
「そこの新入り、私語は――」
「……でも、嫌いじゃないっす」
ふみ先生は、少しだけ、口元をゆるめた。
「……よろしい」
朝礼が終わった、そのとき。
「――こらぁぁぁ鬼塚の小僧ぉぉぉ!! わしの昨日の檜の削りくず、どこへやったぁ!!」
「知らねえよ! あんなもん何に使うんだよ!」
「お風呂に浮かべるんじゃ!!」
「幽霊が風呂入んのかよ!!」
――スポーン。
いつもの音がして、いつもの首が、五月の朝の空を飛んだ。
その首が、ハヤトさんの足元に、ごろんと転がってくる。
「――よう。おはよう、隼人」
鬼塚さんの首が、下から、にやりと笑った。
ハヤトさんは、一瞬、きょとんとして。
それから。
「……ぶっ」
吹き出した。
「……あはは! あははははは!! なんなんすか、ここ!! 毎朝、首、飛びすぎでしょ!!」
お腹を抱えて、ハヤトさんが、笑っていた。
この墓場に来て、初めて、声を上げて。
「……笑ったね」
あたしが言うと、ハヤトさんは、涙をぬぐいながら、頷いた。
「……一軒家、悪くないっすね」
――本堂から、慈念さんのお経が聞こえてくる。
「――かっ、観……自ざいっ……!」
「「「「……チッ」」」」
胃もたれは、やっぱり、軽い。
「……え、今の舌打ち、何すか?」
「伝統だよ」
そして、お経の最後に。
「……本日は日曜日。……一ノ瀬、隼人さん」
ハヤトさんの背筋が、ぴん、と伸びた。
「……今、呼ばれた」
「うん。今日から、日曜日は一ノ瀬家」
――これで、月曜日から日曜日まで、全部の曜日が、埋まった。
真新しい墓石には、源蔵じいちゃんの木の表札が、少しだけ斜めに、かかっている。
墓石の上では、おはぎが、今日も、心の底からどうでもよさそうな顔で、大あくびをしていた。
――空は、少しずつ、梅雨の匂いがし始めていた。
墓場は今日も、成仏しない。
そして、この墓場には、今日も、名前のある家が、一軒増えた。
(第十五話 完)
最後までお読みいただきありがとうございました。
おにぎりはツナマヨ……作者はのりしお。
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