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墓場ぐらしのサダコさん  作者: 則本潮


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「B-1247は、表札がほしい。」(中盤)

⭐︎近所付き合い、強制執行


翌日の朝。


ハヤトさんの、字の入っていない墓石の前に、お母さんが供えていった缶が、一本置かれていた。


エナジードリンク。

黒と緑の、いかにも強そうな缶だ。


「……母さん、これ、俺が毎晩飲んでたやつだ」


ハヤトさんが、少しだけ嬉しそうに、缶に手を伸ばした。


――ない。


缶が、ない。


「……え?」


ゆっくりと振り返ると、少し離れた墓石の陰から、リーゼントの先端がはみ出していた。


「……あの、それ、俺の……」


「――おう。新入り」


鬼塚さんが、エナジードリンクの缶を片手に、のっしのっしと出てきた。


「これ、何の飲みもんだ? 色が毒みてえだな」


「いや、普通に窃盗っすよ、それ」


「ここじゃ、お供えは早いもん勝ちなんだよ」


「そんなルール、聞いてないっす」


「今、言った」


――鉄板だ。


あたしは、縁側で頭を抱えた。


「――こらぁぁぁ鬼塚の小僧ぉぉぉ!! 新入りのお供えにまで手を出すとは何事じゃあぁぁ!!」


源蔵じいちゃんが、どこからともなく飛んできた。


「うるせえジジイ、これは歓迎の儀式だ!」


「そんな儀式があるかぁぁぁ!!」


――スポーン。


いつもの音がして、いつもの首が、五月の青空を飛んだ。


「――――っ!?」


ハヤトさんが、その場で固まった。


飛んでいった鬼塚さんの首が、放物線を描いて、ちょうどハヤトさんの目の前に、ごろんと転がってくる。


首が、下からハヤトさんを見上げて、にやりと笑った。


「――よう。これからよろしくな、新入り」


「うわああああああ!!!」


ハヤトさんは、絶叫して、三メートル後ろに跳びのいた。


「く、首!! 首取れてますよ!? 大丈夫なんすか!?」


「大丈夫だよ。幽霊だから」


「幽霊でも首は取れちゃだめでしょ!?」


「ここじゃ、毎朝取れるんだよ」


「毎朝!?」


首なしの鬼塚さんの体が、手探りで首を拾い上げて、すぽんと元に戻した。

それから、ハヤトさんの肩に、がしっと腕を回した。


「――っ!」


「まあまあ。近所付き合いってのは、最初が肝心だからよ」


「……ち、近いっす……」


ハヤトさんの顔が、真っ青になっていた。


「え、なんでそんな怯えてんの」


「……いや、その」


ハヤトさんは、肩に回された腕を見て、小さな声で言った。


「……人に、肩組まれたの、初めてなんで」


――え。


鬼塚さんが、ぴたりと止まった。


「……生きてる頃も、か?」


「……まあ、ほぼ」


鬼塚さんは、しばらく黙っていた。

それから、肩に回した腕に、もうちょっとだけ、力を込めた。


「……じゃあ、慣れろ。ここじゃ、毎日組むからな」


「……え、毎日?」


「毎日だ」


――エナジードリンクは、結局、鬼塚さんとハヤトさんが、半分こして飲んだ。


「……うわ、まっず。なんだこれ」


「……それが、いいんすよ」


⭐︎麗華の糸、再び


その日の午後。


「――ハヤトさん。都会の若い方として、ご意見を伺いたいことがございますの」


麗華が、日傘を閉じて、ハヤトさんの前に立った。


「レトロの件は、もう水に流しましたわ。……たぶん」


「……たぶんなんすね」


「振袖の袖の内側に、金糸とは違う、きらきらしたラメ糸で、何かが縫い付けてあるとしたら。……今どきの若い方の感覚で、それは何だと思われます?」


ハヤトさんは、少し考えて、あっさりと言った。


「推し活じゃないすか」


「……おしかつ?」


「好きなアイドルとかの名前とか、メンバーカラーとか、服やうちわに刺繍するんすよ。ラメ糸で。最近、流行ってるんで」


「……まあ……!」


麗華の目が、きらりと光った。


――また、この目だ。


「――わかりましたわ、貞子さん!!」


「……今度は何?」


「あの糸は、貞子さんのお母様の推し活ですわ!! お母様は、ひそかにアイドルをお慕いになっていて、その方のお名前を、振袖の袖に縫い込まれたのですわ!!」


「……ママの推しの名前が、あたしの振袖に?」


「ええ!!」


「……それ、あたしが着るやつなんだけど」


「――――あっ」


麗華が、日傘を取り落とした。


「……む、娘の晴れ着に、ご自分の推しの名前を縫われる理由は……ございませんわね……」


「ないよね」


――麗華探偵、本日も、推理、外れ。


ハヤトさんが、横で、小さく吹き出していた。


「……この人、面白いっすね」


「でしょ。毎日こんな感じだよ」


⭐︎名前のない家


その夜。


あたしは、字の入っていない墓石の前で、ハヤトさんが一人で座っているのを見つけた。


「……隣、いい?」


「……どうぞ」


ハヤトさんは、墓石に背中を預けて、夜空を見上げていた。東京より、ずっと星が多い空だ。


「……ここ、星、すごいっすね」


「でしょ。ここの自慢なんだ」


しばらく、二人で、黙って星を見ていた。


「……俺、事故だったんすよ」


ハヤトさんが、ぽつりと言った。


「二十二のとき。会社に行く途中、自転車で。……朝、寝坊して、急いでて」


――あたしと、少し似てる。


急いでいた朝。ほんの少しの、タイミング。


「……それで、東京の納骨堂に入ったんす。両親、そのときは東京に住んでたんで。……でも、一年くらいして、父さんが定年になって、二人とも、こっちの実家に帰っちゃって」


「……こっちの実家?」


「母さんの地元なんすよ、ここ。……俺、東京育ちなんで、ほとんど来たことないっすけど」


ハヤトさんは、膝を抱えた。


「……二人が地元に帰ってから、お参り、ほとんど来なくなったんすよ。……まあ、遠いし、しょうがないっすけど」


――B-1247番、お参りの方がいらっしゃいました。


その放送が、一年間、ほとんど鳴らなかった。


「……で、今度は、ここに引っ越し。……たぶん、東京の納骨堂の管理費、高いからっすよ。田舎の墓なら、安いし。……厄介払いっすよね、要するに」


「……そんなこと」


「だって、この墓、名前も入ってないんすよ」


ハヤトさんは、振り返って、つるつるの墓石を、こんこんと叩いた。


「前は番号で、今度は名前なし。……俺、どこ行っても、誰でもないんすよね」


――誰でも、ない。


あたしは、胸の奥が、ぎゅっとなった。


ナナシさんと呼ばれていた頃の、清一さんを思い出す。

名前を忘れられて、何十年も、誰でもなかった人。


「……ハヤトさん」


「はい」


「……ハヤトさんは、一ノ瀬ハヤトさんだよ。昨日、自分でそう言ったじゃん」


ハヤトさんは、少し驚いたように、あたしを見た。


「……まあ、そうっすけど」


「ここではね、名前、みんなで呼ぶんだよ。毎朝。当番表まであるんだから」


「……当番表?」


「そう。月曜日は桜庭家、火曜日は西園寺家……って、慈念さんが、お経の最後に呼んでくれるの」


ハヤトさんは、しばらく黙っていた。


それから、ふっと、小さく笑った。


「……田舎、めんどくさいっすね」


「でしょ」


でも、その横顔は、少しだけ、ほっとしているように見えた。


――縁側の暗がりで、源蔵じいちゃんが、腕を組んで、じっと、その字のない墓石を見つめていたことに、あたしは、まだ気づいていなかった。


最後までお読みいただきありがとうございました。

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