「B-1247は、表札がほしい。」(前半)
⭐︎都会から来た人
五月。連休の初日。
墓地の西の端、竹林とは反対側の新しい区画に、真新しい墓石が一つ、建っていた。
つるつるに磨かれた黒い御影石。
でも、正面には、まだ何も彫られていない。
台座の横に、石材店の名前が入った白い札が一枚、ぶら下がっているだけだ。
「……字、入ってないね」
「来月、彫り入れをなさるのですって。円海さんがおっしゃっていましたわ」
麗華が、日傘の下で首をかしげた。
「東京の納骨堂から、お引っ越しなさってくるそうですわよ」
その日の昼。
黒いワゴン車が山門の前に止まって、五十代くらいの夫婦が降りてきた。
お母さんのほうが、白い布に包んだ骨壺を、胸に抱えている。
円海さんと慈念さんが読経する中、骨壺は、真新しい墓石の下に、そっと納められた。
――そのとき。
墓石の前に、ふわっと、人影が立ち上がった。
「……は?」
二十代半ばくらいの、男の人だった。
グレーのパーカーに、細身の黒いパンツ。
真っ白なスニーカー。
前髪は、ちょっと長めのセンターパート。
首からは、ワイヤレスのイヤホンが、コードもないのにぶら下がっている。
男の人は、ぽかんと口を開けて、辺りを見回した。
本堂。
桜の散った木々。
瓦屋根みたいな墓石の家々。
それから、自分の足元の、何も彫られていない墓石を見下ろした。
「……え、待って。ここ、どこっすか」
「――いらっしゃいませ、新しいご近所さん!」
あたしは、いちばん乗りで駆け寄った。
「ここは、某県某市、某寺の墓地だよ! あたし、桜庭貞子。よろしくね!」
「……貞子?」
「……うん。その反応、もう慣れてるから大丈夫」
男の人は、少しだけ気まずそうに、首の後ろをかいた。
「……一ノ瀬っす。一ノ瀬ハヤト。……で、ここ、何階っすか?」
「……何階?」
「いや、フロア。俺、B棟の十二階だったんで」
――話が、まったく噛み合わなかった。
⭐︎朝礼はブラック
翌朝、六時半。
「――朝礼を、始めます!」
いつものように、ふみ先生の声が響いて、墓場中の霊が、背の順に整列した。
源蔵じいちゃんと鬼塚さんは、最初から、砂利道に並んで立っている。
――その列の端で、ハヤトさんが、あくびを噛み殺していた。
「……え、毎朝これやってるんすか」
「そうだよ。六時半から」
「ブラックすぎません?」
「――そこの新入り」
ふみ先生の眼鏡が、きらりと光った。
「私語は慎みなさい。それから、背の順です。あなたは、もう少し後ろ」
「……あ、はい」
ハヤトさんは、ぶつぶつ言いながら、鬼塚さんの隣へ移動した。
「……前の納骨堂、朝礼とかなかったっすよ。フロアごとに空調で、二十四時間、静かで」
「――空調?」
列の前のほうで、麗華が、ぴくりと耳を動かした。
「ええ、空調完備っす。温度も湿度も一定。雨にも濡れないし、夏も冬も快適。お参りの人は、受付のタッチパネルに番号入れるだけで、お骨が自動でお参りブースまで運ばれてくるんすよ」
「……じ、自動で?」
「そうっす。お墓のほうが、人のところに来る仕組みっす」
――ざわっ。
墓場中の霊が、どよめいた。
「……お墓が、動くのか……?」
「……わしの家は、七十年、一歩も動いとらんぞ……」
源蔵じいちゃんが、砂利道で呆然としていた。
ハヤトさんは、朝礼のあと、墓地をぐるりと見て回った。
鬼塚家之墓。轟家之墓。桜庭家之墓。そして、西園寺家之墓の前で、足を止めた。
墓地で一番大きい、もはや城と呼んでもいい、大正時代からの立派なお屋敷。
麗華の、自慢の家だ。
「――いかがですの? 西園寺家の屋敷ですわ」
麗華が、日傘をくるりと回して、胸を張った。
ハヤトさんは、しばらく眺めてから、正直に言った。
「……レトロっすね」
――ばたん。
麗華が、その場に、日傘ごと倒れた。
「れ、麗華ぁぁぁ!!」
「……れ、れ、レトロ……わたくしの……屋敷が……レトロ……」
「しっかりして、麗華! レトロって、褒め言葉のときもあるから!」
「……今のは、確実に……褒めておりませんでしたわ……」
ハヤトさんは、きょとんとしていた。
「え、俺、なんか悪いこと言いました?」
「……うん、ちょっとね」
⭐︎納骨堂あるある
「――で、その納骨堂っての、実際どうなんだよ」
その日の午後。
桜庭家の縁側に、なぜか、墓場中の霊が集まっていた。お題は、『都会の納骨堂のお話を聞く会』。議長は、立ち直った麗華だ。
「……まあ、快適は快適っすよ」
ハヤトさんは、縁側の端に腰かけて、スニーカーのつま先を見つめた。
「ただ、一個だけ、しんどいことがあって」
「しんどいこと?」
「……お参りの人が来るたびに、運ばれるんすよ」
「運ばれる?」
「受付で番号入れるじゃないですか。そしたら、ロッカーの中から、俺のお骨がベルトコンベアみたいなので、ガーッと運ばれていくんです。……で、霊の俺も、それに引っ張られて、一緒に運ばれる」
「……一緒に?」
「縦に三十メートル、横に五十メートル。途中で、九十度カーブが三回あります」
「「「…………」」」
「毎回、酔います」
「幽霊なのに!?」
「幽霊なのに、酔います。……しかも、呼ばれるときの館内放送が、『B-1247番、お参りの方がいらっしゃいました』なんすよ」
――B-1247番。
「……名前じゃ、ないんだ」
あたしが、ぽつりと言うと、ハヤトさんは、少しだけ肩をすくめた。
「番号のほうが、管理しやすいんで。……三千人も入ってれば、そうなりますよ」
「三千人!? そんなに、ご近所さんがいたの?」
「……いましたね。上下左右、びっしり」
「じゃあ、毎日、にぎやかだったんじゃない?」
ハヤトさんは、少し黙った。
それから、なんでもないことみたいに、言った。
「……いや。誰とも、話したことないっす」
――え。
「隣のロッカーの人、二年間、顔も見たことないっすね。……そういうとこなんで。都会って」
ハヤトさんは、それだけ言うと、イヤホンを耳に当てるふりをした。
もちろん、何も聞こえてはいないはずなのに。
縁側が、少しだけ、しんとした。
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