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墓場ぐらしのサダコさん  作者: 則本潮


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「墓場に、朝礼がやってきた。」(後半)

⭐︎一年で一番好きな日


四月八日。


朝から、よく晴れていた。

竹林の桜の苗木にも、小さな花が、三つ、四つ、ほころんでいる。


「……今日は、入学式の日ですね」


朝礼のあと、ふみ先生が、ぽつりと言った。


「わたしは、一年で、この日が一番好きでした。……ぶかぶかのランドセルを背負った子たちが、校門をくぐってくる。その子たちの名前を、初めて呼ぶ日ですから」


ふみ先生は、それだけ言うと、いつものように背筋を伸ばして、桜の苗木の下に座った。


――その日の、お昼前のことだった。


「……すみません。こちらに、花村ふみ先生が眠っていると、伺ったのですが」


山門のほうから、声がした。


振り返ると、六十代くらいのおじさんが、慈念さんに頭を下げていた。

グレーの背広に、少し曲がったネクタイ。

手には、白い菊の花束。


「……はい。樹木葬の区画に。……ご案内しますね」


慈念さんが、竹林のほうへ歩き出す。


――その後ろから、もう一人。


また、もう一人。


「……あら、佐伯くん?」


「……もしかして、みっちゃん?」


「おう、久しぶりだなあ!」


山門をくぐってくる人が、どんどん増えていく。

三人、五人、十人。


みんな、六十代か七十代くらい。

杖をついたおばあさんもいれば、孫の手を引いたおじいさんもいる。

手には、花束や、お菓子の包みや、色あせたアルバム。


「……な、なんじゃ、なんじゃ、この人数は」


源蔵じいちゃんが、目を丸くした。


「……まさか」


あたしは、竹林のほうを振り返った。


ふみ先生が、桜の苗木の下で、立ち上がっていた。


眼鏡の奥の目が、信じられないものを見るみたいに、大きく見開かれている。


「……どうして」


ふみ先生の声が、震えていた。


「……知らせないでと、言ったのに」


⭐︎起立、礼


竹林の前の空き地に、教え子さんたちが、ぎっしりと集まっていた。


最初に来た背広のおじさん――佐伯さんが、みんなの前に立って、少し照れくさそうに頭をかいた。


「……えー、急な呼びかけにもかかわらず、お集まりいただいて、ありがとうございます。……昭和五十年代の初めに、花村先生のクラスで、卒業したみんなです」


佐伯さんは、ポケットから、何枚ものハガキの束を取り出した。


「……先生は、毎年、年賀状をくださいました。一人ひとりに、手書きで。……今年、初めて、届かなかった。……それで、先生のお宅に電話したら、甥御さんが、教えてくださったんです」


佐伯さんは、少しだけ、苦笑した。


「……『叔母には、内緒にしてくれと言われていたんですが』って」


――甥御さん、グッジョブ。


あたしは、心の中で、思いっきり親指を立てた。


「……それで、同窓会の連絡網を回したら、今日、これだけ集まりました。……今日は、四月八日。先生が、一年で一番好きだった日です」


佐伯さんは、背筋を伸ばした。


それから、大きく、息を吸った。


「――それでは、みんな。……背の順に、整列!」


――ざざっ。


六十代、七十代の大人たちが、いっせいに動いた。


誰も、迷わなかった。

何十年も前に体に染み込んだ順番を、みんな、ちゃんと覚えていた。

杖のおばあさんが前へ、背の高いおじいさんが後ろへ。

あっという間に、きれいな列ができあがる。


「……わ」


あたしは、思わず、声を漏らした。


気づいたら、あたしも、並んでいた。

源蔵じいちゃんも、鬼塚さんも、麗華も、雷太さんも、清一さんも、トメばあちゃんも。

教え子さんたちの列の隣に、幽霊の列が、もう一本。


一週間の朝礼が、体に染み込んでいた。


「……起立!」


佐伯さんの号令に、全員が、背筋を伸ばした。

生きている人も、死んでいる人も。


「――礼!」


「「「「おはようございます、ふみ先生!!」」」」


竹林中に、声が響いた。


生きている人たちの声と、幽霊たちの声が、重なって。


――桜の苗木の下で、ふみ先生が、立ち尽くしていた。


眼鏡の奥から、ぽろぽろと、涙がこぼれていた。


「…………おはよう、ございます」


ふみ先生は、震える声で、でも、朝礼のときと同じ、よく通る声で、答えた。


それから、列の一番前から、一人ずつ、顔を見ていった。


「……佐伯、和夫くん。……ネクタイが、曲がっていますよ。昔から、そうでしたね」


「……田中、美千代さん。……いつも、給食の牛乳を、こっそりわたしの机に置いていった子」


「……木下、勇作くん。……運動会のリレーで、転んで、それでも最後まで走った子」


一人、また一人。


ふみ先生は、五十年前の子どもたちの名前を、一人も間違えずに、呼んでいった。


もちろん、その声は、生きている人たちには、聞こえない。


でも――風が、吹いた。


線香の煙が、ふわりと曲がって、列の一人ひとりの頰を、順番に、そっと撫でていった。


「……今、先生の声が、した気がする」


佐伯さんが、目元を押さえながら、つぶやいた。


「……名前を、呼ばれた気がした」


「……わたしも」


「……俺も」


教え子さんたちが、次々に、顔を覆った。


――ふみ先生は、三千人の名前を、覚えていた。


そして、三千人のうちの何十人かが、今日、先生の名前を、呼びに来た。


呼ぶ側だった人が、今日、初めて、呼ばれる側になった。


⭐︎気をつけ


――ふわっ。


「……あ」


足元が、光っていた。


あたしだけじゃない。

列に並んでいた幽霊全員の足元が、朝日みたいに、光り始めていた。


「――ちょ、まずい、まずい!」


「……こ、これは……エ……エモ……」


「麗華、今はだめ!!」


「わ、わかっておりますわぁぁぁ……!!」


体が、ふわりと浮き上がる。


一番最初に、ごまが、すごい勢いで昇っていった。

尻尾をぶんぶん振りながら、嬉しそうな顔で、どんどん、どんどん。


それから、ふみ先生の体も、光に包まれて、ゆっくりと、浮き上がり始めていた。


「……慈念さん! お経! お経、お願い!!」


あたしが叫ぶのと同時に、竹林の前で、慈念さんが経本を開いた。

教え子さんたちのための、読経だ。


「――観……自在っ、菩薩……」


――ずしっ。


……いや、ずしっ、じゃない。


ふわっ、くらいだった。


「――か、軽いっ!!」


「効いてねえぞ、これ!!」


慈念さんのお経は、教え子さんたちの前で、ものすごく丁寧に、心を込めて読まれていた。

上手だった。困るくらい、上手だった。


胃もたれは、ほとんど、来なかった。


「――誰か!! 誰か、止めて!!」


全員の体が、竹林の竹のてっぺんを越えようとした、そのとき。


「――全員、気をつけ!!!」


――ぴしっ。


ふみ先生の号令が、空に響いた。


一週間、毎朝、聞き続けた声。


体が、勝手に反応した。

全員が、空中で、背筋をぴんと伸ばして、両手を体の横にぴたりとつけた。


――その瞬間。


ひゅうううううん、と。


気をつけの姿勢のまま、全員が、まっすぐ、垂直に、落ちていった。


ドスドスドスドスッ!!


竹林の前の地面に、幽霊たちが、一列に、きれいに突き刺さった。

背の順に。


「……い、今の、何……?」


「……気をつけしたら、なんか、重くなった……」


「……わしら、完全に、体が朝礼仕様になっとるんじゃな……」


最後に、ごまが、空の上から、くるくる回りながら落ちてきた。


「――ごま、待て!」


――すとん。


ごまは、ふみ先生の足元に、ぴたりとお座りした。

尻尾だけが、まだ、ぶんぶん回っていた。


ふみ先生も、いつの間にか、地面に立っていた。自分の号令で、自分も落ちてきたらしい。


「……朝礼の途中で帰る校長が、どこにいますか」


ふみ先生は、眼鏡を押し上げて、涙を拭いながら、少しだけ笑った。


――新しい安全装置が、見つかったかもしれない。


⭐︎宿題


お昼過ぎ。


教え子さんたちは、一人ずつ、桜の苗木の前で手を合わせて、帰っていった。


最後に残ったのは、佐伯さんだった。


「……先生。宿題、覚えてますか」


佐伯さんは、桜の苗木に向かって、静かに話しかけた。


「卒業式の日に、先生が、クラス全員に出した宿題。……『自分の名前を、胸を張って言える大人になりなさい』って」


――自分の名前を。


あたしは、はっとして、ふみ先生を見た。


ふみ先生は、何も言わずに、佐伯さんの顔を、じっと見つめていた。


「……五十年、かかりましたけど。……今日、みんな、ちゃんと、自分の名前を名乗りに来ましたよ」


佐伯さんは、背筋を伸ばした。


「――佐伯和夫。六十二歳。町工場の社長です。……先生の教え子です」


それから、深く、頭を下げた。


「――先生。また来ます。……今度は、孫も連れて」


佐伯さんの背中が、山門の向こうに消えていく。


ふみ先生は、ずっと、その背中を見送っていた。


「……花丸、ですね」


小さな声で、そうつぶやいた。


⭐︎墓場の朝礼


翌朝、六時半。


「――朝礼を、始めます」


竹林の前には、もう、全員が整列していた。

背の順に。

誰にも言われていないのに。


「……おや」


ふみ先生が、眼鏡を押し上げた。


「そこの二人。まだ何も言っていませんよ」


列の後ろの砂利道で、源蔵じいちゃんと鬼塚さんが、最初から、二人並んで、まっすぐ立っていた。


「……どうせ喧嘩するからのう。先に立っておいたほうが、話が早い」


「……効率化だよ」


「……よろしい」


ふみ先生は、少しだけ、口元をゆるめた。


「――では、本日の連絡事項。……トメさん」


「はいはい」


トメばあちゃんが、にこにこと、お盆を持って前に出た。

お盆の上には、糠漬けの胡瓜。


「本日から、胡瓜の厚さは、五ミリで手を打ちました」


「「「おおおおっ……!」」」


――漬物戦争、和平成立。


墓場中から、どよめきが起きた。


「それから、もう一つ」


ふみ先生が、本堂のほうを見た。


「円海さんのお話によると、連休に、東京の納骨堂から、一人、改葬されてくる方がいらっしゃるそうです」


「……また、新しいご近所さん?」


「ええ。……若い方だそうですよ」


――ざわっ。


「では、本日の朝礼を終わります。……起立、礼」


「「「「おはようございました!!」」」」


「……『ございました』は、変ですね」


――本堂から、慈念さんのお経が聞こえてくる。


「――かっ、観……自ざいっ……!」


「「「「……チッ」」」」


胃もたれは、やっぱり、軽い。


そして、お経の最後に。


「……本日は土曜日。……花村、ふみさん」


桜の苗木の下で、ふみ先生の背筋が、いつもより、ほんの少しだけ、まっすぐ伸びた気がした。


その足元で、ごまが、墓石の上のおはぎに向かって、また、全力で尻尾を振っていた。


おはぎは、今日も、心の底からどうでもよさそうな顔で、大あくびをしていた。


――でも、ごまの尻尾が止まるまで、その場から動かなかった。


墓場は今日も、成仏しない。


そして、この墓場の朝には、今日も、号令が響いている。


(第十四話 完)


最後までお読みいただきありがとうございました。

少しずつ書きたい内容の本質的なものが把握出来てきた気がする。多分。

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