「墓場に、朝礼がやってきた。」(前半)
⭐︎新しいご近所さん
四月。墓地の桜が、今年もいっせいに咲いた。
本堂の裏の竹林は、一か月前とはすっかり様子が変わっていた。
竹が何本か切られて、ぽっかり明るくなった斜面に、若い桜の苗木が一本と、低い植え込みがいくつか。
足元には、名前を刻んだ小さなプレートが、まだ一枚だけ置かれている。
『樹木葬墓地 さくらの丘』
「……じゅもくそう?」
あたしは、竹林の入り口から、首を伸ばして覗き込んだ。
「お墓石の代わりに、木を墓標にするお墓ですわ。最近は、こういう形を選ぶ方も多いのですって」
麗華が、日傘の下で、したり顔で解説した。
「円海さんが、お寺の維持のために始められたそうですわ。……あの土地の件で、本山にもいろいろとご心配をおかけしましたものね」
「へえ。……じゃあ、ここに住む人は、一軒家じゃなくて、木の下に住むんだ」
「ええ。言うなれば、ツリーハウスですわね」
「ちょっとおしゃれじゃん」
その日の午前、竹林の前で、小さな納骨式が開かれた。
円海さんと慈念さんが並んで読経する。
参列者は、スーツ姿の中年の男の人が一人だけ。
遠い親戚の甥御さんらしい。
「……叔母は、子どもがおりませんでしたので」
甥御さんは、円海さんに、少し申し訳なさそうに頭を下げた。
「生前に、全部自分で手配していたんです。お墓も、お葬式の段取りも。……『誰にも手間をかけたくない』と言って」
――誰にも、手間を。
小さな骨壺が、桜の苗木の根元に、そっと納められた。
それから、もう一つ、もっと小さな、白い包み。
「……これは?」
「叔母が飼っていた犬の骨です。十年前に亡くなってから、ずっと家に置いていて。……ここは、ペットと一緒に入れるのがいいって、叔母が選んだんです」
――そのとき。
桜の苗木の下に、ふわっと、人影が立ち上がった。
背筋が、定規で引いたみたいに、まっすぐ伸びたおばあさんだった。
白髪をきっちりとひっつめて、灰色のカーディガンのボタンを、一番上まで留めている。
首からは、細い鎖で、眼鏡を下げていた。
その足元で、茶色い毛の塊が、ぶんぶんと尻尾を振っていた。
柴犬だ。
くるんと巻いた尻尾が、プロペラみたいに回っている。
おばあさんは、眼鏡をかけて、ゆっくりと辺りを見回した。
本堂。竹林。その向こうに並ぶ、墓石の家々。
そして、竹林の入り口から、ぽかんと口を開けて覗いている、あたしたちを見た。
「――おはようございます」
よく通る声だった。
「……え、あ、おはよう、ございます」
「声が小さい」
「……おはようございます!」
「よろしい」
おばあさんは、満足そうに頷いて、眼鏡を指で押し上げた。
「花村ふみと申します。……ところで、ここは、どちらの学区ですか」
「……がっく?」
――新しいご近所さんは、ちょっと、いや、かなり、クセが強そうだった。
⭐︎朝礼
翌朝、六時半。
「――朝礼を、始めます!」
墓地中に、ふみさんの声が響き渡った。
「……ちょ、まだ六時半なんだけど……」
あたしは、縁側で、寝ぼけ眼をこすった。
幽霊だから眠くはないはずなのに、なぜか眠い。
竹林の前の空き地に、ふみさんが、背筋をぴんと伸ばして立っていた。
その隣で、柴犬のごまが、お座りをしている。
尻尾だけが、相変わらず、ぶんぶん回っていた。
「全員、整列! 背の順!」
「……え、あたしたちも?」
「当然です。同じ地域に住む以上、一日の始まりは、朝礼からです」
――誰も、逆らえなかった。
なぜだろう。
あの声には、逆らえない何かがある。
気づいたら、墓場中の霊が、ぞろぞろと竹林の前に集まって、背の順に並んでいた。
一番前に、トメばあちゃん。
一番後ろに、リーゼントの分だけ背が高い鬼塚さん。
「……わし、何十年ぶりじゃろう、整列なんぞ」
「俺も。……中学以来だわ」
「――まあ! 朝礼ですのね!」
麗華だけが、なぜか、目をきらきらさせていた。
「女学校の頃を思い出しますわ! わたくし、朝礼、大好きでしたの!」
「麗華、そういうタイプだったんだ」
「起立、礼、着席。美しい所作の基本ですわ!」
「――そこの二人」
ふみさんの眼鏡が、きらりと光った。
「私語は慎みなさい」
「「……はい」」
――麗華とあたし、初日から注意された。
「では、本日の予定を連絡します。本日は晴れ。風は弱い。……それから、そこの二人」
ふみさんが、ぴしっと指さした先。
列の後ろのほうで、源蔵じいちゃんと鬼塚さんが、小声で揉めていた。
「……おい鬼塚の小僧、今、わしの足を踏んだじゃろう」
「踏んでねえよ。ジジイの足がでけえんだよ」
「なんじゃとぉ……!」
源蔵じいちゃんの拳が、ぐっと握られた。
いつもの流れだ。
三秒後には、スポーンの音がして、首が飛ぶ――
「――廊下に、立っていなさい!」
――ぴたっ。
源蔵じいちゃんの拳が、空中で止まった。
「……ろ、廊下?」
「……廊下って、どこだよ」
二人は、きょろきょろと辺りを見回した。
墓場に、廊下はない。
「……廊下がなければ、砂利道で結構です。朝礼が終わるまで、そこに立っていなさい」
「「…………はい」」
腕利きの大工の棟梁と、元・暴走族のヤンキーが、二人並んで、砂利道に、まっすぐ立たされた。
「……ぷっ」
「そこ!」
「すみません!」
――あたしまで、怒られた。
⭐︎ごま、全力
朝礼のあと、柴犬のごまが、墓場中を駆け回り始めた。
とにかく、全員に挨拶したいらしい。
「ワンッ! ワンワンッ!」
トメばあちゃんの足元に飛びついて、尻尾をぶんぶん。
「あらあら、元気ねえ」
雷太さんの見えないギターに、鼻を突っ込んで、尻尾をぶんぶん。
「……おい、弦に鼻を当てるな」
清一さんの膝に、前足を乗せて、尻尾をぶんぶん。
「ほっほっ。人懐っこい子じゃのう」
――感情が、全部、顔と尻尾に出る子だった。
「ごまちゃん、可愛いねえ」
あたしが、しゃがんで頭を撫でてやると、ごまは、目をうるうるさせて、あたしの手に顔をこすりつけてきた。
幽霊同士だから、ちゃんと触れる。ふかふかだ。
「いい子だね、ごまちゃん。いい子、いい子」
「クゥーン……」
――ふわっ。
「――え」
ごまの足元が、光っていた。
「ちょ、ちょっと待って! ごまちゃん!?」
ごまの体が、ふわりと、宙に浮いた。
尻尾をぶんぶん振りながら、幸せそうな顔で、どんどん昇っていく。
「褒められただけで!? 撫でられただけで成仏しかけるの!?」
「……あの子は、昔からそうでした」
いつの間にか、ふみさんが、あたしの隣に立っていた。
「褒めると、すぐに舞い上がる子でしてね。文字どおり」
「文字どおりすぎるよ!!」
「――かっ、観……自ざいっ……!」
ちょうど、本堂から、慈念さんの朝のお経が聞こえてきた。
――ずしっ。
「キャンッ」
ごまが、ぽとんと、地面に落ちてきた。
「……よ、よかった……」
でも、あたしの胸にも、なんだかいつもより軽い胃もたれしか来なかった。
ごまも、落ちてきたのは、ぎりぎり、屋根の高さの手前だった。
「……なあ。今日も軽かったよな」
雷太さんが、また、難しい顔をしていた。
「……うん」
――安全装置は、少しずつ、確実に、弱くなっている。
そのとき、ごまが、新しい標的を見つけた。
墓石の上で丸くなっている、おはぎだ。
「ワンッ!!」
ごまは、全速力で、おはぎに向かって駆け出した。
尻尾が、今日一番の勢いで回っている。
おはぎは、片目だけ開けて、ごまを見た。
そして、心の底からどうでもよさそうな顔で、大あくびをした。
「……クゥーン」
ごまが、その場で、しおしおとしぼんだ。
尻尾が、力なく垂れる。
耳も、ぺたんと寝た。
「……ワン?」
もう一回、吠えてみる。
おはぎは、寝返りを打って、背中を向けた。
「……クゥゥン……」
ごまは、この世の終わりみたいな顔で、あたしの足元に戻ってきて、うずくまった。
「……ごまちゃん、元気出して。おはぎは、誰にでもあんな感じだから」
――褒められれば昇りかけ、無視されれば地面にめり込みそうになる。
墓場に、とんでもなく感情の振れ幅が大きい住人がやってきた。
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