番外編「ラブバラードは、続きの音。」(中盤)
⭐︎麗華と貞子の、印象的なやり取り
美月さんたちが、そのまま険悪なまま、山門を出ていった後。
あたしは、少し離れたところで、日傘の柄を、じっと見つめている麗華に気づいた。
「……麗華?」
「……あら、貞子さん」
麗華は、いつもの笑顔を、慌てて浮かべた。でも、それは、いつもより、どこか、無理をしているように見えた。
「――麗華、なんかあった?」
「……いいえ。……ただ」
麗華は、少し、間を置いてから、静かに言った。
「……羨ましいな、と思っただけですわ」
「……羨ましい? あんな、らっきょうで喧嘩してる二人が?」
「――ええ」
麗華は、日傘を、そっと閉じた。
「……わたくし、蒼一郎さんと、あんな、くだらない喧嘩さえ、できませんでしたの」
――あ。
あたしは、はっとした。
「……月に一度、木のうろに手紙を入れて。……たまに、二人きりで、自転車の練習をして。……それだけの、短い日々でしたわ。……カレーの好みで揉めることも、生活の些細なことで意地を張り合うことも……そんな、当たり前の日常を、わたくしたちは、一度も、持てなかった」
麗華の声は、いつもの明るさから、少しだけ、遠ざかっていた。
「……美月さんたちを見ていると、いつも、幸せを感じますの。……でも、時々、ほんの少しだけ……。あんな、くだらないことで喧嘩できる日常が、羨ましくなりますのよ」
――九十年前の恋は、叶わなかった。
それでも、麗華は、ちゃんと前を向いて、笑って生きてきた。金木犀の花が降った、あの秋の日、たしかに、区切りをつけたはずだった。
でも、心の奥の、小さな寂しさは、消えるものじゃないのかもしれない。
「――麗華」
あたしは、麗華の手を、そっと握った。
すり抜けたけど、構わず、握るふりを続けた。
「あたしたち、もう、あんな、当たり前の日常は、送れないよ。……生きてないから」
「……ええ」
「でもさ、麗華は、美月さんたちの、ああいうくだらない喧嘩を、こうやって、見届けられるじゃん。
羨ましいと思いながらも、ちゃんと、そばで、見ていられるじゃん」
麗華が、あたしの方を、見た。
「……それって、実は、けっこう、幸せなことなんじゃないかな。……麗華は、蒼一郎さんとは過ごせなかった時間を、今、美月さんたちの中に、見つけてるんだと思う」
麗華は、しばらく、黙っていた。
それから、ふっと、小さく笑った。
「……貞子さんは、本当に、時々、大人びたことをおっしゃいますわね」
「……十六歳で成長止まってるけどね、これでも」
「――ふふ。……そうですわね。……あの子たちの、くだらない喧嘩も、わたくしにとっては、大事な、贈り物なのかもしれませんわ」
麗華の目に、いつもの、きらきらとした輝きが、戻ってきていた。
⭐︎雷太、決意する
その話を、少し離れたところで、黙って聞いていた人物がいた。
「……なあ」
北の端から、いつの間にか、雷太さんが、こちらに歩いてきていた。
「……俺に、できることがあるかもな」
「……雷太さん?」
「――麗華の話、聞いてた。……悪いな、盗み聞きして」
雷太さんは、長い前髪をかき上げて、珍しく、真剣な顔をしていた。
「……あの二人の喧嘩、俺が、仲直りのきっかけ、作ってやれるかもしれねえ」
「……どうやって?」
「――ラブバラードだ」
「……はい?」
あたしと麗華は、同時に、間の抜けた声を出した。
「俺は、ロックとメタルしか、まともにやってこなかった。……ハーモニックマイナーのリフとか、歪んだギターとか、そういうのしか、知らねえ」
雷太さんは、見えないギターを、そっと構えた。
「……でも、あの二人に、届けたい音は、そういうのじゃねえ気がする。……もっと、優しい音だ。渾身の、ラブバラードだ」
「……雷太さんが、バラード……?」
「――笑うなよ」
「笑わないよ! むしろ、めちゃくちゃかっこいいと思う!」
麗華が、両手を組んで、目を輝かせた。
「まあ! 雷太さんが、麗華のために、そこまでしてくださるなんて……!」
「――正確には、麗華のためっつうか、あの喧嘩してる二人のためだけどな」
「そこは、些細なことですわ!」
「そうか……?」
雷太さんは、少し戸惑いながらも、決意を固めたように、頷いた。
「――やってやる。俺の、初めての、ラブバラード」
⭐︎結衣、壁にぶつかる
同じ頃、山門の外では。
「……だめだ。……全然、書けない」
天野結衣は、防音室代わりの自室で、ギターを膝に抱えたまま、頭を抱えていた。
デビューが決まって、初めてのオリジナル曲。プロデューサーからは、「らしさを大事に」と言われている。でも、その「らしさ」が、何なのか、結衣自身、わからなくなっていた。
「……おじいちゃんの店のギター、上手くなったと思ったのに……」
床には、書きかけの歌詞と、ボツにしたメロディの走り書きが、何十枚も散らばっていた。
結衣は、ふと、机の上の写真立てに目をやった。祖父の楽器店で撮った、あの寺の墓地の写真。
轟家之墓の前で、なんとなく撮った一枚だった。
「……なんか、あそこに行くと、落ち着くんだよな……」
⭐︎墓参りを重ねる
それから、結衣は、週末になると、あの寺の墓地を訪れるようになった。
「……こんにちは」
北の端、轟家之墓の前に、ギターケースを背負ったまま、結衣は座り込んだ。
「……ここで弾いていいですか。……なんか、いい気がして」
もちろん、雷太さんには、その言葉は聞こえない。
でも、結衣が、ギターケースを開けて、ぽろん、と一音鳴らすたびに、雷太さんは、じっと、その様子を見つめていた。
「――なんか、今日も、フレーズが浮かびそうで、浮かばない……」
結衣が、ため息をつく。
その隣で、雷太さんが、そっと、見えないギターを構えた。
「――こうだ」
雷太さんの指が、優しく、旋律をなぞる。もちろん、音は、結衣には聞こえない。
でも――結衣の指が、ふと、無意識に動いた。
「……あ」
小さな、優しいメロディの断片が、結衣のギターから、こぼれ落ちた。
「……今の、何……? なんか、急に、浮かんだ……」
結衣は、慌てて、スマホの録音アプリを起動した。
「――もう一回、弾いてみよう」
その隣で、雷太さんが、少しだけ、笑った。
「……悪くねえ拾い方するじゃねえか、お前」
最後までお読みいただきありがとうございました。
常に目が重いのだよ。
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