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墓場ぐらしのサダコさん  作者: 則本潮


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「特攻服は、成仏しない。」(前半)

☆リーゼントは一日にして成らず

朝。

隣の鬼塚家之墓から、ジュウウウ……という音が聞こえてくる。

「……鬼塚さーん、朝から何してんのー?」

墓石の縁からひょいとのぞき込むと、鬼塚さんが正座で、特攻服にアイロンをかけていた。

アイロン。

幽霊が。


「見りゃわかんだろ。特攻服の手入れだ」

「いや、そのアイロンどこから持ってきたのって話なんだけど」

「昭和五十二年にお袋が供えてくれた。『あんたは死んでも身なりだけはきちんとしなさい』ってよ」

墓前にアイロンを供えるお母さん、強すぎない?

しかも未だに現役。霊体の家電は壊れないらしい。

お供えした人の気持ちが尽きない限り、ずっと使える。

死後の世界、少なくとも耐久性に関しては高評価です。


アイロンが終わると、次はリーゼントだ。

小さな手鏡を墓石に立てかけて(もちろん映らない)、ポマードの缶(これもお母さんが供えたらしい)を開けて、指先で少しとる。

そこからが長かった。

前へ流す。ちょっと違う。クシで後ろへ戻す。また前へ。角度が、角度が気に入らない。

――四十分後。


「……よし」

鬼塚さんの頭には、朝日を受けて黒光りする、完璧なリーゼントがそびえていた。

「……昨日と何が違うの?」

「全然違うだろが。今日のは先端が二ミリ上を向いてる」


わからない。

墓石の上に寝そべっていた寺猫のおはぎが、リーゼントをじっと見つめて、ひとつ大あくびをした。

たぶんおはぎにもわかってない。

「ていうかさ、なんで今日はそんな気合い入ってんの?」

「入ってねえよ。いつも通りだ」

「いつもは三十分じゃん」

「……数えてんじゃねえよ」


そのとき、鬼塚家之墓の墓誌が目に入った。刻まれた文字は、風雨に削られて半分くらい薄くなっている。

『鬼塚武 昭和五十三年十月八日歿 行年十九歳』

十月八日。

……あれ? 今日って、十月五日じゃない?

「鬼塚さん、もしかして命日、三日後?」

鬼塚さんの手が、ぴたりと止まった。


「……関係ねえよ」

「えー、あるでしょ。誰か来るかもじゃん」

「来ねえよ。お袋が死んでから、二十年誰も来てねえ。……来なくていいんだよ、別に」

鬼塚さんはそれだけ言うと、ポマードの缶をパタンと閉めて、墓の中に引っ込んでいった。

引っ込む前、墓の裏手に隠してあったお菓子の包み紙が、ちらっと見えた。プリン。黒糖まんじゅう。ミルクキャラメル。どれも、実はよその家のお供え物だ。


――そういえば、この前も、あたしのいちごミルクを盗んだのはこの人だ。

リーゼントに特攻服で、甘党。

「……ふーん」

あたしは鬼塚家之墓の前で、しばらく腕を組んでいた。


☆成仏は、突然に

昼。

「できた……!」

桜庭家の縁側で、源蔵じいちゃんが震えていた。

手には、ぼたもちがひとつ。昨日、孫(つまり、うちのパパの叔母さんにあたる人)が手作りでお供えしてくれたものだ。源蔵じいちゃんは、「最高の状態で食う」と言って一晩寝かせていた。

ただのぼたもちに熟成の概念を持ち込むな。

「いただきます」

ぱく。

――源蔵じいちゃんの動きが止まった。


「……う、うまい……」

その目から、つうっと一筋の涙がこぼれた。

「あんこの甘さが……子どもの頃に母ちゃんが作ってくれたのと……同じじゃ……」

「へー、よかったじゃん。ひいじいちゃん、足、光ってるよ」

「そうか、光っとるか……」

「うん、めっちゃ光ってる。……え、光ってる?」

源蔵じいちゃんの足元から、ほわほわと、暖かい光の粒が立ちのぼっていた。

そしてその体が、座布団からふわぁ、と浮き上がった。


「ひいじいちゃん浮いてるううう!!」

「ああ……母ちゃん……今行くよ……」

「行かなくていいから! ぼたもち一個で成仏する人初めて見たんだけど!!」

あたしはとっさに、源蔵じいちゃんの足首に飛びついた。

それでも止まらない。あたしごと、ゆっくりと昇っていく。


「誰かー! だれかー!!」

「ごきげんよう貞子さん、どうなさいましたの?」

麗華が小走りでやってきて、あたしの足首をつかむ。止まらない。麗華ごと昇る。

「あら、まあ。これはなかなか……良い眺めですわね」

「景色を楽しまないで!!」

源蔵じいちゃん、あたし、麗華。三人連なりの霊が、墓地の上空をゆらゆら昇っていく。

遠くの墓から「お、成仏か?」「わしら三人同時は珍しいのう」とのんきな声が聞こえる。

見物してないで助けて。


そのとき。

「――おい、ジジイ」

下から、不機嫌そうな声が飛んできた。

鬼塚さんだった。墓石の上に立って、ポケットに手を突っ込んで、昇っていく源蔵じいちゃんを見上げている。

「あんたが増築した桜庭家の西側の部屋よ。……三度、傾いてんぞ」

――源蔵じいちゃんの足元の光が、ブツンと消えた。


「……今、なんと言った、小僧」

「傾いてんだよ。ビー玉置いたら転がったぞ」

「この源蔵が建てた家がぁぁぁぁ、傾いとるわけがあるかぁぁぁぁ!!」

激怒した源蔵じいちゃんは、まるで鉄の塊のように重くなって、真っ逆さまに落ちた。

もちろん、その足首にぶら下がっていたあたしと麗華も一緒に。

ドゴシャアアッ。


「……いたぁ……くはないけど……」

「……ごきげん……よう……」

あたしたちが山になっていると、すぐ横の無縁仏の影から、ひょこっとナナシさんが顔を出した。

「ほっほっ。ええもん見せてもらったわい」

「ナナシさん、見てたなら助けてよ! ていうか今の何? ひいじいちゃん、ぼたもちで成仏しかけたんだけど!」


「あれはのう、『満足しすぎた』んじゃ」

ナナシさんは、地面に小枝で絵を描き始めた。棒人間が三つ。


「ええか。霊というもんはな、心が満たされると軽うなる。まず足元が光る。これが『ほわほわ』じゃ」

棒人間の足に、波線が添えられる。

「次に体が浮く。これが『ふわふわ』じゃ。ここまでならまだ戻れる。じゃが……」

三つ目の棒人間が、地面の一番上の端に描かれた。

「空の上まで昇りきったら、それが『本成仏』じゃ。もう戻っては来ん」


――しん、と、一瞬だけ空気が静まった。

「……じゃあ、さっきの、けっこうヤバかったんじゃん」

「あと十メートルといったところかのう」

「ぼたもち怖っ!!」

「逆に、体を重うするもんもある。『重り』じゃな」

ナナシさんは指を三本立てた。

「一つ、未練。二つ、怒り。三つ、……胃もたれじゃ」

「最後だけ急に所帯じみてない?」

「慈念のお経の後、体が重うなるじゃろう。あれじゃ」

あー…………。

あたしと麗華は、同時に深々と頼いた。納得しかない。


「つまりは、じゃ。この墓場で成仏しょうなら、怒らせるか、小僧にお経を読ませればええ。……覚えておきなさい」

ナナシさんはそう言って、小枝を放って、また無縁仏の影に戻っていった。

このときはまだ、その知識があんな形で役に立つなんて、誰も思っていなかった。


――ちなみに。

山の一番下でつぶれていた源蔵じいちゃんは、起き上がるやいなや鬼塚さんに殴りかかっていった。

「あんたのおかげで助かったわい! じゃが許さん、傾いとらんわぁ!!」

「傾いてんだよジジイ!!」

平和な昼下がりだった。


☆鬼塚さんの命日を盛り上げよう作戦

「――というわけで、作戦会議を始めます」

その日の夕方。西園寺家之墓の応接間。展示された剥製の鹿の首がやたら怖い。

あたしは、落ち葉を並べて書いた手作りホワイトボードの前に立っていた。

落ち葉で書かれた文字は、『でこだまつり』

「貞子さん、『でこ』とは、どういう意味ですの」

「きらきらにするって意味」

「まあ。エモいですわね」

「それはたぶん違う。……でね、鬼塚さん、命日に誰も来ないって言ってたでしょ。でもそれ、絶対強がりだと思うんだよね」

朝のリーゼント。四十分。

あれはたぶん、誰かに見てほしい人のリーゼントだ。

「だから、生きてる人が来なくても、あたしたちでお祝いしてあげようよ。鬼塚さんの墓を、墓地で一番きらきらにするの!」

「……貞子さん」

麗華が、すっと立ち上がった。

「その作戦、西園寺家が全面的に後援いたしますわ」

「麗華……!」

「ただし条件があります。どちらがより鬼塚さんを喜ばせられるか、勝負ですわ」

「結局それ!?」


――こうして、作戦は始まった。

作戦その一:落ち葉デコ。

霊は、生きたものにはほとんど触れない。でも、落ち葉くらいなら、集中すればちょっとだけ動かせる。

あたしたちは一晩かけて、鬼塚家之墓の周りに紅葉を敷き詰め、ハート型に並べた。張り切りすぎて、あたしの体はちょっと透けていた。


翌朝。

「うわ、落ち葉がこんなに。ちゃんと掃かないと」

掃除に来た慈念さんが、竹ぼうきで七秒で片付けた。

「慈念さんっっっ!!」

これについては、慈念さんは何も悪くない。むしろ仕事ができる。それが余計に腹立つ。


作戦その二:招き猫。

「参拝客を呼ぶには、招き猫ですわ」

麗華の提案で、墓地で唯一、あたしたちが見える生き物――おはぎに白羽の矢が立った。

「おはぎちゃん、お願い。鬼塚さんの墓の上で、右手をこう、くいって。くいってして」

「おはぎさん、報酬は西園寺家のお供えのかつお節ですわ」

おはぎは、あたしたちの顔を交互にじっと見つめた。

そして、鬼塚家之墓の上にぴょんと飛び乗ると――

丸くなって寝た。

「…………」

「…………」

おはぎは今日も、心の底からどうでもよさそうだった。観察者は、労働しない。


作戦その三:本人に直接聞く。

「鬼塚さん、命日に何か欲しいものある?」

「ねえよ」

「甘いものとか? プリンとか?」

鬼塚さんの肩が、びくっと跳ねた。

「……な、なんで俺が甘いもん好きだと思うんだよ」

「墓の裏に、よその家のプリンのカラ、十個くらい隠してるじゃん」

「…………」

「あと、あたしのいちごミルクも飲んだし」

「…………。」

鬼塚さんの顔が、幽霊なのに赤くなった。耳まで真っ赤だ。

「――おい貞子。それ以上言ったら……」

「そうだそうだ、もっと言ってやれい貞子!」

背後から、とても良い笑顔の源蔵じいちゃんが現れた。


「特攻服の小僧が、夜中にプリンを……ふふふ……黙って食っとるんか……」

「てめぇジジイぁぁぁ!!」

殴り合いが始まった。

今日のは、いつもより激しかった。鬼塚さんの拳が源蔵じいちゃんの顔に入り、源蔵じいちゃんの拳が鬼塚さんの顔に入り、スポーンスポーンという音がして、二つの首が墓地の空で交差した。

首なしの体が二つ、手探りで首を拾い、ゴキッと嵌める。


――特攻服の体に、元大工のじいさんの顔。

――紺の作業着の体に、リーゼントの顔。

「「……あ?」」

「えっ、ちょ、待って、プリ待って、似合う……ってない。似合わない……」

「まあ……! これはなかなか……エモいですわね」

あたしと麗華が大笑いするなか、二人は互いの首を取り返そうと、また殴り合いを始めた。首は、三度入れ替わった。

最後はもちろん、お玉じゃくしを持ったトメばあちゃんの「あらあら」で幕が下りた。


――その夜。

あたしは、鬼塚家之墓の前に、ひとつだけ落ち葉を置いた。

一番赤くて、一番きらきらした、紅葉。

墓の中からは、何も返事がなかった。

でも、次の朝見たら、その落ち葉は、風で飛ばないように小石が載せてあった。

最後までお読みいただきありがとうございました。

第二話は、お隣さんの鬼塚さんのお話です。

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