「お彼岸は、墓場の繁忙期。」(後半)
⭐︎その人たちは、砂利道を歩いてくる
昼前。
お彼岸の墓地は、まるで商店街の大売り出しだ。
あっちの墓では孫が来たといっておばあちゃんの霊が踊り出し、こっちの墓では息子が供えたカップ酒を巡って兄弟の霊がまた殴り合っている。
西園寺家には黒塗りの車が三台止まり、麗華は「皆様ごきげんよう!」と聞こえもしない挨拶を大声で繰り返していた。
あたしは、墓石の上に腰かけて、入口の山門を見つめていた。
「……来るかな」
「来るに決まっとる」
源蔵じいちゃんが、後ろで腕組みしている。
「だって、それにしては遅くない? パパ、時間にはうるさい人だし……」
そこまで言いかけて、あたしは口をつぐんだ。
砂利道の向こうから、三人分の足音が聞こえたからだ。
手桶を提げた、腰の低い男の人。パパ。
その後ろで、花束を持たされて面倒くさそうに歩く、一年でやたら背が伸びた男の子。弟の蒼太。
そして一番後ろ。コンビニの袋を両手で抱えて、足元ばかり見て歩いてくる女の人。
――ママ。
「……来た」
声が、思ったより小さくなった。
「来た来た来た! ひいじいちゃん、ひいばあちゃん、来た! うちの家族来た!」
だから少し大げさに、はしゃいでみせた。
「うわ、蒼太めっちゃ背伸びてる。生意気。パパ、またそのチェックのシャツじゃん、それ一年前も着てたって……」
ママの顔だけ、見なかった。
見なくてもわかったからだ。
霊になってから気づいたことがある。墓の前に立った人の気持ちは、言葉にしなくても、もう少しだけ深いところまで、温度みたいに伝わってくるのだ。
そしてママから伝わってくるのは、冷たい雨の匂いだった。
「貞子」
肩に、しわしわの手が載った。トメばあちゃんだ。今だけは、貞子って呼ばれても訂正しなかった。
「……ごめん、ひいばあちゃん。ちょっと行ってくる」
「ええ。いってらっしゃい」
源蔵じいちゃんは何も言わずに、隣の鬼塚さんの袖を引っ張って、墓の裏へ引っ込んでいった。鬼塚さんも、このときばかりは文句を言わなかった。
⭐︎聞こえない返事
パパが墓石に水をかける。冷たくて気持ちいい。霊になっても、家族に家を洗ってもらうのは、ちょっとくすぐったくて嬉しい。
蒼太が、なんか違う向きで花を活けて、パパに直されている。
「……ってかさ、姉ちゃん、こういう地味な花好きじゃないでしょ」
蒼太が、唇を尖らせて言った。
「もっとピンクとか、きらきらしてるのがいいって言うと思う」
……やばい。蒼太に泣かされそうになる日が来るなんて、生きてるうちは思ってもみなかった。
「そうだな。次は蒼太が選んでやれ」
「……別にいいけど」
蒼太はそっぽを向いて、ポケットから何かを出した。小さな、ラインストーンのついたヘアピン。
あたしがいつも前髪に留めていたやつの、色違い。
「これ、小遣いで買った。……姉ちゃんの、前に俺が踏んで壊したから」
それを墓前に置いて、蒼太はもう一度そっぽを向いた。
「……蒼太のばーか」
あたしはしゃがみ込んで、弟の頭をくしゃくしゃに撫でた。手はすり抜けた。それでも撫でた。
線香に火がついて、細い煙がまっすぐに立ち昇る。
ママが、墓の前にしゃがんだ。
コンビニの袋から出てきたのは、いちごミルクの紙パック。ストローまで、ちゃんと刺してあった。
「……これ、好きだったでしょ」
ママの声は、記憶の中よりもずっと小さかった。
「生きてるときは、『そんな甘いものばっかり飲まないの』って、毎日怒ってたのにね」
うん。怒ってた。
「……貞子」
ママは、あたしの名前を呼んだ。サダじゃなくて、貞子って。
「あの日の朝、ママ、ひどいこと言ったね」
――一年前の、雨の朝。
起きた瞬間から髪が広がって、機嫌が最悪だった。
そこに学校からの連絡帳が出てきて、「表記は戸籍名で」って書いてあった。
あたしはキレた。
『なんでこんな名前にしたの? この名前のせいで、あたしがどんだけ笑われてきたか知ってる? ママのせいだから!』
ママも、引かなかった。
『――そんなに嫌なら、勝手にしなさい!』
だからあたしは、傘も持たずに玄関を飛び出した。
そのあとのことは、あんまり覚えてない。
雨で滑った交差点と、やけに明るいヘッドライト。
気がついたら、この墓地で、トメばあちゃんが「あらあら、早かったのねえ」って、すごく悲しそうに笑っていた。
「勝手にしなさい、なんて。……あれが最後になるなんて、思わなかったの」
ママの手が、膝の上で震えている。
「ママがあんなこと言わなければ。追いかけて、傘を渡していれば。あと五分、引き止めていれば……って。一年間、ずっとそればっかり考えてるの」
伝わってくる。
言葉よりずっと多いものが、全部。
夜中、あたしの部屋の前で立ちすくんでいるママ。
雨の日になるたび、玄関の傘立てを見て動けなくなるママ。
連絡帳を捨てられないまま、引き出しの奥にしまっているママ。
そしてその全部の底に、あたしのことが大好きだという気持ちが、底なし沼みたいに溜まっていた。
「……違うよ」
声が、震えた。
「ママのせいじゃないよ。あたしが勝手に飛び出したんじゃん。雨の日に傘持たないとか、超バカじゃん。違うよ、ママ。全然、違うんだってば!」
叫んだ。
墓地中に響くくらいの声で。麗華が遠くでびくっとこちらを振り向いた。
でも、ママは顔を上げない。
聞こえない。届かない。こっちには全部伝わってくるのに、あたしの言葉は、ひとつも向こうに渡らない。
――死んでるって、こういうことなんだ。
一年経って、はじめて、そう思った。
「……陽子」
パパが、ママの隣にしゃがんだ。
「貞子の名前、誰がつけたか覚えてるか」
ママが、小さく首を振る。
知らないのではなく、答えを口にしたくない、という感じだった。
「お前だよ。病院のベッドで、生まれたばかりのあいつを抱いてさ。『この子は、誰に何を言われても、自分をまっすぐ貫ける子になってほしい』って」
――え。
「『貞』って字は、まっすぐで、ぶれないって意味なんだって。
変なイメージがあるのは知ってたけど、それでもこの字がいいって、お前、譲らなかっただろ」
パパが、墓石を見上げて、少しだけ笑った。
「……貞子はさ、ちゃんとそういう子になったよ。
嫌いな名前で吐かれても、きらきらするのをやめなかった。
自分の好きなものを、最後までまっすぐ好きだった。あの朝だって、お前にまっすぐぶつかっていったんだ。お前の願ったとおりだよ」
……なにそれ。
知らない。そんなの、生きてるうちに言ってよ。
「……ばかじゃん」
涙が出た。霊にも涙が出るなんて、この一年ではじめて知った。
「そんなの、聞いたらさ……好きになっちゃうじゃん。貞子って名前」
十六年と一年。ずっと嫌いだった名前が、今この瞬間、あたしの一番の宝物になった。
あたしは、ママの前に回り込んで、泣きながら笑った。
「ママ。あたしさ、こっちでけっこう楽しくやってるよ。ひいじいちゃんはうるさいし、隣の人はリーゼントだし、親友は大正生まれだし、小僧のお経は下手だし。……だからさ、もう自分のこと責めないで。お願い」
そのとき。
風もないのに、線香の煙が、ゆらりと曲がった。
細い白い筋が、まるで手を伸ばすみたいにママのほうへ流れて、頰を、そっとなでた。
ママが、はっと顔を上げた。
煙はそのままママの前髪をひと撫でして、秋の空に溶けていった。
「……貞子?」
うん。ここにいるよ。
ママはしばらく空を見上げていた。それから、手の甲で乱暴に涙を拭って、だいぶ久しぶりに――あたしの知っている、ちょっと強気な笑い方をした。
「……そうね。あの子なら、『ママ、いつまで泣いてんの』って言うわね」
「言う言う。絶対言う」
「姉ちゃんなら、『ダサい』って言うよ」と蒼太。
「言わないし! いや言うかもだけど!」
ママが、ふっと小さく吹き出した。
一年ぶりに聞いた、ママの笑い声だった。
⭐︎また来るわね
手桶を持ったパパが、先に砂利道を歩き出す。蒼太がその後ろを、一度だけ振り返ってから追いかける。
ママは最後まで残って、墓石にそっと手を当てた。
「……貞子。また来るわね」
冷たい雨の匂いは、もうしなかった。かわりに、干したてのタオルみたいな、ほんのりした暖かさが伝わってきた。
「うん。待ってる」
あたしは、貞子として、手を振った。
三人の背中が山門の向こうに消えるまで。いや、消えてからもしばらく。
「……ええ家族じゃのう」
いつの間にか、隣に腰の曲がった老人が立っていた。無縁仏の区画に住む、ナナシさん。名前も、自分の家がどこだったかも忘れてしまった人だ。誰もお参りに来ないかわりに、墓場のことなら何でも知っている。
「……見てたの?」
「見とった。泣くのも笑うのも、墓場じゃお互い様じゃ」
ナナシさんは、墓前のいちごミルクを目で指した。
「供え物は、もらえるうちに味わいなさい。
……気持ちが冷めんうちにのう」
それだけ言って、ナナシさんは無縁仏の影にすうっと戻っていった。
あたしは、いちごミルクに手を伸ばした。
きっと、生きていたころより、ずっと甘い味がする。
⭐︎そして、墓場は今日も
伸ばした手が、空を切った。
「……ん?」
いちごミルクが、ない。
顔を上げる。
鬼塚家之墓の上で、リーゼントの男が、ストローをくわえてチゥーッとやっていた。
「……お、生き返る味だな、これ」
「「「鬼塚ぁぁぁぁぁぁ!!!」」」
あたしと、源蔵じいちゃんと、なぜか麗華の声が完全に重なった。
「ちょ、ちがっ――気をきかせて、しんみりした空気を変えてやろうとだなぁ!」
「いや、それは全然アリがたいけど、いちごミルクは許さない! ママがストローまで刺してくれたやつなんだから!」
「わたくしの親友を泣かせた罪、高くつきますわよ!」
「麗華、さっきまで元気なかったのに!」
「エモさで復活しましたの!」
鬼塚さんがいちごミルクを抱えて逃げ出し、墓地中を巻き込んだ大捕物が始まった。
途中でよその家のおじいちゃんが「騒がしいぞ」と殴りかかってきて、その孫が追いかけてきて、あっという間に十人規模の乱闘になった。誰かの首が飛び、誰かの腕が入れ替わり、誰も死なない。
墓石の上では、おはぎがやっぱりどうでもよさそうに毛づくろいをしている。
そして、鬼塚さんの首根っこに、あたしの手がやっと届いた、その瞬間――
――ごおん、と、夕方の鐘が鳴った。
墓地中の霊が、ぴたりと動きを止める。
「……円海さんだ。夕方のお勤めだ」
誰かがつぶやいて、全員の顔が、ふにゃぁと緩んだ。
喧嘩の拳がおり、首が元の位置に戻り、誰もが極楽浄土の温泉を待ちかまえて目を閉じる。
そして――
「かっ、観……自ざいっ……!!」
――慈念さんだった。
墓地中に、胃もたれの波が押し寄せた。
「「「「……チッ」」」」
死者たちの舌打ちが、秋の夕焼けにものすごい一体感で響き渡った。
あたしは鬼塚さんの手からいちごミルクを取り返して、ストローをくわえながら、ちょっとだけ笑った。
――ね、ママ。
貞子は今日も、墓場で、にぎやかにやってます。
(第一話 完)
最後までお読みいただきありがとうございました。
第一話。いかがでしたでしょうか。
貞子を取り巻くお話はまだまだ続きますので是非お楽しみください。
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