「お彼岸は、墓場の繁忙期。」(前半)
☆きらきら女子の朝は忙しい
朝。
カーテンの隙間から差し込む光で、あたしは目を覚ます。
――なんて、カーテンなんてないんだけど。
あるのは、苔むした御影石のすき間と、そこから漏れる秋の朝日だけ。でも気分は大事じゃん?
気分がカーテンなら、それはもうカーテンなの。
「よーし、今日も盛っていくよー!」
髪を手ぐしで整えて、前髪をちょいっと流す。ネイルは死んだ日のまま、ひとつも剥げてないサクラ色のグラデ。これだけは死後の世界に感謝してる。一生サロン行かなくていい。いや、一生はもう終わってるんだけど。
手鏡をのぞきこむ。
映らない。
「……だよねー」
これだけは一年経っても慣れない。
盛れてるかどうか、自分で確かめられないのは、きらきら女子としては致命的なのだ。
致命的っていうか、もう致命してるんだけど。
あたしの名前は、桜庭貞子。
十六歳。好きなものはプリといちごミルクと、きらきらしたもの全般。
嫌いなものは、雨と、自分の名前。
だって「貞子」だよ? この名前で生きる十六年がどれだけ過酷だったか。
小学校では「井戸から出てきて」、中学では「テレビから出てきて」、高校の入学式では担任に出席を取られた瞬間、教室が微妙に静かになった。だからあたしは黒髪を明るくして、前髪は絶対顔にかからない長さにして、自分のことは「サダ」って呼ばせてた。
その結果、どうなったかというと――
「さだちゃーん、朝ごはんですよー」
死んで幽霊になりました。
「はーい、ひいばあちゃん今行くー!」
ここは、某県某市、某寺の墓地。
その一番奥、日当たり良好でちょっと傾いた区画に建つ『桜庭家之墓』が、あたしの我が家だ。
外から見ればただの墓石。でも中に入れば、吉木の座卓に東向きの縁側、曾おじいちゃんが生前の腕を振るって右左に増築した、立派な一戸建てだ。反則だと思う。生きてる頃の家より広い。
「貞子、今日はお彼岸やさかい、線香の匂いがええなあ」
座卓でどっかりと胡坐をかいているのは、曾おじいちゃんの源蔵。
元大工。声がでかい。とにかくでかい。
「ていうかひいじいちゃん、貞子って呼ばないでって言ってるじゃん。サダだってば」
「サダも貞子も変わらんだろうが」
「変わるもん」
「はいはい、さだちゃん。お味噌汁、冷めないうちにね」
にこにことお椀を出してくれるのは、曾おばあちゃんのトメ。この家、いやこの墓場で、たぶん一番強い人。
お味噌汁の具は、先週誰かがお供えしてくれたとうもろこし。味は、なんというか、「気持ちの味」がする。
供えた人がこめた想いが、そのまま風味になるのだ。死後の世界の食事、実はけっこう奥が深い。
――ね、びっくりした?
あたしもびっくりした。死んだら三途の川とか閻魔様とか、少なくとも「無」みたいなものが待ってるんだと思ってた。でも実際に待ってたのは、お味噌汁と、声のでかい曾おじいちゃんだった。
死後の世界は、思ってたよりずっと、にぎやかだ。
☆墓場は、今日も平和ではない
「こらぁぁぁぁ鬼塚の小僧ぉぉぉ!!」
朝ごはんを食べ終えた瞬間、源蔵じいちゃんが縁側から飛び出していった。
あー、始まった。
外に出ると、隣の区画『鬼塚家之墓』の前で、リーゼントに特攻服の男が、転がったおはぎを踏んづけて立っていた。
鬼塚武さん。昭和のどこかで走り屋をやっていて、そのまま帰らぬ人になった、というのが本人の自己紹介。
「あぁ? 墓の境界線を越えてきたもんは、拾ったもんのもんだろうがよ、ジジイ」
「そのおはぎは、うちの孫娘が昨日供えていったもんじゃぁ!」
「風で転がってきたんだから、風のせいだろうが!」
「風に謝らせたるわぁ!」
意味がわからない。
だが次の瞬間、源蔵じいちゃんの大工仕込みの右ストレートが、鬼塚さんの顔面にめり込んだ。
スポーン。
実にいい音がして、鬼塚さんの首が墓地の空を舞った。
「てめぇ、やりやがったなぁ!」
首だけになった鬼塚さんが、空中で叫ぶ。首のない体は手探りで首をキャッチして、ゴキッと嵌め直した。
少し斜めになった。
――そう。この世界の最大のルール。
霊は、殴っても死なない。
だってもう死んでるから。
そのせいで、この墓地では殴り合いが挨拶くらいの頻度で起きる。誰も止めない。止める理由がない。死なないし。
「ごきげんよう、貞子さん。今朝も野蛮ですこと」
何の前触れもなく、白い日傘を差した、えび茶の絣の女の子が隣に立っていた。
西園寺麗華。この墓地で一番大きい、もはや城と呼んでもいい西園寺家のお墓に住む、大正生まれのお嬢様だ。
年齢は亡くなったときの二十歳で止まっているが、霊歴は百年近い大先輩。
「麗華、おはよー。てか今日の日傘かわいいじゃん」
「でしょう? 曾孫が昨日、お供えしてくださったの。こちらですと、正直……「エモい」ですわね」
「言いたいだけでしょそれ」
「ええ。貞子さんに教わってから、もう三百回は使いましたわ」
麗華は、あたしの自称ライバルだ。「墓地いちの負けない女の称号はわたくしのもの」とか言って、しょっちゅう勝負を挑んでくる。内容は、「どちらがお供え物を可愛く並べられるか」とか、「どちらが猫のおはぎに好かれているか」とか。でもまあ、つまりは親友です。
「では貞子さん、先日の勝負の決着を。どちらがあの殴り合いを先に止められるか」
「え、何その勝負。聞いてない」
「参りますわよ!」
麗華は日傘を閉じると、殴り合う二人の間に優雅に割って入り――
「お二人とも、おやめになって――」
ゴッ。
源蔵じいちゃんの拳と鬼塚さんの拳が、同時に麗華の両頰に入った。
「…………。」
麗華はしばらく黙ったあと、日傘を高々と振り上げた。
「西園寺家に伝わる護身の術、ご覧に入れますわ!」
こうして三つ巴になった。
「もー、だから言ったじゃん……言ってないけど」
あたしが頭を抱えていると、背後からスッと影が差した。
「――あらあら。朝から元気ねえ、皆さん」
その声が聞こえた瞬間、三人の動きがピタリと止まった。
トメばあちゃんが、変わらぬ笑顔で立っていた。
手には、さっきまでお味噌汁をよそっていたお玉じゃくし。
「今日はお彼岸よ。生きてる方たちが大勢いらっしゃるの。……わかるわね?」
「「「はい」」」
三人は正座した。鬼塚さんは踏んでいたおはぎをそっと源蔵じいちゃんに返し、源蔵じいちゃんは鬼塚さんの斜めの首をまっすぐに直してあげた。麗華は日傘をたたんで、なぜかあたしの後ろに隠れた。
墓場最強は、今日も平和を守った。
墓石の上では、寺猫のおはぎが大あくびをしていた。この墓地でただ一匹、あたしたちが見える生き物だ。見えているくせに、いつも心の底からどうでもよさそうな顔をしている。
☆お経は、あたしたちの音楽
――ごおん、と、鐘が鳴った。
その瞬間、墓地中の霊が、いっせいに本堂の方を振り向いた。
「……来るぞ」
源蔵じいちゃんが低くつぶやく。鬼塚さんがリーゼントを整える。麗華が背筋を伸ばす。
そして――
「如是我聞――一時仏住――」
低く、太く、どこまでも広がっていく声。
住職の円海さんのお経だ。
あ、だめ。これ、だめなやつ。
身体の芯から、じんわりと温かいものが広がっていく。冬の朝に入るお風呂とか、干したての布団とか、夜、待ち合わせしてた友達が「お待たせ」って手を振ってくれた瞬間とか。そういうのを全部まとめて身体に注ぐ感じ。
「はぁぁぁ……」
源蔵じいちゃんが、形を保てなくなってとろけている。
鬼塚さんのリーゼントがしなっとしている。
麗華に至っては、足元から少しずつ光の粒になりかけていた。
「麗華! 成仏しかけてる! 戻ってきて!」
「はっ……危ないところでしたわ。いま一瞬、お父様が手招きを……」
円海さんのお経は、この墓地の霊たちから「神声」と崇められている。実際、気を抜くとこのまま成仏しそうになるので、毎回が気持ちよさとの戦いだ。
やがて最後の一節が、秋の空に溶けて消えた。
墓地中から、満ち足りたため息がもれる。
――と、ここで終わればよかったのだけど。
「かっ、観自在菩薩ぅ――ぎょ、行深般若波羅……はらみっ……あっ、はらみったぁ――」
裏返った声が、本堂の脱靴場あたりから漏れてきた。
その瞬間、墓地中の幸福感が、引き潮のように消えていった。
うっ……。胃が、ないのに胃がもたれる。車酔いっぽい。
数学の小テストが返ってきたときの味もする。
「……チッ」
源蔵じいちゃんが、ものすごい顔で舌打ちした。
「あの坊主、修行中の小僧か」
「慈念の野郎、また噛みやがった……」と鬼塚さん。
「ごきげん……よう……。うっ……」と麗華。顔色が、幽霊なのにさらに青い。
慈念さん。十九歳。円海さんのもとで修行中のお弟子さんだ。
真面目で、毎朝一番に境内を掃除していて、生きてる人たちからは評判もいい。
ただし、お経は、下手。
言い訳のしようもなく、容赦もなく、ただただ、下手。
「……頑張れ、慈念さん。マジで頑張って」
あたしは胃のあたりを押さえながら、本堂に向かって手を合わせた。
死者が生者の成長を祈る。この墓地では、わりとよくある光景だ。
最後までお読みいただきありがとうございました。
初めての投稿です。まずは完走できるよう頑張ってみます。
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