「継ぐ者、継がれるもの。」(前半)
⭐︎施餓鬼会の異変
八月。蝉の声が、墓地中に降り注いでいた。
「――今日は、施餓鬼会でしてな。年に一度の、大きな法要ですわ」
麗華が、日傘の下で、ちょっと得意げに解説した。
「檀家さんが、大勢いらっしゃいますの。円海さんの見せ場ですわね」
「へー。じゃあ、今日は胃もたれ祭りだ」
本堂には、いつもより多い、五十人近い檀家さんが集まっていた。円海さんが、いつもの神声で読経を始める。
墓地中の霊が、いつものように、とろけていた。
「……あぁぁ……極楽じゃ……」
源蔵じいちゃんが、縁側で溶けている。鬼塚さんのリーゼントも、しなっとなっている。
――と、そのときだった。
「――ゴホッ」
円海さんの声が、途切れた。
「……ゴホッ、ゴホゴホッ……」
咳が、続けて、止まらなくなる。
檀家さんたちが、ざわつき始めた。
「――円海さん!?」
慈念さんが、経本を放り出して、駆け寄った。
円海さんは、胸を押さえて、ゆっくりと、本堂の畳に、崩れるように座り込んだ。
「……住職さん!」
檀家さんの誰かが、叫んだ。
――墓地中の空気が、一瞬で、凍りついた。
⭐︎いつもの胃もたれじゃない
「……大丈夫じゃ……ちょっと、立ちくらみが……」
円海さんは、そう言いながらも、顔色が真っ青だった。
「――誰か、救急車を!」
慈念さんの声が、震えていた。
その日の法要は、慈念さんが震える手で代役を務めて、なんとか終わった。
円海さんは、救急車で運ばれていった。
「……なぁ、これ、いつもの胃もたれとは、違うよな」
鬼塚さんが、珍しく、真剣な顔でつぶやいた。
「……当たり前じゃろう」
源蔵じいちゃんが、低い声で答えた。
「あれは、慈念の下手なお経で起きるやつじゃ。……今日は、円海さんの、本物の体の話じゃ」
墓地中の霊が、それぞれの墓の前で、黙って本堂の方を見つめていた。
夕方。
円海さんが、車椅子に乗せられて、寺に戻ってきた。医者が、車椅子を押す慈念さんに、何かを説明している声が、風に乗って、切れ切れに聞こえてくる。
「……過労……もう若くない……無理はさせないように……」
その言葉が、墓地中に、じわじわと広がっていった。
⭐︎本山から来た人
一週間後。
「――こちら、本山からお越しになった、大恩寺隆賢さまですわ」
麗華が、いつものように、聞いてもいないのに解説してくれる。
慈念さんの後ろについて、生け垣の隙間から様子を伺っていた、あたしと麗華だ。
本堂の前に立っていたのは、五十代くらいの、姿勢の良い僧侶だった。
作務衣にも隙がなく、歩き方まで定規で測ったみたいにまっすぐだ。
「――失礼する。大恩寺と申す」
「……よ、よろしくお願いします」
慈念さんが、緊張した面持ちで頭を下げた。
大恩寺さんは、慈念さんを、じろりと見た。
それから、経本を手に取り、パラパラとめくった。
「……聞くところによると、そなた、独自の節回しで読経をしておるそうじゃな」
「……は、はい。あの、円海さんに、教わって……」
「――邪道じゃ」
大恩寺さんは、経本を、ぴしゃりと閉じた。
「読経は、型がすべて。型を極めてこそ、心が乗る。……型もできぬうちから、我流の節など、以ての外」
――しん。
生け垣の陰で、あたしと麗華の目が、同時に、据わった。
「……なにあの人」
「……いけ好かない、ですわね」
慈念さんは、うつむいたまま、何も言い返せずにいた。
⭐︎目の敵
「――あの人、絶対、性格悪いよ」
その夜、桜庭家の縁側で、あたしは腕を組んでいた。
「性格が悪いというより、規則に忠実すぎるのですわ」
麗華が、扇子代わりに日傘をあおいでいる。
「……でも、慈念さんのお経、あれは邪道なんかじゃないもん。あたしたち、ちゃんと知ってるじゃん。あの人の節が、どれだけみんなの心に響いたか」
「ええ。……ですが、あの大恩寺という方は、本山から、後継ぎの審査に来られたのですわ」
麗華が、日傘を止めた。
「円海さんが、もし住職を退かれることになったら……本来なら、慈念さんが継ぐのが筋でしょうけれど、まだ、資格の年数が足りないのですって」
「……じゃあ、あの人が……?」
「そういうことですわ。……もし、慈念さんが認められなければ、あの大恩寺さんが、この寺の住職に、なるかもしれませんの」
――あたしは、思わず、立ち上がった。
「そんなの、絶対だめじゃん!」
「わたくしも、そう思いますわ!」
麗華も、勢いよく立ち上がった。日傘が、ばさっと開いた。
「あの人が住職になったら、この寺、どうなるかわかりませんわよ。……お経も、きっと、味気ない、正しいだけの節になってしまいますわ」
「胃もたれも、なくなっちゃうかもしれないし……!」
「――そこは、別に困りませんわ」
「……たしかに」
⭐︎後継者試験対策本部
「――それでは、第四回墓場総会を始めます!」
翌日。落ち葉ならぬ夏草で作られた文字が、広場に並んだ。
『小僧の後継者試験対策本部、発足!』
「「「おおおおおおっ!!」」」
五十人の霊が、いつものように沸いた。
「……でもさ、あたしたちの声、慈念さんには聞こえないよね」
「承知の上ですわ。聞こえなくとも、応援はできますもの」
――その日の午後。
本堂の隅で、慈念さんが、一人で面接の練習をしていた。
面接で聞かれそうな質問を書き出した紙を読み上げて、自分で答える。その繰り返しだ。
「……『なぜ、僧侶になろうと思ったのですか』」
その真正面に、源蔵じいちゃんが、腕を組んで仁王立ちした。
「――慈念とやら! もっと腹から声を出さんか! 声が小さいと、それだけで落第じゃ!」
もちろん、聞こえない。
「……あ、あの、それは……」
慈念さんは、紙を見つめたまま、もごもごと口ごもった。
「……だめだ。声が、小さいよな、俺……」
それから、自分で自分の頬を、ぱちんと叩いた。
「――だ、大きい声で答えます!」
慈念さんが、めいっぱい声を張り上げた。
とたんに、経本を積み上げていた台がガタッと揺れて、経本の山が崩れた。
「……す、すみません……誰もいないけど……」
「元気があってよろしい!」
「基準がおかしくない、ひいじいちゃん」
――源蔵じいちゃんは、自分の指導が届いたと、本気で信じているようだった。
次は、鬼塚さんの番だった。
「いいか慈念。度胸ってのはな、目力だ。大恩寺とかいうジジイに、目力で負けるな」
鬼塚さんが、いつものように、慈念さんの正面ぎりぎりまで顔を近づけて、眼力を送り始めた。
もちろん、見えない。
でも。
「……なんか、今日、本堂、寒くないか……?」
慈念さんが、ぶるっと肩を震わせて、辺りを見回した。
「……だめだ、全然集中できない……。なんでだろう、すぐ目の前に、誰かいるみたいな……」
「いるんだよ!! 集中しろ!!」
「……鬼塚さん、近すぎて、寒気になってるんだと思う」
麗華の作法指導は、これまた輪をかけて浮世離れしていた。
「――所作は、こう。手はこのように優雅に、袖を払って……ごきげんようの心持ちで」
慈念さんの横で、麗華が、優雅に袖を払ってみせる。もちろん、慈念さんは、一度もそちらを見ない。
「西園寺家式の作法、うちのお寺の宗派と全然違うと思う……」
「細かいことは気にせず、心を込めればよろしいのですわ」
「その理論、ちょっと危険じゃない?」
そして、雷太さんは、慈念さんの耳元で、経典に独自のメロディをつけて歌い始めた。
「――いいか。ハーモニックマイナーに乗せりゃ、忘れねえ。……如是我聞ぇ~、一時仏住ぉ~……」
もちろん、これも、聞こえない。
経典の暗記をしていた慈念さんの口から、ふと、妙な節回しが、こぼれ落ちた。
「……にょぜがもん……いちじぶつじゅう……」
雷太さんの節と、そっくりだった。
もちろん、雷太さんの歌が届いたわけじゃない。慈念さんの地声は、もともと、ハーモニックマイナーに引っ張られる。たぶん、ただの偶然だ。
「……あれ。……また、変な節になってる」
慈念さんは、首をかしげて、経本を閉じた。
「……だめだ。これじゃ、また、邪道って言われる……」
「……ほらな」
雷太さんが、腕を組んで、満足そうに頷いた。
「あいつの喉は、最初から、こっちの音なんだよ。俺が保証する」
「音楽の人の保証、あんまり信用できない気がする……」
――結局、その日の特訓は、ほとんど何の成果もあげられなかった。
⭐︎おはぎの隣
その夜遅く。
慈念さんは、本堂の隅で、経本を抱えたまま、机に突っ伏していた。
何度も何度も読み上げて、声がかすれるまで練習していたらしい。
その隣、いつの間にか、おはぎが、丸くなって座っていた。
心の底からどうでもよさそうな顔で。
でも、いつもより、少しだけ、慈念さんに寄り添うようにして。
「……おはぎ」
見回りに来ていたあたしは、その光景に、思わず足を止めた。
「……おはぎ、心配してるの?」
おはぎは、答えない。もちろん、猫だから。
ただ、慈念さんの寝息に合わせるみたいに、じっと丸くなったまま、動かなかった。
第七話の、保さんの件を、あたしは思い出していた。
――って、またメタな発言しちゃった。麗華がいたら、絶対に突っ込まれてる。
誰にも特別扱いしないで、同じように、そばにいる。あの子なりの、たった一つの優しさ。
「……ありがとね」
あたしがそっとつぶやくと、おはぎの尻尾が、ぱたん、と一度だけ揺れた。
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