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墓場ぐらしのサダコさん  作者: 則本潮


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「冥土インヘヴン、届かなかったテープ。」(後半)

⭐︎墓前で、開ける


「――だから、お墓に持っていこうよ」


結衣が、そう言い出したのは、それから数日後のことだった。


「……お墓?」


「うん。轟さんの、お墓。……そこで開けよう。一人で家で開けるのが怖いなら、その人のところで開けたらいいじゃん」


哲也は、しばらく渋っていたけれど、結衣に何度も背中を押されて、ようやく重い腰を上げた。


「……骨董市で、こんなの見つけたよ」


結衣が鞄から取り出したのは、古いカセットプレイヤーだった。


「これで聴けるかな、って」


「……お前、用意周到すぎるだろ」


「おじいちゃんが弱気だから、孫が頑張るしかないでしょ」


――こうして、二人は、山門をくぐった。


轟家之墓の前。哲也は、震える手で、三十二年間触れられなかった紐を、ゆっくりと解いた。


中から出てきたのは、一本の古いカセットテープと、短い手紙。


『哲也へ


悪い、意地張って怒鳴っちまった。


お前らの言い分、一晩考えた。

ちょっとは丸くなったつもりだ。


聞いてくれ。朝一で持ってく。


――雷太』


哲也の手が、止まった。


北の端で、それを見ていた雷太さんの体が、大きく、ぐらりと揺れた。


「……哲也……」


⭐︎ノイズ混じりの、続きの音


結衣が、カセットプレイヤーに、テープを差し込んだ。


再生ボタンを押すと、ザザ、というノイズの後に、少しだけ照れくさそうな声が流れ出した。


『……あー、テスト、テスト。……哲也、聞こえてっか』


「……雷太……!」


哲也の目から、涙がこぼれた。


『……昨日は、悪かった。頭に血が上ってたわ。……お前らの言い分も、わかんなくはねえんだ。……で、一晩考えて、こういうのを作ってみた。……俺のわがままと、お前らの言い分の、真ん中くらいの、リフだ』


――ジャーン。


テープから、ギターの音が流れ出した。

ハーモニックマイナーの骨格を残しながら、もう少しだけ聞きやすく、丸くなったリフ。


「……あいつ……」


北の端で、雷太さんが、口を押さえた。


「……あの一晩で、あんなもん、作ってたのか……」


『……これなら、通るだろ。……朝一でスタジオ持ってく。……みんなで聴いてくれ。……じゃあな』


――テープは、そこで、終わった。


しばらく、誰も、何も言わなかった。


北の端の雷太さんの体から、ゆっくりと、光がこぼれ始めていた。


「……雷太さん、足!」


あたしは、駆け寄って、雷太さんの足首をつかんだ。


「……い、いいんだ、貞子。……このまま……」


「良くない! まだ、話終わってないじゃん!」


「……哲也は、俺のこと、裏切り者だなんて、思っちゃいなかった……。俺は、あいつを試すようなことまで言ったのに……あいつは、俺のわがままに、付き合おうとしてくれてた……」


雷太さんの声が、震えていた。


「……もう、いいだろ。……行かせてくれ」


⭐︎解決したい音


「――だめですわ!」


麗華が、あたしの反対側から、雷太さんの腕にしがみついた。


「あなた様が、いなくなったら、墓場総会の音楽担当は、どうなりますの!」


「……誰か、他の奴が……」


「おりませんわ! この墓場に、ハーモニックマイナーを語れる方は、あなた様しかいらっしゃいませんの!」


雷太さんの体は、もう、屋根の高さまで浮いていた。あたしと麗華は、必死にしがみついたまま、一緒に浮き上がっていく。


「――誰か! お経! お経、誰か!!」


あたしが叫んでも、本堂からは、何も聞こえてこない。お昼過ぎの、お勤めのない時間。

慈念さんのお経も、円海さんのお経も、今は、鳴らない。


――そもそも、生きている人に、あたしたちの声は、届かない。


「……どうしよう、麗華、どうしよう……!」


「……お、落ち着いてくださいまし、貞子さん……!」


北の端には、いつの間にか、墓場中の霊が集まっていた。テープの開封を、みんな、固唾を呑んで見守っていたのだ。

源蔵じいちゃんも、鬼塚さんも、トメばあちゃんも、清一さんも。


でも、誰も、どうしていいかわからない。


――そのとき、あたしの頭の中に、雷太さんの声がよみがえった。


『……属七のコードで解決したら、たぶん、全員本気で成仏してたぞ、俺たち』


紫陽花の日。

みんなで幽霊の山になった、あのとき。雷太さんは、そう言っていた。


解決したら、成仏する。


じゃあ――。


「……解決、させなければいいんだ」


「……え?」


「雷太さん、今、たぶん、曲が終わっちゃった感じなんだよ。テープの続きを聴いて、哲也さんの気持ちがわかって、全部、きれいに解決しちゃった感じ」


あたしは、雷太さんの足首にしがみついたまま、叫んだ。


「だから、解決の手前で、止めてあげればいい!! 続きを待ってる音を、鳴らせばいいんだよ!!」


「――おりんじゃ!!」


源蔵じいちゃんが、真っ先に叫んだ。


「秋の法要のときと同じじゃ! 本堂のおりんを、みんなで鳴らすんじゃ!!」


「……ミと、シと、レ!!」


あたしは、宙に浮いたまま、叫び返した。


「あのときは、慈念さんの声がソ♯を足して、和音が完成した! でも、今日は、その声がない! ミとシとレだけなら、完成しきらない、宙ぶらりんの音になる!!」


「宙ぶらりん、上等じゃ!!」


「――行くぞぉぉぉ!!」


源蔵じいちゃんを先頭に、墓場中の霊が、本堂に向かって駆け出していった。


おりんは重い。一人じゃ鳴らせない。

三つのおりんに、十数人ずつが取りついて、息を合わせないと、音にならない。


――間に合って。


雷太さんの体は、もう、本堂の屋根を越えようとしていた。


「……いいんだ、貞子。……もう、いいんだって……」


「良くないって言ってるでしょ!!」


――そのとき。


北の端に残っていた鬼塚さんが、墓石を踏み台にして、空に向かって跳んだ。


雷太さんの革ジャンの襟を、がしっと、つかむ。


「――まだ終わらせてねえ曲があるだろうが!!」


鬼塚さんの声が、墓地中に響いた。


「あんたが完成させるはずだった曲、まだ、誰も聴いてねえだろ! あのリフには、続きがあんだろうが!! 解決すんのは、まだ早ぇんだよ!!」


雷太さんの体が、びくりと震えた。


――そして。


――ゴォン。


――ゴォン。


――ゴォォン。


本堂のほうから、三つのおりんの音が、重なって響いてきた。


ミと、シと、レ。


どこかへ行きたがっている音。次の一音を、待っている音。でも、その次の一音は、いつまで経っても、鳴らない。


宙ぶらりんのまま、響きだけが、夏の手前の空に、ゆらゆらと残った。


「……っ」


雷太さんの体から、光が、ふっと、弱まった。


「……くそ……」


雷太さんが、長い前髪の奥で、顔を歪めた。


「……気持ち悪ぃ……。……こんなとこで止められたら……続きが、気になって、しょうがねえじゃねえか……」


――ずしっ。


雷太さんの体が、あたしと麗華と鬼塚さんごと、地面に落ちてきた。

ドゴシャッという、いつもの音とともに。


「……いてえ……」


「……間に合った……!」


あたしは、その場にへたり込んだ。麗華も、日傘を放り出したまま、荒い息をついていた。


「……お前、いつの間にそんな、粋なこと言うようになったんだよ……」


地面に転がったまま、雷太さんが、鬼塚さんを見上げた。


鬼塚さんは、リーゼントを直しながら、そっぽを向いた。


「……四十八年、待ってた身だからな。……待ってる奴がいるうちは、勝手に終わらせんじゃねえよ」


――本堂のほうから、ぱたぱたと、足音がした。


箒を持った慈念さんが、本堂の前に飛び出してきて、三つのおりんを、不思議そうに見つめていた。


「……今、おりんが……勝手に……?」


おりんのまわりでは、墓場中の霊が、ぜいぜい言いながら、へたり込んでいた。もちろん、慈念さんの目には、何も見えていない。


おりんの響きは、まだ、かすかに残っていた。


慈念さんは、しばらく、耳を澄ますようにして、その響きを聴いていた。


「……ミと、シと、レ。……属七の、ソ♯抜き……」


小さく、つぶやく。


それから、慈念さんは、なぜか少しだけ笑って、北の端のほうに向かって、静かに、手を合わせた。


「……今日は、どなたかの、大事な日なんですね」


⭐︎選ばなかった、成仏


墓前では、哲也が、震える声で、墓石に向かって話しかけていた。


「……悪かったな、雷太。……お前を試すようなこと言って。……いや、違うな。……お前が正しかったよ。あの音楽、あのままで、良かったんだ」


――伝わってくる。


三十二年分の後悔と、それ以上の、大きな安堵が。


風もないのに、線香の煙が、ふわりと哲也の頬を撫でた。


「……雷太、か……?」


哲也が、涙を拭いながら、空を見上げた。


「……おじいちゃん」


結衣が、カセットプレイヤーを両手で包むように持って、言った。


「……このリフの続き、いつか、聴いてみたいな」


「……続きなんか、ねえよ。……あいつがいなきゃ、誰にも書けねえ」


哲也は、そう言って、テープをケースに戻した。でも、その手つきは、三十二年間、小包に触れられなかった人とは思えないくらい、やさしかった。


雷太さんは、その様子を、少し離れたところで、じっと見ていた。


「……ばーか。……最初から、聞きに来りゃよかったんだよ」


つぶやいた声は、もちろん、届かない。でも、それでよかった。


⭐︎また今度


「――それじゃあ、また来るね」


結衣が、片付けを終えて、荷物をまとめながら言った。


「おじいちゃんの荷物、まだ全部見てないし。……あと、この楽器店にあったギター、私、少し借りていい? 音、出してみたくて」


哲也は、少し驚いたように結衣を見て、それから、小さく頷いた。


「……好きにしろ。……もう、俺には、必要ねえもんだ」


結衣は、ギターケースを担いで、山門の方を振り返った。

何かを感じたのか、少しだけ、きょろきょろと辺りを見回す。


「……なんか、いい風」


――北の端で、雷太さんが、見えないギターを、そっと構えていた。


音は、もちろん、結衣には聞こえない。


でも、いつか。


「……まあ、続きは、また今度だな」


雷太さんは、そう呟いて、長い前髪の奥で、少しだけ笑った。


⭐︎墓場は今日も


その夜。


「――結局、雷太さん、成仏しなかったね」


あたしは、麗華と並んで、北の端の轟家之墓を眺めていた。

今日は、いつもより大きな音で、見えないギターが鳴っている。


「ええ。……未練を全部片付けても、残る、という選択もあるのですわね」


「なんか、いいよね、それ」


「……ところで、貞子さん」


麗華が、日傘をくるりと回した。


「本日のおはぎさんの働き、いかがでしたの」


「働き……座ってただけじゃない?」


「あら、あれは立派な観察者としての仕事ですわ。心配して寄り添って、余計なことは言わない。……墓場で一番、正しい距離感かもしれませんわね」


墓石の上を見ると、おはぎが、今日も丸くなって、どうでもよさそうな顔で眠っていた。


「……おはぎ、今日もお疲れさま」


あたしがそっと声をかけると、おはぎの尻尾が、ぱたん、と一度だけ揺れた。


――北の端から、いつもより弾んだギターの音が、夜風に乗って聞こえてくる。


墓場は今日も、成仏しない。


そして、あたしたちの知らないところで、また新しい約束が、静かに始まっていた。


(第九話 完)


最後までお読みいただきありがとうございました。

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