「冥土インヘヴン、届かなかったテープ。」(前半)
⭐︎ 北の端、覗き見コンビ
六月。梅雨の合間の、めずらしく晴れた朝だった。
「こらぁぁぁ鬼塚の小僧ぉぉぉ!! わしの傘を勝手に開くでない! 縁起が悪いわい!」
「幽霊に縁起もクソもあるかよ、ジジイ! 傘くらい貸せ!」
スポーン。
いつもの音、いつもの首。
あたしと麗華は、いつものように墓石に腰かけて、それを眺めていた。
今日は雨傘の取り合いから始まったらしい。
季節感がある。
「――ところで、貞子さん」
麗華が、日傘の柄をくるりと回した。
「お気づきになりまして? 最近の、北の端」
「……雷太さんのこと?」
「ええ。ここ数日、見えないギターの音が、明らかに小さいですわ。
……昨日など、ハーモニックマイナーどころか、ただの単音でしたのよ」
「単音って、逆にすごくない?」
「深刻な話をしておりますのよ、貞子さん」
「……あ、ごめん」
たしかに、言われてみれば。
あの人は、いつも大きな音で、見えないギターを弾いている。
それが、最近、消え入りそうな音になっている。
「――探偵の出番、ですわね」
麗華の目が、きらりと光った。
「この前は、大惨事になったけど」
「今回は、慎重に参りますわ。……多分」
「その『多分』が一番不安なんだけど」
⭐︎「あいつ」の正体
北の端、轟家之墓の前。
雷太さんは、墓石に寄りかかって、古いツアーチラシの切れ端を眺めていた。
もうすっかり色あせて、文字もほとんど読めなくなっている。
「……雷太さん」
「……ああ。来たな」
雷太さんは、いつもの調子で顔を上げた。
でも、長い前髪の奥の目は、心なしか、いつもより遠くを見ていた。
「……あの、その紙、何?」
「……昔のツアーの、チラシだ。……もうすぐ、あいつの誕生日でな」
「あいつ?」
――しん。
雷太さんは、しばらく黙っていた。
「……貞子さん」
麗華が、あたしの袖を、そっと引いた。
「これは、恋のお話の可能性がありますわ」
「え、雷太さんに彼女!?」
「――ちげぇよ」
雷太さんが、間髪入れずに否定した。
「……哲也だ。バンドの、ボーカルやってた奴」
「……哲也さん」
あたしと麗華は、思わず顔を見合わせた。
恋バナじゃなかった。
ちょっと残念、というのは黙っておく。
「――お前ら、暇なら、ちゃんと聞くか」
雷太さんは、めずらしく、自分から話し出した。
「……一九九三年。バンドが、メジャーデビュー目前だった。……ただ、レコード会社が、俺のギターを気に入らなかった」
「気に入らないって、なんで? 雷太さん、めちゃくちゃかっこいいのに」
「――『難しすぎる』ってさ。もっと聞きやすくしろ、と」
雷太さんは、見えないギターを、ぽろん、と鳴らした。今日一番、小さい音だった。
「……哲也たちは、『一度だけ妥協しよう、売れてから好きにやりゃいい』って言った。……俺は、それが許せなかった」
「そりゃそうだよ! 自分の音楽なのに!」
「……いや」
雷太さんは、首を振った。
「……あいつらは、正しかったのかもしれねえ。……俺は、頑固すぎた。あいつらを、試すようなことも言った。『お前ら、本当にこの音楽好きなのかよ』って。……売れたいだけの奴らだって、決めつけた」
「……それで、喧嘩に……」
「『もう抜ける』って啖呵切って、飛び出した。……その夜のうちに、事故で死んだ」
――風が、ふっと止まった気がした。
「……仲直りできねえまま、死んだ。それだけの話だ」
雷太さんは、そう言って、また前を向いた。
長い前髪が、光を遮って、その表情はよく見えなかった。
「……雷太さん」
あたしは、隣に座った。
「その話、哲也さんは、覚えてるのかな」
「……三十二年前だぞ。……もう、忘れてんじゃねえの」
「……あたしは、そう思わないけどな」
雷太さんは、答えなかった。
ただ、見えないギターを、また、小さく鳴らした。
⭐︎おはぎに聞いてみる
その帰り道。
「……なんか、しんみりしちゃったね」
あたしは、麗華と並んで、砂利道を歩いていた。
「ええ。……このまま元気になっていただく方法、何かないものかしら」
そのとき、墓石の上に、いつもの丸い影を見つけた。
おはぎだ。今日も、心の底からどうでもよさそうな顔で、毛づくろいをしている。
「――おはぎさん」
麗華が、日傘を畳んで、おはぎの前にしゃがみ込んだ。
「あなた、雷太さんのお話、聞いていらっしゃいますわよね。……あの方、元気がありませんの。何か、良い方法をご存じない?」
おはぎは、片目だけ開けて麗華を見た。
そして、大きなあくびをした。
「……無視、ですわ」
「まあ、そりゃそうだよ。猫だもん」
「観察者たるもの、もう少し協力的でも……」
麗華が、なおも食い下がろうとしたそのとき、おはぎが、すっと立ち上がった。
そして、とことこと、北の端――轟家之墓の方角へ、歩いていった。
「……あら」
「……おはぎ、雷太さんのとこ行くの、めずらしくない?」
おはぎは、雷太さんが座っていたあたりの墓石の上に、すとん、と座った。
誰に呼ばれたわけでもないのに。
「……もしかして、心配してるとか……?」
「観察者は、責任も取らないけれど、無関心でもない、ということかしら」
おはぎは、あたしたちの視線に気づいたのか、こちらをちらっと見て――また、いつもの、どうでもよさそうな顔で丸くなった。
「……うん。やっぱり、いつも通りだ」
「……いつも通りが、一番、安心いたしますわね」
あたしたちは、顔を見合わせて、少しだけ笑った。
――それでも、あの子が、わざわざあそこに座りに行ったことは、きっと、何かの意味があるんだと思う。
⭐︎納戸の奥
その頃、山門の外では。
「……おじいちゃん、これ、なに?」
寂れた楽器店の奥、納戸の片付けをしていた結衣は、埃をかぶった小さな段ボール箱の奥から、宛名のない、古い小包を見つけた。
紐で十字に縛られた、茶色い包装紙。
差出人の欄には、かすれた字で、こう書いてある。
『轟雷太』
店の主人――天野哲也は、その名前を見た瞬間、手にしていた楽器のケースを、床に落とした。
「……お、おじいちゃん?」
「……それは……」
哲也は、しばらく、小包を見つめたまま、動かなかった。
「……触るな」
「え……」
「――触るな、結衣!」
めずらしく大きな声だった。結衣は、驚いて手を止めた。
「……ごめん、結衣。……大声出して」
哲也は、深く息を吐いて、小包を、そっと拾い上げた。
「……これは、三十二年前に届いたもんだ。……開けられなかった」
「三十二年……? 開けてないの、ずっと?」
哲也は、頷いた。
「……差出人は、俺の、昔のバンド仲間だ。……こいつが届けてきた次の日に、事故で死んだ」
結衣は、息を呑んだ。
「……開けたら、あいつが、俺のことをどう思ってたか、わかっちまう。……もし、恨まれたまま終わったんなら……俺は、それを知って、この先も生きていける自信がなかった」
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