「墓場最強は、乙女ごころ。」(後半)
⭐︎欄間のつづき
数日後。
「――失礼します。桜庭さんの……いえ、この寺のご住職に、ご報告に伺いました」
山門をくぐってきたのは、七十代くらいの女の人と、その孫らしい青年だった。円海さんと慈念さんが、本堂の前で出迎える。
「田村悦子と申します。……こちらは孫の、健です」
「……田村さん。……ああ、あの、母屋の」
円海さんが、静かに頷いた。
田村悦子さんは、大事そうに、風呂敷包みを抱えていた。
「……とうとう、母屋を取り壊すことになりまして。……その前に、これだけは、お寺さんに見ていただきたくて」
風呂敷を開くと、中から出てきたのは、古い写真の束と、そして――一枚の、木の板だった。桜の透かし彫りが施された、立派な欄間の一部。
あたしと麗華は、生け垣の陰から、それを覗き込んだ。
「……あれが、田村さんとこの……」
欄間の中央には、大きく、桜の花が彫られていた。
でも、よく見ると、中心の一輪だけ、花びらの厚みや線の勢いが、周りと少しだけ違っている。
まるで、途中で彫り手が変わったみたいに。
「……あら」
麗華が、あたしの袖を引いた。
見ると、少し離れた墓石の陰から、源蔵じいちゃんが、じっとその欄間を見つめていた。
「……祖母から聞いた話なんですが」
孫の健さんが、写真を一枚、取り出した。
「この欄間、大工さんが完成間近で亡くなられて……お弟子さんが、見よう見まねで仕上げたそうなんです。だから、真ん中だけ、少し違うって」
「……その大工さんのお名前、聞いておられますか」
慈念さんが尋ねる。
悦子さんは、少し考えて、答えた。
「……たしか、桜庭さん、と。……この辺りの、腕のいい大工さんだったと」
――源蔵じいちゃんの体が、ぴくりと震えた。
⭐︎木の欠片、想いの欠片
その夜。
あたしは、桜庭家の縁側の下から、また、源蔵じいちゃんの部屋を覗いていた。
今度は、麗華も一緒だ。
源蔵じいちゃんは、文机の前で、あの小さな木片――花の形をした、彫りかけの何か――を、じっと見つめていた。
「……ひいじいちゃん」
あたしは、今度はこっそりじゃなく、正面から声をかけた。
源蔵じいちゃんは、びくっとして、木片を隠そうとした。でも、諦めたように、手を止めた。
「……もう、隠す気力もないわい」
「……それ、田村さんちの欄間の、続き?」
源蔵じいちゃんは、しばらく黙っていた。
それから、ゆっくりと話し始めた。
「……あの欄間はな。田村の家に嫁ぐ娘のために頼まれた仕事じゃった。……完成間近で、儂は死んでしもうた。真ん中の、一番大事な花だけ、彫り残して」
「……なんで、桜だけ、そんなに大事だったの?」
源蔵じいちゃんは、木片を、そっと持ち上げた。
「……桜じゃない。これはな……」
灯りに透かすと、粗削りのその花は、桜じゃなくて――紫陽花の形をしていた。
「……本当は、真ん中の一輪だけ、紫陽花にするつもりじゃった。……儂の細工なら、誰も気づかん。桜の陰に、こっそり紫陽花を一輪、忍ばせるつもりじゃった」
――紫陽花。
日記の、最初の頁を思い出した。
『お前んとこの庭、紫陽花がよう咲いとるな』
「……ひいばあちゃんの……」
「……仕事の中に、一番大事な人の面影を、こっそり忍ばせる。……それが、儂なりの、伝え方じゃった。……表札は、渡した。……じゃが、あの花は、儂の中でだけ、完成させたかったんじゃ」
源蔵じいちゃんは、木片を、両手で包んだ。
「……誰にも言うつもりはなかった。……じゃが、あの欄間が壊されると聞いて……このままじゃ、儂の中の紫陽花も、消えてしまう気がしてのう」
――だから、彫っていたんだ。
田村さんの欄間には、もう手を加えられない。だから、せめて自分の手元に、もう一度、同じ花を。
「……ひいじいちゃん」
あたしは、木片を見つめて、言った。
「それ、ひいばあちゃんに、渡せば?」
「――ば、馬鹿を言うな! こんな、粗削りの木くれ、渡せるかい!」
「粗削りでも、ちゃんと紫陽花だってわかるよ! それに――」
あたしは、日記のことを、ちらっと思い出した。
「――ひいばあちゃん、ひいじいちゃんが思ってるより、ずっと、何十倍も、こういうの、喜ぶ人だから」
源蔵じいちゃんは、しばらく、木片を見つめていた。
それから、耳まで真っ赤にして、ぼそっと言った。
「……儂には、無理じゃ。……面と向かって渡すなんぞ、できるか」
「じゃあ、あたしが預かって、こっそり――」
「――いや」
源蔵じいちゃんは、木片を、ぎゅっと握りしめた。
「……儂が、渡す。……儂の不器用な仕事じゃ。……儂の、不器用な言葉で、渡すべきじゃ」
⭐︎贈る
翌朝。
トメばあちゃんが、いつものように台所で味噌汁を作っていると、源蔵じいちゃんが、珍しく、そわそわしながら現れた。
「……ば、婆さん」
「あら、どうしたんです、朝から」
トメばあちゃんは、いつものにこにこ顔で振り返った。
源蔵じいちゃんは、木片を、ぐいっと差し出した。
「……ほれ」
――ことん。
味噌汁のお椀の横に、粗削りの、紫陽花の木彫りが置かれた。
トメばあちゃんは、しばらく、それを見つめていた。
「……これ……」
「……お前の庭の、紫陽花じゃ。……田村んとこに彫るはずじゃった花の、余りじゃ。……余ったから、やる」
――余ったから、やる。
なんて、不器用な言葉だろう。
でも。
あたしと麗華は、生け垣の陰から、息を殺してその様子を見守っていた。
「……あら」
トメばあちゃんは、木彫りを、両手で、そっと持ち上げた。
そして――
――その瞬間だった。
トメばあちゃんの体から、光が、溢れた。
「――――っ!!?」
ほわほわ、なんてものじゃなかった。まるで、朝日そのものが、体の中から生まれたみたいな、まぶしい光。
「ひ、ひいばあちゃん!?」
でも、トメばあちゃんの体は、浮かなかった。光は溢れているのに、地に足がついたまま。
――七十年分の乙女心を、七十年分の自制心で、その場に押しとどめている。
さすが、墓場最強。
でも、その光は、まわりに、容赦なく溢れ出していった。
⭐︎全員、キュン死に
「――う、うわぁぁぁぁ!! なんだこれ、あったけぇ! あったかすぎる!!」
一番近くにいた鬼塚さんが、真っ先に足元から光りだした。
「……む、胸が……こう……ぎゅうっと……!」
雷太さんの見えないギターが、ぽろん、と勝手に音を立てた。
「……エモ……エモすぎて……あ、足が……!」
麗華が、日傘を取り落とした。
その光は、墓地中に、波紋のように広がっていった。
「「「「うわぁぁぁぁあああ!!」」」」
墓場中の霊が、いっせいに足元から光りだした。西園寺家のご先祖様も、鬼塚家の霊も、北の端の轟家も、みんな、みんな。
「な、なんじゃこりゃあ!! わし、こんなに幸せな気持ち、初めてじゃあ!!」
「――逃げろぉぉぉ!! 成仏の連鎖じゃあぁぁぁ!!」
五十人が、次々にふわりと浮き上がっていく。あたしも、気づけば足が浮いていた。
「――重り! 重り探して!!」
「無理ですわぁぁぁ!! これ、怒れない種類の幸せですものぉぉぉ!!」
墓地中の霊が、空へ向かって、ゆっくりと連なっていく。まるで、大きな凧の尻尾みたいに。
震源地のトメばあちゃんだけが、木彫りの紫陽花を抱きしめて、地面に、ちゃんと足をつけていた。
「……あらあら。……これは、困りましたねえ」
――口では困ったと言いながら、その顔は、七十年前の少女みたいに、輝いていた。
「――源蔵さん、これ、あなたのせいですよ」
「な、なんで儂のせいじゃ!」
「あなたが、こんな、いきなり、こんな、可愛いことをするからです!」
「か、可愛いとは、儂は男じゃぞ!」
「あら。それでも、可愛いものは可愛いんです」
源蔵じいちゃんは、その言葉に、盛大に赤面した。でも、足元は光らなかった。感謝はしても、乙女心の周波数までは合わせられないらしい。鬼塚さんも同様、いい人ではあるけど、恋の周波数には鈍かった。
――そうこうしているうちに、五十一人(あたし込み)は、もう本堂の屋根の高さまで昇っていた。
「――誰か……! 誰か、いつものやつを……!」
あたしが叫んだ、そのときだった。
――ごおん。
夕方の鐘が、鳴った。
「「「――えっ」」」
墓地中の霊が、一斉に凍りついた。
本堂から、慈念さんの声が聞こえてくる。
「――かっ、観……自ざいっ、菩薩ぅ……!」
――ずしっっっっ。
いつもの胃もたれが、宙に浮いた五十一人を、容赦なく襲った。
「「「「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」」」」
ドゴシャアアアアアアアッ!!!
墓地中に、幽霊の山が、いくつも出来上がった。桜庭家之墓の前が一番大きい山で、その頂上に、あたしがいた。
「……い、いつもの慈念さんのお経に、こんなに救われる日が来るとはのう……」
山の下から、源蔵じいちゃんの呻き声。
「……安全装置、万歳、ですわ……」
麗華の声。
「……ちなみに、これ、全部……」
雷太さんが、へばりながら言った。
「……属七のコードで解決したら、たぶん、全員本気で成仏してたぞ、俺たち」
「――胃もたれで良かった、初めて心から思った……!」
そして、その山の中心で。
トメばあちゃんだけが、木彫りの紫陽花を大事に抱えて、にこにこと、その様子を眺めていた。
「あらあら。みなさん、今日も元気ねえ」
――七十年経っても、九十七年経っても。
墓場で一番強くて、墓場で一番、乙女なままの人。
それが、あたしたちの、ひいばあちゃんだった。
⭐︎そして、墓場は今日も
翌朝。
「――貞子さん」
麗華が、少し照れくさそうに、あたしの隣に座った。
「……昨日の光。……未だに、胸がぽかぽかしますわ」
「わかる。あたしも、まだちょっとキュンキュンしてる」
「……源蔵さんと鬼塚さんは、まったく気づいていらっしゃいませんでしたわね」
「……それも含めて、あの二人らしいっちゃらしいけど」
墓石の上で、おはぎが、心の底からどうでもよさそうな顔で、あくびをしていた。
その隣、桜庭家之墓の縁側では、トメばあちゃんが、味噌汁のお椀の横に、あの紫陽花の木彫りを、ずっと飾っていた。
「――こらぁぁぁぁ鬼塚の小僧ぉぉぉ!!」
「今日はなんだよ、まだ何も盗んでねえぞ!」
「昨日の借りじゃぁぁぁ!! わしをあんな恥ずかしい目に遭わせおって!!」
スポーン。
いつもの音がして、いつもの首が、今日も新緑の空を飛んだ。
その音を聞きながら、トメばあちゃんは、木彫りの紫陽花を、指先でそっと撫でて、少しだけ、七十年前の顔で笑った。
墓場は今日も、成仏しない。
そして、一番強い人の心の中には、今日も、少女が一人、住んでいる。
(第八話 完)
最後までお読みいただきありがとうございました。
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