「墓場最強は、乙女ごころ。」(中盤)
⭐︎少女、トメ
「……これ……」
一番上の便箋には、こう書いてあった。
『昭和二十九年 六月三日 はれ』
――日記だ。
「……見ていいのかな、これ」
「……源蔵さんの引き出しに入っていた時点で、もう見られる運命だったのですわ」
麗華は、目をきらきらさせながら、もう次の頁をめくっていた。この人、探偵の看板を掲げているときの倫理観が、ちょっとあやしい。
あたしたちは、こっそり、桜庭家之墓の裏に隠れて、その日記を開いた。
『六月三日 はれ
今日、隣村の源蔵さんが、うちの雨漏りを直しに来た。声が大きくて、最初はびっくりしたけれど、屋根の上で仕事をする横顔が、思ったよりずっと真剣で、少し見とれてしまった。
困る。母に見つかったら、また「はしたない」と叱られる。
でも、屋根から降りてきたとき、こちらを見て「危ないから離れとれ」と言われて、そのぶっきらぼうな言い方が、なぜだか胸にひっかかって、今もまだ、ひっかかったままだ。』
「……………………」
「……………………」
あたしと麗華は、無言で顔を見合わせた。
――トメばあちゃんが、少女だ。
いつもにこにこして、お玉じゃくし一本で墓場最強を保っているあのトメばあちゃんが、日記帳の中で、完全に、恋する女の子になっている。
「……つ、続き、見ましょう……」
麗華の声が、少し震えていた。
『六月十日 くもり
今日も源蔵さんが来た。縁側を直しに来ただけなのに、私は朝からそわそわして、髪を三回も結い直してしまった。馬鹿みたいだ。
源蔵さんは、私の顔をろくに見もせず、黙々と板を張っていく。話しかけても「うむ」としか言わない。愛想のかけらもない。
なのに、帰り際、ふと私の方を見て「お前んとこの庭、紫陽花がよう咲いとるな」とだけ言った。
たった、それだけ。
それだけなのに、私は今夜、眠れないと思う。』
「……む、無理…………」
麗華が、日傘の柄をぎゅっと握りしめた。
「……無理ですわ、これ……。九十歳を超えたお婆さまが、十代の少女みたいな……」
「……ひいばあちゃん、こんな女の子だったんだ……」
あたしの足元が、ふわっと、光った気がした。
「――貞子さん、足!」
「え、や、まだ大丈夫、大丈夫」
慌てて、慈念さんのお経を頭の中で再生する。「かっ、観……自ざいっ」。うん、大丈夫。まだ耐えられる。
「……もう一枚だけ……」
麗華が、震える指で、次の頁をめくった。
『六月二十五日 はれ
源蔵さんが、表札を彫ってくれた。「桜庭」と、私の家の名字と、同じ字で。
言葉は、一言もなかった。ただ、無言で、それを縁側にことんと置いていった。
――でも、わかってしまった。
私は、その表札を抱きしめて、しばらく動けなかった。
嬉しいのと、恥ずかしいのと、泣きたいのとが、全部いっぺんに来て、うまく息ができない。
源蔵さんは、きっと、私がこんなに舞い上がっているなんて、これっぽっちも気づいていないと思う。
いいの。
それでいいの。
私は、この人の隣で、一生ときめいていられたら、それでいい。』
――ドゴォォォン。
「「――っ!!!」」
あたしと麗華の足元が、同時に、朝日みたいに光った。
「た、貞子さん、これ、まずいですわ、まずいですわよぉぉぉ!!」
「重り、重り! 早く重りになるやつ考えて!」
「――エモすぎて考えられませんわぁぁぁ!!」
体が、ふわりと浮き始めた。二人そろって。
その、まさにそのとき。
「――何しとる、お前ら」
――ずしっ。
背後から聞こえた、いつもの大声に、あたしたちの足元の光は、ブツンと消えた。
振り返ると、源蔵じいちゃんが、ものすごい顔で立っていた。
⭐︎漏れ出す乙女心
「……そ、それは……」
あたしは、日記を後ろ手に隠そうとした。もちろん、遅かった。
源蔵じいちゃんは、あたしたちの手の中の日記を見て、みるみる顔を赤くした。耳まで真っ赤だった。
「――なっ、なんでそれをお前らが……!」
「ご、ごめん! 偶然見つけて、つい……」
「ば、ばあさんの若いころの……あれは、あれは見せるもんじゃないんじゃ……!」
「ひいじいちゃんは読んだことあるの!?」
「あ、あるわけなかろう! こそこそ隠れて読むような真似、この源蔵は……!」
「……じゃあ、なんで長持ちの中身、知ってたの」
「……………………。」
源蔵じいちゃんは、目を泳がせた。
「……ば、婆さんが、風呂に入るときに、たまに開けて眺めとるのを、見たことがあるだけじゃ……! 中身までは知らんかった……!」
「……あ」
その言葉に、あたしと麗華は、思わず顔を見合わせた。
――トメばあちゃんは、今でも、あの日記を、時々読み返している。
七十年経った今でも。
「……ひいじいちゃん」
あたしは、日記をそっと閉じて、長持ちの中に戻した。
「ひいばあちゃんね、今でも、あのときのまんまの気持ちで、ひいじいちゃんのこと、好きなんだよ」
「…………な、なんじゃ、いきなり……」
「ものすごいキュンキュンしてたんだよ、あの日記。……源蔵さんが屋根の上で仕事してる姿に見とれたとか、表札もらって抱きしめて動けなかったとか」
「…………………………」
源蔵じいちゃんは、しばらく黙っていた。
それから、ぼそっと言った。
「……そりゃ、まあ……儂も、あいつのこと嫌いじゃないが……」
――嫌いじゃない。
その一言に、あたしと麗華は、脱力した。
「……ひいじいちゃん、それだけ?」
「な、なんじゃ、それだけとは。夫婦なんぞ、そんなもんじゃ」
「……こんなに、キュンキュンの日記残されてるのに?」
「……こそばゆいわい」
源蔵じいちゃんは、それだけ言って、そっぽを向いた。耳が、まだ真っ赤だった。
「……このハプニング、絶対に、誰にも言うでないぞ」
「「はぁい……」」
――あたしたちは、しょんぼりと頷いた。
でも、心の中では、思っていた。
――このキュンキュンを、ひいじいちゃんだけが知らないなんて、もったいなさすぎる。
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