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墓場ぐらしのサダコさん  作者: 則本潮


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19/103

「観察者は、何も忘れない。」(中盤)



⭐︎山門をくぐる、白髪の少年


翌週の、よく晴れた昼下がり。


砂利道に、ゆっくりとした足音が二つ。


一人は、車椅子を押す、五十代くらいの女の人。もう一人は、その車椅子に座った、真っ白な髪の、痩せたおじいさんだった。


「――お父さん、この寺で合ってる?」


「……ああ。ここじゃ。……変わっとらんのう。門の瓦も、あの松の木も」


車椅子のおじいさんは、山門を見上げて、目を細めた。


「……この寺には、特定の墓に用があるわけじゃないんですって?」


慈念さんが、二人を出迎えながら首をかしげている。


「はい。……住職さんに、会いに来ました。……いえ、住職さんというか」


おじいさんは、車椅子から、ゆっくりと本堂の方を見た。


「……この寺そのものに、会いに来たんです」


――円海さんが、玄関先まで小走りに出てきた。


「――もしや、赤峰さんの……」


「円海さんは、覚えてらっしゃいますか。……赤峰保です。八十七になりました」


円海さんの目が、大きく見開かれた。


「……保くん……! あの、たもっちゃんか……!」


「その呼び方、六十年ぶりに聞きましたな」


保さんは、しわだらけの顔を、くしゃっとほころばせた。


墓地中の霊が、そろそろとその様子を覗きに集まってきた。あたしも、桜庭家之墓の陰から、こっそり顔を出す。


「……あの人、誰?」


「……知らんのう。……いや、待て」


源蔵じいちゃんが、目を凝らした。


「……見たことある気がするのう。……ずっと昔に」


保さんの娘――真由美さんが、車椅子を押して、本堂の縁側まで進んだ。


「父が、どうしても、この寺に一度戻りたいって言って。……もう、遠方に住んでますし、この歳ですから、たぶん、これが最後の機会だと思って」


「……なんの用があるんでしょう、住職さんに」


慈念さんが、小声で円海さんに尋ねている。


円海さんは、目を細めて、保さんを見た。


「……たもっちゃんはな、この寺で、育った子なんじゃ」


――え。


墓地中の霊が、いっせいに顔を見合わせた。


⭐︎夜の隅っこ


縁側に腰かけた保さんは、お茶を一口飲んで、ゆっくりと話し始めた。


「……昭和二十二年です。戦争が終わって、二年目の冬でした」


保さんの声は、かすれていたけれど、はっきりと通った。


「……七つのとき、両親を、続けて亡くしましてね。……身寄りがなくて、当時のご住職――円海さんの、師匠にあたる方が、拾ってくださったんです」


円海さんが、静かに頷いた。


「……師匠から、よう聞いておった。戦後、身寄りのない子を、何人か育てたと」


「……その中の一人が、私です」


保さんは、庭の隅、東の角の金木犀の方を見た。


「……寺の暮らしは、厳しかった。掃除も、水汲みも、子供の仕事でした。それは、いい。それはよかったんです。……つらかったのは、夜でした」


――保さんの目が、少しだけ、遠くなった。


「……七つの子供が、夜、一人で寝るんです。両親の顔を、まだはっきり覚えている歳で。……布団の中で、声を殺して泣いていました。誰にも聞かれないように」


墓地の霊たちは、いつの間にか、みんな息を殺して聞いていた。


「……そんなとき、決まって、誰かが隣に来るんです」


「……誰かって……」


貞子は、思わず声に出しそうになって、口を押さえた。


「……猫でした」


――えっ。


「……名前も知らない、寺にいた猫です。撫でてくれと言うわけでもない。鳴くわけでもない。……ただ、布団のすぐ横に、丸くなって、座っているだけなんです」


保さんは、しわしわの手で、自分の膝を、そっと撫でた。


「……何もしてくれないんですよ、本当に。慰めてくれるわけでも、優しく鳴いてくれるわけでもない。……でもね」


保さんの声が、少しだけ震えた。


「……それだけで、生きていけたんです。……ああ、一人じゃないんだなって。……誰にも言えないことを、誰にも聞かれずに、でも、誰かがそばにいてくれる。……そういう夜が、何年も続きました」


――しん、と、墓地全体が静まり返っていた。


「……その猫、どんな猫だったんじゃ」


源蔵じいちゃんが、思わず、というように尋ねた。もちろん、保さんには聞こえない。


保さんは、答えるかのように、続けた。


「……左の前足だけ、白い靴下を履いたみたいな模様でしてね。……右の耳が、少し欠けていました。……あくびをする前に、必ず一度、こう、首をかしげる癖があって」


――あたしたちは、全員、同時に息を呑んだ。


最後までお読みいただきありがとうございました。

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