「貞子と伽椰子。」④
☆十分間
「――みんなっ!!」
あたしは、振り返って叫んだ。
五十人の幽霊が、びくりと肩を震わせる。
「……落ち葉で、文字を書きたいの。カヤが帰るまでに。……でも、あたし一人じゃ、十日かかっちゃう」
清一さんの名前を探した時。十三枚の落ち葉に、十日かかった。あの時は、「あたしが始めたことだから」って、一人でやりたがった。
でも、今は十分しかない。
だから、頭を下げた。
「…………お願い。手伝って」
――一秒も、かからなかった。
「――当たり前じゃろうが!!」
源蔵じいちゃんが、袖をまくった。袖はある。元大工だから。
「……しょうがねえな。今度は夜露死苦とは書かねえよ」
鬼塚さんが、リーゼントを整えた。
「書の勢いは、わたくしが担当いたしますわ!」
麗華が、日傘を指揮棒のように掛げた。
「……テンポは俺が出す。一拍で一枚だ」
雷太さんが、見えないピックを構えた。
そして――清一さんが、西の端の方を指さした。
「……落ち葉なら、あそこに二百九十八枚、並べてあるでのう」
――二百九十八枚。
清一さんが、ひたすら数えていた、あの落ち葉。
「…………清一さん、あれ、何に使うつもりだったの?」
清一さんは、ほっほっと笑っただけだった。
「……今、使うべきもんに使えば、それでええ」
――始まった。
「――文字は『ダイジョウブ』! カタカナで!」
あたしの声に合わせて、五十人の幽霊が、西の端から桜庭家之墓まで、一列に並んだ。
「……ワン、ツー、スリー、フォー」
雷太さんのカウントで、一枚目の落ち葉が、西の端から動き始めた。
一人が一センチ動かすと、次の人が一センチ。
次の人が一センチ。落ち葉は、幽霊の手から手へ、砂利道を滑っていく。
バケツリレーだった。
五十人の幽霊による、落ち葉のバケツリレー。
「…………むっ……重いのう……!」
「耐えろジジイ! あと二十メートルだ!」
「……ダの一画目、角度が三度ずれとる。直せ」
「ひいじいちゃん、今だけ大工のプライド捨てて!!」
「――ごきげんよう! イの起筆は、もう少し軽やかにですわ!」
「麗華、書道のテストじゃないから!!」
――五分。
『ダイジョウブ』の、濁点以外の部分が、できた。
「――濁点は、あたしがやる」
あたしは、落ち葉の文字の前にしゃがみ込んだ。
「……濁点だけは、あたしの字じゃないと、だめなの」
蒼太は、濁点で、あたしだって気づいた。カヤも、きっと気づく。
だって六年間、あたしのノートを写してたのは、カヤなんだから。
「――ふんっ……ぬっ……!!」
『ダ』の濁点。二枚。斜めに。
手のひらが、透けていく。
「――……!!」
『ジ』の濁点。二枚。斜めに。
腕が、足が、透けていく。
「……さだちゃん……」
トメばあちゃんの声がした。止めなかった。
ただ、あたしの背中に、しわしわの手を当ててくれた。温かかった。
「――あと、二枚……!」
『ブ』の濁点。
――そのとき。
伽椰子が、墓石の前で、ゆっくりと立ち上がった。
「………………………………そろそろ、行くね。サダ」
――待って。
あと一枚。
「――――――――――――っっっ!!!」
――ずるっ。
最後の一枚が、斜めに、止まった。
あたしは、その場に崩れ落ちた。
朝の光が、あたしの体をほとんどそのまま通り抜けて、砂利道に落ちていた。
伽椰子が、振り返って――足を止めた。
☆同盟のルール
桜庭家之墓の前の砂利道に。
落ち葉で書かれた、大きな文字。
『ダイジョウブ』
「…………………………………………………………」
伽椰子は、その文字の前で、立ち尽くしていた。
さっきまで、なかった文字。誰もいない墓地で、十分のうちに現れた文字。
普通なら、悲鳴を上げて逃げ出すところだ。喉が鳴るところだ。
喉は、鳴らなかった。
伽椰子は、ゆっくりとしゃがみ込んで、指で、濁点の落ち葉に、そっと触れた。
斜めの、濁点。
「………………………………………サダの……濁点だ……」
声が、震えた。
「…………六年間……ノート写して、ずっと直してたやつだ…………濁点はまっすぐだって、何回言っても……直さなかったやつだ………………」
伽椰子の前髪の奥から、ぽた、ぽた、と涙が落ちて、濁点の落ち葉を濡らした。
「…………いるの?」
――いるよ。
あたしは、透けた体で、よろよろと立ち上がった。伽椰子のすぐ前に。
「…………サダ、そこに、いるの……?
――いる。ここにいる。
伽椰子は、しばらく黙っていた。
それから、涙でぐしゃぐしゃの顔で、前髪を両手でかき上げた。
――顔が、全部見えた。
やっぱり、世界で一番、怖がりで、泣き虫で、やさしい目だった。
「…………あのさ。……同盟のルール、破ってもいい?」
――えっ。
伽椰子は、墓石をまっすぐ見つめて――いや、あたしをまっすぐ見つめて、大きく息を吸った。
喉が、小さく鳴った。
頑張ってる時の音だ。
「――――貞子」
七年間で、はじめて。
親友が、あたしの本当の名前を呼んだ。
――だから、あたしも。
「――――伽椰子っ!!!」
叫んだ。
墓地中に。山門の向こうまで届きそうなくらいの声で。
――風が、吹いた。
線香の煙が、ふわりと曲がって、伽椰子の前髪を、そっと揺らした。
伽椰子の目が、大きく見開かれた。
「……………………………………………今、呼んだ……?」
――聞こえたの。
「…………耳鳴りみたいな……遠いところから………………『かやこ』って………………サダの声で…………」
伽椰子が、泣きながら、笑った。
「…………えへへ…………サダが呼ぶと、あんまり怖くないね、この名前……」
――でしょ。
あたしも、泣きながら笑った。
伽椰子は、涙を手の甲で乱暴に拭って、墓石に向き直った。
「…………先週、おばさんに会いに行ったの。謝りに。……そしたら、おばさん、謝らないでって泣いて、それから、サダの名前の話をしてくれた。……まっすぐで、ぶれないって意味なんだってね」
――うん。
「…………ずるいよ。そんないい意味、あったなんて。……私、自分の名前の意味、知らない。……怖くて、聞いたことない」
伽椰子は、学生証を拾い上げて、印字された自分の名前を、じっと見つめた。
「…………帰ったら、お母さんに聞いてみる。………………サダが、自分の名前、好きになったなら…………私も、好きになってみる。…………伽椰子」
――うん。
「……それとね。……明日から、またみんなに『カヤ』って呼んでもらう。……『カヤ』は、サダがくれた名前だから」
――…………あ。
そうだ。
「カヤ」も、「サダ」も。小四の春、百科事典の棚の陰で、あたしたちがお互いにつけあった、もう一つの名前だ。
逃げるための名前だと思ってた。
でも、違った。
あれは、あたしたちが、お互いを守るためにつけた名前だったんだ。
「…………だから、もう待たない。…………駅で。…………サダは、ここにいるんだもんね」
伽椰子は、落ち葉の『ダイジョウブ』を、スマホで一枚だけ撮った。
それから、立ち上がって、前髪を、星のヘアピンで留め直した。
さっきより、少しだけ、顔が出るように。
☆成仏、始まる
――そのときだった。
「…………貞子さん、足……」
麗華の声が、震えていた。
見下ろすと、あたしの足元から、光の粒が立ちのぼっていた。
ほわほわ、じゃない。
鬼塚さんの時と同じ。小さな朝日が、足元から昇っていくみたいな光。
「…………あ。……これかぁ」
――最後の未練だったんだ。
ママとは仲直りした。蒼太は毎月来てくれる。
名前も好きになった。
そして今、駅の屋根の下から、カヤを迎えに行けた。
もう、あたしには、ここにいる理由がない。
ふわりと、体が浮いた。
「――待てぃぃぃぃ!!」
源蔵じいちゃんが、あたしの足首に飛びついた。
鬼塚さんが、源蔵じいちゃんの足に。麗華が鬼塚さんの足に。雷太さんが麗華の足に。清一さんが雷太さんの足に。そして墓地中の幽霊が、五十人連なりで。
それでも、止まらない。
「怒らせるんじゃ!! 怒りは重りじゃ!!」
「――おい貞子!! お前の名前、井戸から出てきそうだな!!」
鬼塚さんが、必死の形相で叫んだ。
「でしょ!! いい名前でしょ!!」
――ふわぁっ。
光が、増えた。
「逆効果じゃあぁぁぁ!!」
「――テレビから出てこい!!」
「出てくるよー!! テレビないけど!!」
「――貞子さん! そのネイル、一年半前の流行りですわ!!」
「…………知ってる。……でも、あたしは好きだから、いいの」
「……………………貞子さんの、お気持ちが……強すぎますわ……」
――ふわぁっ。
怒れない。
だって、今のあたしは、全部好きなんだもん。
名前も、ネイルも、この墓場も。
あたしたちは、五十人連なりで、本堂の屋根を越えた。
杉の木を越えた。墓地が、小さくなっていく。桜庭家之墓。鬼塚家之墓。西園寺家のお城。北の端の轟家。西の端の無縁仏と、白木の名札。
――きれいだな。
ここから見ると、墓地って、すごくきれいだ。
「…………………………みんな、もういいよ」
あたしは、足元にぶら下がる五十人の幽霊に、笑いかけた。
「…………あたしさ、この墓場、大好きだったよ。…………ひいじいちゃんも、鬼塚さんも、麗華も、雷太さんも、清一さんも、ひいばあちゃんも…………」
「……………………貞子さん…………」
「……やめろや……そういうこと言うの…………」
源蔵じいちゃんが、泣いていた。鬼塚さんは、空を見上げていた。
麗華は、日傘で顔を隠していた。
遠く下。山門の方へ、伽椰子が歩いていくのが見えた。
――まあ、いっか。
カヤはもう、大丈夫だし。
あたしは、目を閉じた。
――そのときだった。
山門の下で、伽椰子が、くるりと振り返った。
そして、両手を口に当てて、生まれてはじめて聴くような大声で、叫んだ。
「――あっ、そうだサダー!! サダに借りてた冬の限定のリップ!! …………ごめん、使い切っちゃった!!」
――…………………………………………は?
あたしは、目を開けた。
「…………………………………は?」
冬の限定の。
コスメのカウンターに、三時間並んで買ったやつ。
限定のラメ入りの、シュガーピンクのやつ。
「カヤもたまには色つけなよ」って、一週間だけの約束で貸したやつ。
あたしは二回しか使ってないやつ。
「――――はあああああああああああ!!!? あれ限定だよ!!! もうどこにも売ってないやつだよ!!! 二回しか使ってないんだけど!!! カヤぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
――ずしっっっっ。
足元の光が、ブツンと消えた。
「……………………怒りじゃ」
源蔵じいちゃんが、感心したようにつぶやいた。
次の瞬間。
あたしたち五十一人連なりの幽霊は、まるで墓石を落としたような勢いで、真っ逆さまに落ちた。
「「「「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」」」」
杉の木を過ぎ、本堂の屋根を過ぎ、墓石の高さを過ぎて――
ドゴシャアアアアアアアアアアッ!!!
桜庭家之墓の前に、五十一人分の幽霊の山ができた。
落ちた勢いで、砂利道に一陣の風が吹き抜け、山門の伽椰子の黒髪を、ぼさっと後ろに吹き上げた。
伽椰子は、しばらくきょとんとして――
それから、お腹を抱えて、笑い出した。
「…………………っふふっ……あははははっ! …………今の、絶対サダだ……! 絶対怒ってる……!」
――怒ってるよ!!
山の一番上で、あたしは叫んだ。
下の方から、源蔵じいちゃんの「……重い……」という呻き声が聞こえた。
鬼塚さんの「……俺の感動、また返せ……」という声も。
伽椰子は、笑いながら涙を拭って、墓地に向かって、大きく手を振った。
「――また来るね、サダ! …………ううん」
月島伽椰子は、前髪の下で、とびきりの笑顔で笑った。
「――また来るね、貞子! リップ、同じ色の探して持ってくるから!!」
――絶対だからね!!
あたしは、幽霊の山の上で、泣きながら、怒りながら、笑いながら、手を振り返した。
山門の向こうに、黒いコートの背中が消えるまで。
――いや、消えてからも、しばらく。
☆空へ、打ち上げる
その夜。
「――それでは――」
西園寺家之墓の前の広場で、麗華が日傘を高々と掲げた。
「貞子さんの――お誕生日会を――始めますわ!!」
「「「おおおおおおおおっ!!!」」」
――そう。
これが、全部の真相だった。
源蔵じいちゃんの引き出しの中身は、彫りかけの表札だった。
桃の木に、彫刻刀で一文字ずつ。
ピンク色のリボンが結ばれた表札には、こう彫ってあった。
『桜庭 貞子』
「………………表札、重いって言ったじゃん……」
「……………うるさい。いらんなら、返せ」
「…………………………返さない……………………………………」
あたしは、表札を胸に抱えて、鼻をすすった。
源蔵じいちゃんは、そっぽを向いて、耳まで真っ赤だった。
鬼塚さんの『材料』は、ケーキだった。墓地中から集めた(盗んだ)ロールケーキと、いちごと、ひなあられを、三年走り屋だった男の指先で、一晩かけて積み上げた、巨大なケーキ。見た目は、正直、アレだった。
「…………鬼塚さん、これ…………」
「…………文句あんのか」
「…………めっちゃかわいい」
「………………そうかよ」
鬼塚さんは、リーゼントをいじって、そっぽを向いた。顔が真っ赤だった。幽霊なのに。
麗華と雷太さんの『音楽理論のお勉強』は、誕生日の歌の練習だった。
「…………ハーモニックマイナーでのハッピーバースデーだ」
「雷太さん、言えばなんでも許されると思ってない?」
――許された。
麗華の澄んだ声と、雷太さんの見えないギターで、墓地中に響いた誕生日の歌は、暗くて、ちょっと怪しくて、でも、すごくかっこよかった。
最後の「ディア 貞子」で、墓地中の幽霊がヘッドバンギングして、首が十個飛んだ。
そして――清一さんの二百九十八枚の落ち葉。
西の端の空き地には、もともと『サダコ おたんじょうび おめでとう』という、巨大な落ち葉の文字が並んでいたらしい。
朝、あたしを西の端に連れて行って、それを見せるのが、清一さんの役目だった。
その落ち葉の半分は、今、桜庭家之墓の前で『ダイジョウブ』になっている。
西の端に残っているのは、これだけだった。
『サダコ おめでとう』
「…………………………………………清一さん………………………………………」
「ほっほっ。……足りんくなったでのう。短い方が、貞子ちゃんらしいじゃろう」
――そして、『空へ打ち上げる』の正体は。
「――それでは最後に! 貞子さんを、胴上げですわ!!」
「「「おおおおおおおっ!!!」」」
「…………………………………………………………………………………………………胴上げ?」
「貞子さんを、空へ打ち上げるのですわ! …………あら、何だとお思いになっていましたの?」
――成仏だと思ってました。
とは、言えなかった。
「――せーのっ!!!」
源蔵じいちゃんの掛け声で、五十人の手が、あたしを夜空に放り投げた。
ふわ。
身体が、浮く。
冬と春の間の夜空。白い梅と赤い梅の匂い。
下の方で、五十人の幽霊が、あたしの名前を呼んでいる。
「貞子!」「貞子っ!」「さだちゃん!」「貞子さん!」「貞子ちゃんや!」
――足元が、ちょっとだけ光った。
「――成仏しちゃうってば!!」
「――リップ!!」
「――はぁ!? 思い出させないでよ!!」
――ずしっ。
落ちた。
五十人の手が、ちゃんと受け止めてくれた。
墓場の成仏対策は、今日も完璧だった。
――墓石の上では、おはぎが、心の底からどうでもよさそうな顔で、大あくびをしていた。
でも、その尻尾が一度だけ、あたしの手の甲を、するっと、撫でていった気がした。
――気のせいかもしれないけど。
☆あたしの名前は
朝。
カーテンの隙間から差し込む光で、あたしは目を覚ます。
――なんて、カーテンなんてないんだけど。
あるのは、苔むした御影石のすき間と、そこから漏れる春の朝日だけ。
それと、枕元に立てかけた、ピンクのリボンの表札。
「よーし、今日も盛っていくよー!」
髪を手ぐしで整えて、前髪をちょいっと流す。
ネイルは、相変わらず一年半前の流行りの、サクラ色のグラデ。
でも、いいの。好きだから。
手鏡をのぞきこむ。
映らない。
「…………だよねー」
――弁明しておくと、これだけは、たぶん一生慣れない。
一生はもう終わってるんだけど。
「さだちゃーん、朝ごはんですよー」
「はーい、ひいばあちゃん今行くー!」
隣の墓から、「こらぁぁ鬼塚の小僧ぉぉ!」という声がして、スポーンという音がした。
西園寺家の方から「ごきげんよう、今朝も野蛮ですこと」という声。
北の端から、見えないギターの音。西の端の空き地には、今朝も小さな背中が立っていて、あたしは後で、その背中に「清一さん」と声をかけに行く。
本堂からは、もうすぐ、円海さんの神声と、慈念さんの裏返った声が聞こえてくる。
墓石の上では、おはぎが大あくびをしている。
あたしの名前は、桜庭貞子。
十六歳。幽霊だから、年はとらない。
好きなものは、プリといちごミルクと、きらきらしたもの全般と――自分の名前。
嫌いなものは、雨と、限定のリップを使い切る親友。
――うそ。
親友は、大好き。
ここは、某県某市、某寺の墓地。
死後の世界は、思ってたよりずっと、にぎやかだ。
――そして。
墓場は今日も、成仏しない。
(第一部 完)
――まだまだ、続くけどね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
「貞子と伽椰子。」4部作でお届けしました。
初めての執筆ですが、ひとまずの大団円です。
貞子を取り巻くドタバタはまだまだ続くようです。
引き続きよろしくお願いします。
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