「貞子と伽椰子。」③
☆出席番号十一番と十二番
伽椰子は、額を上げないまま、話し始めた。
その声は、墓石じゃなくて、自分の膝に話しかけているみたいだった。
「…………覚えてる? 小四の始業式……」
――覚えてる。
忘れるわけない。
小学校四年生の春。新しい教室。新しい担任。新しい出席簿。
「――十一番、桜庭貞子さん」
「はーい!」
あたしが手を上げると、教室の後ろの方で、誰かが「……井戸」とつぶやいた。
くすくす笑う声。いつものことだ。あたしは、赤くなった顔をごまかすために、もっと大きな声で笑った。
「――十二番、月島伽椰子さん」
――教室が、しんと静まり返った。
あたしの隣の席の、前髪の長い女の子が、耳まで真っ赤にして、うつむいていた。
気のせいじゃなく、喉から小さな音が漏れていた。
「…………ア゛……、はい……」
――次の瞬間、教室が爆笑に包まれた。
「貞子と伽椰子だ!!」
「ホラーコンビじゃん!!」
「井戸と押し入れ!!」
――その日から、あたしたちは『ホラーコンビ』になった。
出席番号が隣。席も隣。給食当番も、掃除当番も、遠足の班も。
いつも一緒にされて、いつも一緒に笑われた。
――始業式から一週間後の放課後。
図書室の一番奥の、百科事典の棚の陰で。
あたしは、身体を小さく丸めて泣いている前髪の長い女の子を見つけた。
あたしは、その隣に、どすんと座った。
『…………ねえ。あたしたちさ、名前で組んだら最強じゃない?』
『………………最強……?』
『だってさ、ひとりだと弱いけど、貞子と伽椰子が組んだら、もう誰も勝てなくないじゃん。映画でも対決してたし』
『……………………それ、もっと怖がられるだけだと思う……』
『…………たしかに』
二人で、泣きながら笑った。
そして、その日、あたしたちは同盟を結成した。
『――改名同盟。』
図書室の『こども法律の本』に書いてあった。
名前は、家庭裁判所でお願いすれば変えられることがある。
十五歳になれば、自分でお願いできる。
『十六になったら、二人で一緒に行こう。』
『……なんで十六……? 十五でいいんじゃ……』
『十六の方が大人っぽいじゃん。』
『…………そうかな……』
『そうなの。――あと、同盟のルール。名前を変えるまで、お互いの本当の名前は呼ばないこと。あたしは『サダ』。あなたは『カヤ』』
『………………サダ……』
『うん、カヤ。』
小指を絡めた。百科事典の棚の陰で。
カヤの小指は、冷たくて、震えていて、でも、すごく力が強かった。
「…………それから、六年間……一回も、本当の名前で呼ばなかったね……」
伽椰子が、墓石の前で、少しだけ笑った。
――そうだ。
六年間。あたしは伽椰子を「カヤ」としか呼ばなかったし、伽椰子はあたしを「サダ」としか呼ばなかった。
中学の修学旅行で、おそろいの星のヘアピンを買ったときも。
高校に入って、あたしが髪を明るくして、ネイルをして、教室の真ん中で笑うようになってからも。
伽椰子が前髪をもっと伸ばして、教室の端っこで本を読むようになってからも。
『サダ、数学の課題……また出してないでしょ……』
『カヤと一緒にやろうと思ってた!』
『……一緒にやるって、私が全部解くことだよね……』
――教室で誰かが「押し入れ女」って言った時。
あたしはそいつの椅子を蹴っ飛ばして、二人で職員室に呼ばれた。
――あたしに彼氏ができて、三週間で振られた時。
カヤは何も言わずに、駅前のパティスリーでいちごのショートケーキを二個買ってきた。
いつもは半分こなのに。
――カヤが、誰もいないはずの音楽室で「声がする」と青い顔で震えていた時。
喉が鳴って、止まらなくて、カヤは死ぬほど恥ずかしそうだった。あたしは言った。
『……カヤのその喉の音、あたし好きだよ。カヤが頑張ってる時の音だから』
――そして、十六歳の秋。
あたしたちは、家庭裁判所の相談窓口を予約した。
「…………朝の十時。駅で九時に待ち合わせ。……サダ、前の日に、『超楽しみ。新しい名前、もう決めてる』ってLINEくれたよね……」
伽椰子が、墓石に向かって、震える声で言った。
――送った。
送ったけど。
でも、前の日の夜、あたしは、ママに言えなかった。
明日、名前を変える相談に行くって。
言えないまま朝になって、連絡帳の『戸籍名で』って文字を見て、キレて、怒鳴って、傘も持たずに飛び出して――
駅へ向かう、交差点で。
「…………雨だったね、あの日。……私、駅の屋根の下で、ずっと待ってた……」
☆既読がつかない
――九時。
『サダ、着いたよ。改札の前にいる』
――九時十分。
『サダ、寝坊?』
――九時二十分。
『雨だから気をつけてね』
――九時三十分。
『サダ?』
既読が、つかなかった。
十年かけて、一度も既読にならなかったことなんてなかったのに。
いつも、送った瞬間に既読がついて、三秒でスタンプが返ってくるのに。
キラキラした猫の、ウィンクしてるスタンプが。
遠くで、救急車のサイレンが聞こえた。
――十時。
相談窓口の予約の時間。
伽椰子は、駅の屋根の下で、動けなかった。
「…………夕方に、おばさんから電話があった……」
伽椰子の喉が、ひくっと鳴った。
「…………サダ、駅に向かってたんだって。……私との待ち合わせに。……名前を変える相談に行く途中で……」
――やめて。
「……私が、同盟なんて作らなければよかったんだ。……十六になったら行こうなんて、約束しなければ。……私が、駅じゃなくて、サダの家の前で待ち合わせすればよかったんだ。……雨の日に、傘持った?って、LINEすればよかったんだ……」
――やめて、カヤ。
あたしは、伽椰子の肩をつかもうとした。
手は、すり抜けた。
「…………一年半、来られなかった。……来たら、サダがここにいるんだって、認めなきゃいけなくなるから…………しかも、ここ、いっぱいいるし……」
――それはごめん。いっぱいいる。
後ろで、五十人の幽霊が、なぜか一斉に頷いた。
申し訳なさそうに。
「…………名前も、変えなかった。……変えられなかった。サダがいないのに、私だけ逃げるなんて、できなかった…………」
伽椰子は、学生証を墓前に置いた。高校の学生証。
前髪で顔が半分隠れた証明写真。その下に、はっきりと印字された名前。
『月島 伽椰子』
「…………あの日から、誰にも『カヤ』って呼ばせてない。……クラスの子にも、先生にも、『伽椰子って呼んでください』って………………サダがいなくなったのに、『カヤ』でいるのは、ずるい気がして……」
――なにそれ。
なにそれ、カヤ。
あたしがいなくなってから、ずっと。一年半も。
あんなに嫌いだった名前を、自分で自分に朝から晩まで呼ばせてたの。
罰みたいに。
――待ってたんだ。
あたしは、その時、はじめてわかった。
カヤは、まだ待ってるんだ。あの雨の朝の、駅の屋根の下で。
一年半ずっと。来ない親友を。既読のつかない画面を見つめながら。
――清一さんと、同じだ。
そして、それを待たせているのは、あたしなんだ。
――ずっと、気づかなかった。
この墓場に来てから、あたしは毎日楽しかった。
ママとはお彼岸に仲直りしたし、蒼太は毎月来てくれるし、名前も好きになった。
もう、心残りなんてないと思ってた。
でも、あたしが成仏しないのには、ちゃんと理由があったんだ。
駅の屋根の下に、まだ、親友を置きっぱなしにしてた。
「……………………………………………………………………………………ごめん、カヤ」
あたしは、伽椰子の隣で、泣いた。
「…………待たせて、ごめん……………………遅刻して、ごめん…………」
――届かない。
伽椰子は、額を上げない。
そのとき、伽椰子のコートのポケットで、スマホが震えた。
伽椰子は、泣きはらした顔で、画面を見た。
『お母さん:山門の前の駐車場で待ってるよ。ゆっくりでいいからね』
「…………………………………………あと十分だけ、いてもいい?」
伽椰子は、墓石に向かって、そう尋ねた。
――十分。
あたしは、その場で立ち上がった。
十分で、伝えなきゃいけない。
ここにいるって。
大丈夫だって。
もう、待たなくていいんだって。
最後までお読みいただきありがとうございました。
筆?指がノってきた気がします。がんばります。
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