「名前のない人。」(前半)
第一回 ナナシさん名前当て大会
十二月。
墓地の木々はすっかり葉を落として、朝は墓石にうっすら霜が降りるようになった。
霊は寒さを感じない。
でも、寒そうな景色を見ると、なんとなく肩をすくめてしまう。
「――ねえ、ナナシさんって、誕生日いつなの?」
きっかけは、あたしのその一言だった。
桜庭家の縁側で、ひなたぼっこをしていたナナシさんが、きょとんとした顔をした。
「……誕生日?」
「うん。この前、麗華の命日だったでしょ。
鬼塚さんのもやったし。
墓場って命日はみんなでお祝いするけど、誕生日は誰も祝わないじゃん。
だから、ナナシさんのからやろうかなって」
ナナシさんは、しわしわの指で、白いひげをなでた。
「……それがのう、さっぱり覚えとらんのじゃ」
「えーっ。じゃあ、命日は?」
「それも覚えとらん」
「……じゃあさ、本当の名前は?」
ナナシさんは、ほっほっと笑った。
「それが覚えとりゃ、ナナシとは呼ばれとらんよ」
――そっか。そうだよね。
あたしは、しばらく考えてから、ぱんっと手を叩いた。
「じゃあ、当てようよ! みんなで!」
――こうして、十二月の墓場総会は、『第一回ナナシさん名前当て大会』になった。
「――それでは、優勝者には西園寺家より、歳暮のお供えの高級魚卵を贈呈いたしますわ!」
「「「おおおおおっ!!」」」
議長席(落ち葉製)の麗華が高らかに宣言すると、集まった五十人の霊が沸いた。魚卵の魔力は、死後も衰えない。
ナナシさんは、最前列の主賓席にちょこんと座らされて、満更でもなさそうな顔で小さくなっている。
「――では、一番手。桜庭源蔵さん、どうぞ」
「うむ」
源蔵じいちゃんが、役者みたいに咳払いをして立ち上がった。
「名無しといえば、昔から決まっとる。
――『権兵衛』じゃ!」
「それ、名無しの権兵衛って意味でしょ! 結局名無しじゃん!」
「名無しの名無しで、一周回って正解かもしれんじゃろうが!」
「しないよ!」
「――次、鬼塚武さん」
「おう」
鬼塚さんが、リーゼントをいじりながら立ち上がる。
「ジイさんだろ。この寺の影の番長だろ。
だったらよ――『夜霧の銀次』だ」
「それ暴走族の通り名でしょ!」
「ぐっとくるだろうが。
……おいジイさん、ぐっときたか?」
「……ほっほっ。横文字のような響きじゃのう」
「漢字しか使ってねえよ!!」
「――では、わたくしの番ですわね」
議長が、自ら手を上げた。誰も指名していない。
「ナナシさんの品のあるお髭、穏やかなお人柄。きっと、昔は名のあるお家の方だったに違いありませんわ。
――『伯爵・八羽小路実光』様」
「長い! ていうか呼びにくい!」
「小路がついていると、格式が高いのですわ」
「……わし、そんなに偉かったんかのう……」
ナナシさんが、少しだけ胸を張った。まんざらでもなさそうだった。
「――次。轟雷太さん」
墓場総会に正式に加わったばかりの雷太さんが、長い黒髪をかき上げて、低い声で言った。
「……『ネクロマンサー・オブ・ザ・エターナル・サイレンス』」
「もう日本人じゃないじゃん!!」
「……静かだから、永遠の沈黙だ」
「封印されたもう一人の自分みたいに言わないで!」
――そこから先は、もうめちゃくちゃだった。
『平吉』「恩追銀蔵」「ジョージ」「ポチ」。
後半になると、もはや名前ではなく、ナナシさんへの感想になっていた。
「やさしい人」「だいたい寝てる」「うちの婆さんと仲がいい(怒り)」
「……うちの婆さんと仲がいいとは、どういう意味じゃ、弥助ええええ!」
「言葉のとおりじゃぁぁぁ、多衛門んんん!」
――スポーン。
おじいさん同士の殴り合いが始まった。そこに魚卵を狙った誰かが飛び込み、鬼塚さんと源蔵じいちゃんがいつものように参戦し、麗華が議長席から護身術で応戦し、雷太さんは見えないギターでBGMを弾き始めた。首が十五個飛んだ。
「もー! みんな真面目にやってよ!!」
あたしが叫んでも、誰も聞いていない。
その騒ぎの真ん中で、ナナシさんだけが、主賓席にちょこんと座ったまま、楽しそうに笑っていた。
「ほっほっ。……こんなに名前を呼ばれたのは、何十年ぶりかのう」
その声が、なんだか少しだけ、遠かった。
⭐︎呼ばれない名前
総会は、もちろんトメばあちゃんの「あらあら」で幕を閉じた。
優勝者はなし。
魚卵は、麗華が十五個の首に均等に配分した。
その夜。
あたしは、桜庭家の縁側で、トメばあちゃんと並んで座っていた。
冬の月は、秋の月よりも白くて、少しだけ冷たい色をしている。
「……ねえ、ひいばあちゃん。ナナシさんって、なんで自分の名前忘れちゃったのかな」
トメばあちゃんは、しばらく月を見上げていた。
それから、いつものにこにこ顔のまま、でも、いつもより少しだけ静かな声で話し始めた。
「……さだちゃん。わたしたちの名前はね、呼ばれるから、ここにあるのよ」
「……呼ばれるから?」
「お墓に刻まれた名前。お墓参りに来てくれた人が、心の中で呼んでくれる名前。……そういうものが、わたしたちの名前を、ここにつなぎとめてくれてるの」
トメばあちゃんは、縁側の板を、指でそっとなぞった。
「でもね、誰にも呼ばれない年月が長く続くと……名前は、少しずつ、消えていくの。影が薄くなるみたいに。最初は誕生日。次に家のこと。最後に、名前」
――ひゅっ、と胸の奥が冷たくなった。
「ナナシさんはね、あたしがここに来たときには、もうあの影におったの。無縁仏さんのところ。
……あそこには、名前の刻まれたお墓がないでしょう」
無縁仏の区画は、墓地の西の端、陰になった小さな一角だ。
苔むした小さな石が、山のように積み上げられていて、その前に大きな合祀墓がひとつ。
刻まれているのは『合祀墓』の三文字だけ。お彼岸でも、お盆でも、花が供えられているのを見たことがない。
「……じゃあ、ナナシさんは……誰にも呼ばれなくて……」
「……みんな、ナナシさんって呼んでるでしょう。あの人の名前は、もう、それなのよ」
トメばあちゃんは、少しだけ寂しそうに笑った。
「……今日はね、みんながいろんな名前で呼んでくれて、あの人、とても嬉しそうだったわねえ」
――あたしは、しばらく何も言えなかった。
自分の名前のことを、考えていた。
「貞子」十六年間、ずっと嫌いだった名前。井戸とかテレビとか言われて、からかわれて、「サダ」って呼ばせて逃げ回っていた名前。
でも、秋のお彼岸に、ママが墓の前で呼んでくれた。パパが、その名前の意味を教えてくれた。まっすぐで、ぶれない。
――あの日から、あたしの一番の宝物になった名前。
もし、いつか。
ママもパパも蒼太もいなくなって、誰もお墓参りに来なくなって、誰にも呼ばれなくなったら。
あたしも、いつか。
「…………やだな」
声が、少しだけ震えた。
トメばあちゃんは何も言わずに、あたしの背中を、しわしわの手でそっとさすってくれた。
――月を見上げる。
西の端の、無縁仏の影に、小さな人影がひとつ佇んでいた。月明かりに照らされて、ずっと、山門の方を見ている。
――そういえば。
ナナシさんはいつも、夕暮れになると、山門の方を見ている。
誰かを、待っているみたいに。
「…………ひいばあちゃん」
あたしは、立ち上がった。
「あたし、ナナシさんの本当の名前、探す」
当てるんじゃない。魚卵のためでもない。
探して、見つけて、呼ぶんだ。
だってあたしは、名前を好きになったばかりだから。
名前をなくしたままの人を、放っておけない。
トメばあちゃんは、しばらくあたしの顔を見ていた。
それから、いつもの笑顔で――でも、いつもより少しだけ心配そうに――頷いた。
「……そう。さだちゃんは、まっすぐねえ」
最後までお読みいただきありがとうございました。
iPadで小説を書いているので指がとても痛いです。
フリック操作はできません。
よろしければ、ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります。




