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墓場ぐらしのサダコさん  作者: 則本潮


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「名前を呼ばれて、行く人」【前半】

☆五回目の十月


十月。


寺の金木犀が、今年も、いっせいに咲いた。


「――おはようございます!」


「「「おはようございまーす」」」


ふみ先生の朝礼のあと、麗華が、日傘をびしっと掲げた。


「皆様! 今年も、例の季節がやってまいりましたわ!」


「……例の季節?」


「貞子さんの、祥月命日ですわ! 命日は、成仏しやすい日。今年も、厳重警戒態勢を敷きますわよ!」


「えー、去年ちゃんと残ったじゃん、あたし」


「油断大敵ですわ!」


麗華の号令で、墓場中の霊が、なぜか、あたしの周りをぐるりと取り囲んだ。


「……なにこれ」


「人間の鎖ですわ」


「霊間の鎖じゃろ」


「どっちでもいいよ!」


「――おい、ジジイ。鎖なら、手つなげよ」


「誰がお前なんぞと手をつなぐか、この不良が!」


――ごつん。


――すぽーん。


「――おまえさんたち」


――かぽーん。


人間の鎖――霊間の鎖は、結成から三十秒で、崩壊した。


あたしは、笑いながら、西の端を見た。


合祀墓の隣に、白木の名札が立っている。


『片桐清一 之霊』


四年前の冬、あたしが落ち葉十三枚で取り戻した名前。


その名札の前で、清一さんが、白いひげをなでながら、にこにこと、こっちの騒ぎを眺めていた。


「……ほっほっ。今年も、にぎやかじゃのう」


――四年前。


この人は、自分の名前を、忘れていた。


みんなから「ナナシさん」と呼ばれて、誰でもない人として、無縁仏の影に座っていた。


一人息子の勇さんを、待ちながら。


その日の夕暮れも、清一さんは、山門手前の空き地に立っていた。


水道の蛇口の横。片桐家のお墓が、昔あった場所。


あたしは、いつものように、その背中に声をかけた。


「――清一さん」


「……おう」


四年間、毎晩、繰り返してきたやりとり。


今夜の清一さんは、珍しく、振り返って、話の続きをしてくれた。


「……勇はのう、港で、紙テープを投げてよこしたんじゃ。……わしは、それを握って、船が見えんようになるまで、離さんかった」


「……うん」


「……テープが、ぷつん、と切れてのう。……それが、あの子との、最後じゃった」


清一さんは、ほっほっと笑って、また、山門のほうを向いた。


――切れたテープの先は、今も、どこかに、つながっているんだろうか。


あたしには、わからなかった。


☆金曜日の、二つの返事


その週の、金曜日の朝。


――ごおん。


本堂から、慈念さんのお経が流れてくる。


もう、ほとんど胃もたれはしない。半音ずれた、慈念さんだけの節。


そして、お経の最後に。


「……片桐、清一さん」


金曜日は、清一さんの日だ。


西の端で、清一さんが、いつものように、のんびりと手を挙げた。


「――おう」


――そのときだった。


「――は、はい!?」


山門のほうから、もう一つ、返事が聞こえた。


墓場中が、いっせいに、山門を振り返った。


山門の下に、大きなリュックを背負った、若い男の人が立っていた。


日に焼けた肌。くしゃくしゃの黒髪。首から、小さなガイドブックをぶら下げている。


「……あ。す、すみません」


男の人は、慌てて、ぺこりと頭を下げた。


「名前、呼ばれたかと、思って。……僕も、清一なので」


――しん。


本堂の縁側で、慈念さんが、木魚のばちを持ったまま、固まっていた。


男の人は、砂利道を、おずおずと歩いてきた。


それから、慈念さんの前で、もう一度、深く頭を下げた。


「は、はじめまして。……カタギリ・ジョアン・セイイチ、です。ブラジルから、来ました」


「……ブラジル」


慈念さんの声が、裏返った。


「……ひいおじいちゃんの、お墓を、探しています。……カタギリ、セイイチ。……片桐、清一。……同じ、名前です」


――墓場中の空気が、凍りついた。


☆十九の、勇


「…………」


あたしは、西の端を振り返った。


清一さんが、立ち上がっていた。


いつもの、のんびりした顔じゃなかった。


白いひげが、震えていた。しわしわの手が、震えていた。


「……清一さん?」


清一さんは、何も答えなかった。


ただ、山門の前の、日に焼けた青年の顔を、じっと、じっと、見つめていた。


「…………勇」


かすれた声が、こぼれた。


「……勇じゃ。……十九の、勇じゃ」


――あたしは、息を呑んだ。


四年前、清一さんは言っていた。


一九九八年の秋。

四十年ぶりに帰国した勇さんは、この寺に来た。

でも、清一さんには、わからなかった。

清一さんの知っている勇さんは、十九歳の小僧だったから。

山門をくぐってきたのは、五十九歳の、白髪の男だったから。


――でも。


今、山門の下に立っているのは。


日に焼けて、くしゃくしゃの髪で、少し不安そうに笑う、若い男の子だった。


「……顔が、そっくりじゃ」


清一さんは、一歩、二歩と、青年のほうへ歩き出しかけて――


それから、ぴたりと、止まった。


「……違う。……勇じゃない。……勇は、もう、おらん」


清一さんは、震える手で、自分の胸を押さえた。


「……わかっとる。……わかっとるよ」


「……清一さん」


あたしは、清一さんの隣に、そっと立った。


清一さんの手は、四年前のあの冬みたいに、落ち葉よりも、軽く見えた。


――墓場中が、黙って、二人の「清一」を、見つめていた。


六十九年前に港で別れた父親と、その息子の、孫を。


本堂の縁側で、おはぎが、ゆっくりと顔を上げた。


いつもは、何にも興味がなさそうな顔なのに。


その目は、まっすぐ、山門の下の青年に向いていた。


最後までお読みいただきありがとうございました。

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