第9話
三千万ゴルド、という言葉に、祈りの間の空気が凍りついた。
「……何の、話かな」
レオンハルトの微笑は崩れない。だが、その額に汗が一筋伝うのを、クラリスは見逃さなかった。
「おとぼけになるの? では、こちらを」
合図とともに、ユリウスが書類を掲げて読み上げる。
「フォラント商会よりレオンハルト・ギーゼルバッハ卿個人への貸付、三千万ゴルド。名目、婚姻の支度金。借用書の写しがこちらに。日付は――神託とやらが下る、十日も前ですね」
どよめきが走った。騙されていた被害者が、騙した娘の家から、神託より先に結婚前提の大金を受け取っている。その意味を、この場の誰もが即座に理解した。
「ち、違う。それは……幼馴染のよしみで、商会の立て直しに力を貸すための、預かり金で」
黒。追い詰められてなお、口をつくのは嘘ばかり。もっとも、もう靄が視えずとも、誰の目にも苦しい言い逃れだった。先ほどまで同情に潤んでいた貴族たちの視線が、みるみる冷えていく。
「さらに申し上げれば」
クラリスは続けた。
「ギーゼルバッハ伯爵家の内実は、負債一億ゴルド超。鉱山の採掘権は質入れ済み、領地の徴税は三年先まで前借り。……ミレーユ様、あなたが命懸けの芝居で狙った資産は、初めから空っぽでしたのよ」
「レオンハルト卿は空の家を隠し、神託の茶番を承知で利用なさった。偽神託のせいにすれば、違約金も払わず侯爵家との婚約から降りられる。ミレーユ様には結婚を匂わせて金を搾り、わたくしには被害者の顔で近づき直して、今度はうちの鉱山への『儲け話』を――ええ、五日前、あなた様の玄関先で確かに伺いましたわ。仲介の商人との書簡も、こちらに揃っておりましてよ」
沈黙は、一瞬だった。
「……嘘。うそ、うそよ……!」
床に頽れていたミレーユが、亡霊のように立ち上がった。見開かれた目が、幼馴染に向く。
「空っぽ……? じゃあ、わたくしが渡したお金は……お家のみんなが、爪に火を灯して掻き集めた、あのお金は……!」
「ミレーユ、落ち着け。この女の出まかせだ」
「出まかせなものですか! 貴方、知っていたのね!? わたくしの神託が嘘だと知っていて、知らないふりで、お金だけ……!」
「黙れ!」
仮面が、割れた。
「先に騙したのはお前だろうが! 家ごと私に寄生する気で、汚い芝居を仕掛けてきたのはどこの誰だ!」
「まあ、お認めになったわ」
クラリスが涼やかに言い、レオンハルトは自分の失言に蒼白になった。あとはもう、坂を転げ落ちるだけだった。詐欺師と詐欺師は御前であることも忘れ、互いの罪状を口汚く暴き合う。神託の偽造の手口も、支度金を強請った文言も、二人の口から余さず語られていく。断罪の場は、いつしか自白の場に変わっていた。
「――見苦しい」
玉座から響いた一声が、罵り合いを断ち切った。国王は立ち上がり、冷厳に裁定を告げた。
ミレーユ・フォラントは神託偽造の大罪により、生涯を辺境の修道院にて贖罪に捧げること。フォラント商会は解体。レオンハルト・ギーゼルバッハは詐取と侯爵家への謀略により廃嫡、ギーゼルバッハ家は爵位を返上し、当人は北の鉱山にて十年の労役。買収されたオルガも神殿法により裁かれる。
鉱山、とクラリスは胸の内で繰り返した。他人の鉱山に寄生しようとした男が、鉱山の底でつるはしを振るう。陛下も、なかなか皮肉がお好きらしい。
「連れて行け」
騎士に両腕を取られ、引き立てられていくレオンハルトが、クラリスの前で足を止めた。
「……いつから、気づいていた」
「初めから」
クラリスは、静かに答えた。
「あなたの『愛している』は――婚約したあの日から、ただの一度も、本当だったことがありませんもの」
男の顔が、クラリスの前で初めて素の色に歪んだ。それが、三年間婚約者だった人を見た、最後だった。




