第7話
約束の日、クラリスはギーゼルバッハ伯爵邸の応接間にいた。卓を挟んで、レオンハルトとミレーユが並んで座っている。
「一週間、考えましたわ」
クラリスは目を伏せ、悲嘆に暮れる令嬢の声を作った。
「神託とあらば、人の身で抗えるものではございません。……婚約の解消、お受けいたします」
「クラリス様……! ありがとうございます、ありがとうございます……!」
ミレーユが両手で顔を覆い、咽び泣く。むろん、真っ黒だ。レオンハルトも痛ましげに眉を寄せた。
「すまない、クラリス。君の決断を、生涯忘れない」
黒。忘れるどころか、これからも利用する気満々のくせに。クラリスは内心で嗤い、そして顔を上げた。
「ただし、ひとつだけ条件がございますの」
「条件……?」
「神託の検証ですわ。大神殿にて、大神官様お立ち会いのもと、神託が真実であることを正式に確かめていただきたいの。侯爵家の婚約を解消するのですもの、陛下へのご説明にも、確かな儀式の裏付けが必要でしょう?」
ミレーユの肩が、はっきりと跳ねた。
「け、検証など……! 神託を、お疑いになるのですか……!?」
「疑うだなんて。真実ならば、検証は神託の権威を高めるだけですわ。それとも――何か、確かめられては困ることでも?」
「い、いえ、そんなことは……」
声が細く萎んでいく。対照的に、レオンハルトは鷹揚に頷いてみせた。
「もっともな条件だ。ミレーユ、何も恐れることはない。本物の神託なら、検証はむしろ望むところだろう? ……クラリス、その条件、確かに受けよう」
――ふうん。乗ったわね。
クラリスは扇の陰で観察する。この男の頭の中は、読むまでもなかった。検証で偽神託が暴かれれば、罪はすべてミレーユと買収された神官に落ちる。自分は幼馴染に騙された哀れな被害者となり、婚約解消の非は誰にも問えず、違約金も消える。むしろ検証は、この男にとって願ってもない幕引きなのだ。
哀れなのはミレーユだった。破滅の崖が見えているのに、今さら神託を取り下げれば偽りを認めることになる。進むも地獄、退くも地獄。買収したオルガに口裏を合わせさせれば切り抜けられるはずだと、必死に算段を立てているのだろう。青ざめた顔で、それでも縋るように「検証を、お受けいたします」と絞り出した。
――そのオルガが儀式の朝に騎士団の手に落ちるとも知らず。哀れといえば哀れだけれど、同情はしないわ。
細かな段取りは追って、と話がまとまり、クラリスは席を立った。見送りに出たレオンハルトが、玄関先でふと足を止める。
「クラリス。……婚約は終わっても、君との縁まで終わらせたくない。落ち着いたら、話したいことがあるんだ。アーヴェント領の鉱山のことで、君の家の力になれるかもしれない儲け話を耳にしていてね。……いや、今は詫びの言葉もないのに、虫のいい話だが」
来た、とクラリスは思った。三本目の指。仕込みは、こんなにも早く。
夕陽を背にした男の言葉は、一句残らず黒い靄をまとっている。三年間、隣で見てきたはずの穏やかな微笑が、今は出来の悪い仮面にしか見えなかった。
「まあ……こんな時まで、わたくしどもの家をお気遣いくださるのね」
クラリスは完璧な淑女の微笑を返した。
「そのお話、検証の儀が済みましたら、ゆっくり伺いますわ」
ええ、ゆっくりと。あなたの罪状のひとつとして、皆の前でね。
氷の令嬢は優雅に一礼し、嘘つきの家を後にした。
その夜、クラリスは神殿へ短い報せを送った。餌は撒いた、二人とも喰いついた、と。ほどなく返ってきた書面には、飾り気のない文字でこうあった。
『万事、整えます。あなたはただ、勝ちに来てください』
嘘のつけない人の書く文字は、言葉と同じくらい真っ直ぐだった。クラリスは書面を胸元に仕舞い、窓の外の月を見上げる。
決戦は、五日後。大神殿にて。




