第6話
約束の一週間が明ける前夜。アーヴェント侯爵邸の奥まった一室に、四人の姿があった。
クラリスと、侯爵。ユリウス。そして目深に外套を被って忍んできた最後のひとりが、頭巾を下ろす。銀髪の老婦人――大神殿の頂点に立つ、大神官セラフィナその人だった。
「話はユリウスから聞いております。神の名を騙る不届き者、この老骨も久々に血が騒ぎましたよ」
穏やかに笑う老婦人に、侯爵が深々と頭を下げる。卓上には、この六日で積み上げた調べの束。フォラント商会の裏帳簿の写し、夜会の証言録、三千万ゴルドの借用書の写し、そして下級神官オルガの動向記録。
「駒は揃いました。あとは、どの盤で指すかですわ」
クラリスは一同を見渡した。
「明日、わたくしはレオンハルト様に婚約の解消を受け入れると伝えます。――ただし、ひとつだけ条件を付けて」
「条件?」
「『神託が本物であることを、しかるべき場で検証していただくこと』。神託を大義に婚約を奪うのですもの、その神託が真実かどうか、確かめられて困る道理はございませんでしょう? 場所は大神殿。立ち会いは大神官様と、できますれば国王陛下に」
セラフィナが目を細めた。
「陛下への奏上は、神殿からいたしましょう。神託の真偽検証は神殿の正式な儀式。侯爵家の婚約が懸かるとなれば、陛下も臨席を厭われますまい」
「二人は断れません。神託を旗印にした以上、検証を拒めば自ら旗を焼くことになる。……そして検証の場で、偽りの旗は衆目の前で燃え落ちますわ」
「オルガの身柄は、儀式の朝に神殿騎士団が押さえます。逃げ道はありません」
ユリウスが引き取る。クラリスは頷き、それから声を低くした。
「ひとつだけ、皆様に申し上げておきますわ。神託が偽りと暴かれた瞬間、あの方は必ずこう仰る。『自分も騙されていた被害者だ』と。会場の同情があの方へ流れたところが、勝負所ですの。……そこで二枚目の刃を抜きます。借用書は、その時まで伏せておいてくださいませ」
なるほど、と侯爵が唸った。段取りは決まった。侯爵とセラフィナが細部を詰めるあいだ、クラリスは露台へ出て夜気にあたった。ほどなく、背後で足音がする。ユリウスだった。
「ひとつ、伺ってもよろしいですか。……あなたは初めから、神託が偽りだと確信しておられた。証拠もない、あの時点で。なぜです」
来るべき問いだった。クラリスは夜空を見上げ、それから覚悟を決めて振り返った。この人に嘘をつくことだけは、したくなかった。
「わたくし、嘘が視えますの」
力のこと。黒い靄のこと。幼い日、それを口にして化け物と呼ばれたこと。以来、家族と大神官様のほかには隠して生きてきたこと。言葉を選びながら語るあいだ、ユリウスは一度も遮らず、目も逸らさずに聞いていた。
「……気味が悪いでしょう。心の中を覗かれているようなものですもの」
「いいえ」
即答だった。
「俺は嘘をつかないので、何も困りません」
あまりに真っ直ぐな答えに、クラリスは瞬き、それから思わず小さく吹き出した。
「それに」と、ユリウスは続けた。
「その目は、あなたを化け物になどしていない。あなたはその目で偽りを見抜きながら、誰も傷つけずに今日まで来られた。俺はむしろ敬服しています。――あなたの目に映る世界を、俺は疑いません。これからも」
白。どこまでも白。夜露よりも澄んだ言葉が、胸の奥に沁みていく。ずっと呪いだと思っていた瞳を、この人は真正面から肯定してみせた。
「……調子が狂いますわね、あなたといると」
クラリスは扇で口元を隠した。頬が熱いのは、夜気のせいではなかった。
明日、戦が始まる。それなのに、心はこんなにも凪いでいる。
「参りましょう、ラングハイム卿。嘘つきたちに、幕引きの舞台を用意して差し上げなくては」




