第5話
ギーゼルバッハ伯爵家は、空っぽの宝箱だった。
ユリウスの調べを、侯爵家の伝手が裏付けていく。鉱山は主脈が涸れかけ、採掘の権利の大半はすでに王都の商人へ質入れ済み。領地は三年続きの不作で、徴税は前借りに前借りを重ねている。豪奢な暮らしは、体面を保つための借金で回っているに過ぎなかった。負債の総額は、フォラント商会のそれを軽く上回る。三年前、侯爵家との縁談に伯爵家がやけに熱心だった理由も、今にして思えば透けて見えるというものだ。
「沈みかけの船に、沈みかけの船が乗り移ろうとしていた、というわけね」
神殿の一室で、クラリスは調書を置いた。滑稽と言えば、これほど滑稽な話もない。だが、笑ってばかりもいられなかった。この事実は、あの庭園の茶番の意味を根底から変えてしまう。
あの日、愛の言葉も苦悩もことごとく黒かった男の、唯一の白――『この婚約は解消すべきなのだと思う』。ずっと引っかかっていたその一言が、今なら読める。家の空洞が露見する前に、疵ひとつ負わず婚約から降りたい。それは紛れもない、彼の本心だったのだ。
「整理しましょう。レオンハルト様は、自分の家が空であることを誰よりも知っている。そこへ、家の資産目当てのミレーユが偽の神託を持ち込んだ。……普通なら、迷惑なだけの話ですわ」
「ええ。ですが彼は乗った。騙されたふりをして」
「そう。つまり彼にとって、あの偽神託は使い道のある道具だった」
クラリスは指を一本立てた。
「ひとつ。婚約の解消。伯爵家の内情が露見すれば、遠からずわたくしの父のほうから婚約は破棄されます。その場合、非は虚偽の資産を装った伯爵家にあり、多額の違約金が生じる。払える金は、あの家にはない。――けれど神託のせいにすれば? 非は神託とミレーユに落ち、伯爵家は被害者のまま、一ゴルドも払わず婚約から降りられますわ」
二本目の指を立てる。
「ふたつ。ミレーユからの搾取。彼女に結婚をちらつかせておけば、フォラント商会は先行投資と信じて金を差し出す。実際、調べはついているのでしょう?」
「はい。『婚姻の支度金』の名目で、商会からレオンハルト卿個人へ三千万ゴルド。借用書の写しを、商会の帳簿方から確保しました。……無論、彼には返す当ても、結婚する気もないでしょう」
「詐欺師から搾り取る詐欺師。いっそ見事だわ」
偽の神託に、偽の資産。狙う側も狙われる側も、初手から互いを騙していた。あの庭園に満ちていた黒い靄の濃さを、クラリスは今さらのように思い返す。
そして、とクラリスは三本目の指を立て、目を細めた。
「みっつ。これが本命。……わたくし、思い出しましたの。あの庭園で、あの方は『君を傷つけたくはない』と仰った。婚約が消えたあとも縁を保ちたがる素振りが、あの日の言葉の端々に覗いていた。神託に引き裂かれた悲恋の被害者として、わたくしの隣に居座り続けるおつもりなのよ」
「侯爵家との縁を保って、何を……いえ」
ユリウスの表情が変わった。
「アーヴェント侯爵家の鉱山」
「ええ。うちの鉱山は本物ですもの。同情を買い、友誼を装い、頃合いを見て共同開発だの新事業だのと投資話を持ちかける。空の家の当主が、本物の金脈に繋がる最後の糸――それがわたくし、というわけ」
沈黙が落ちた。やがてユリウスが、押し殺した声で言った。
「反吐が出る筋書きだ。あなたの心を、担保か何かのように扱っている」
その言葉には、靄のひとつもなかった。彼は本気で、クラリスのために怒っている。自分でも凍りついていると思っていた胸の奥が、わずかに温かくなる。他人の怒りをこんなにも心地よく感じたのは、生まれて初めてのことだった。
「お怒りいただけて光栄ですわ。でも、ご安心なさって」
クラリスは扇を開き、氷の令嬢の微笑を浮かべた。
「騙し合う二人が、互いの嘘ごと沈んでいく。――共倒れこそ、あの方たちにいちばんお似合いの結末でしてよ」




