第3話
屋敷に戻ったクラリスは、その足で父の書斎を訪ねた。
アーヴェント侯爵は娘の報告を聞き終えると、しばし瞑目し、それから低く唸った。
「神託を騙って侯爵家の婚約に手を突っ込むか。正気とは思えん」
「ですから、正気の勝算があるのでしょう。お父様、調べる許しをいただけますか」
「無論だ。だが、お前の目のことは決して悟られるな。……して、どこから当たる」
「神殿ですわ。偽の神託には、必ず偽の出どころがございますもの」
父は、この国でクラリスの力を知る数少ない人間のひとりだ。娘の言葉に頷くと、翌日には神殿への紹介状を用意してくれた。表向きの名目は「婚約に関わる神託について、当事者の家門として確認を求める」というもの。疑いようのない、正当な手続きだった。
王都の大神殿は、白亜の柱が立ち並ぶ荘厳な建物だった。
通された応対の間に現れたのは、予想していた老神官ではなく、神殿騎士の制服をまとった青年だった。長身に、意志の強そうな金褐色の瞳。青年は騎士の礼をとった。
「神託記録の管理を預かっております、ユリウス・ラングハイムと申します。侯爵令嬢自らのお運びとは、余程のご用件とお見受けします」
ラングハイム。公爵家の名だ。その次男が神殿騎士になっていたとは。クラリスは淑女の礼を返し、単刀直入に切り出した。
「先月、フォラント男爵令嬢に下ったという神託について、確認に参りましたの。伯爵子息レオンハルト・ギーゼルバッハと当該令嬢が、神意によって結ばれているという内容の」
「その質問にお答えする前に、ひとつ伺います。あなたはその神託を、真実とお考えですか」
「参考までに、あなた様のお考えを先に伺っても?」
探るような沈黙ののち、ユリウスははっきりと言った。
「神託は、神殿の記録庫に一件残らず封蔵されます。私は管理官として、この十年の記録をすべて検めることができる立場にあります。――その上で申し上げる。フォラント男爵令嬢に下った神託の正式な記録は、存在しません」
クラリスは、危うく息を呑むところだった。
言葉の内容にではない。予想通りの答えだった。驚いたのは、その言葉のありようだ。
靄が、ない。
一筋も、ひとかけらも。青年の言葉は、冬の朝の空気のように澄んで視えた。名乗りから、問いかけから、今の証言まで、何ひとつ濁っていない。
――こんな人間が、いるの。
十八年生きてきて、初めてのことだった。世辞も方便も口にしない人間など、いるはずがないと思っていた。目の前の青年は、少なくともこの部屋に入ってから、ただの一度も嘘をついていない。
「付け加えるなら、令嬢は『運命に背けば命を落とす』とも語っているそうですが、婚姻に関わる神託が人の命を蝕んだ例は、記録上ただの一件もありません。神は縁を結びこそすれ、脅しはなさらない」
なるほど、とクラリスは内心で頷いた。あの衰弱ぶりにも、いずれ別の種明かしがあるということだ。
「……驚きましたわ。神殿の方が、そうもはっきり仰るなんて」
「事実ですから。それに、偽の神託を騙る者がいるなら、それは神殿全体への冒涜です。管理官として、見過ごすわけには参りません」
白。白。どこまでも白。クラリスは自分の頬が緩みそうになるのを、慌てて引き締めた。相手は初対面の男だ。なのに、その言葉を浴びているだけで、長年張り詰めていた何かがほどけていくような心地がする。
「ラングハイム卿。では、取引をいたしましょう」
クラリスは扇を開き、氷の令嬢の微笑を浮かべた。
「わたくしは、偽の神託で婚約を奪われかけております。あなたは、神殿を汚す偽神託の出どころをお探しになりたい。……利害は一致しておりましてよ」
「光栄です、侯爵令嬢。実を言えば、こちらからお願いしようと思っていました」
差し出された手にも、やはり靄はなかった。
嘘を暴く戦に、嘘のない味方がついた。これほど心強いことが、他にあるだろうか。クラリスはその手を、迷いなく取った。




