第2話
嘘つきたちの舞台は、なおも続いていた。
ミレーユは涙ながらに、神託の詳細を語っている。祈りの間に光が満ちたこと。神官が震える声で告げたこと。その夜から食事が喉を通らなくなったこと。語られる言葉は一句残らず黒い靄をまとい、クラリスの視界で淀んでいく。
――さて。この茶番、狙いは何かしら。
クラリスは打ちひしがれた令嬢の顔を作りながら、頭の奥を冷ややかに回転させていた。
力には限りがある。視えるのは言葉が真か偽か、それだけ。嘘の中身までは分からない。だからこそ観察し、推理する。それがクラリスの生きてきたやり方だった。
ミレーユ・フォラント。男爵家の娘で、実家は商会を営んでいたはず。その令嬢が、命懸けの芝居まで打って欲しがるもの。レオンハルト個人への恋慕なら、こんな大掛かりな仕掛けは要らない。神託を持ち出したのは、婚約と結婚まで一息に決めるためだ。
――ギーゼルバッハ家、ね。
広大な領地に鉱脈。伯爵家は有数の資産家として知られている。狙いは十中八九、あの家の身代。恋に殉じる乙女の顔をした、ありふれた財産狙いだろう。
問題は、もうひとりのほうだった。
「クラリス。黙っていてすまなかった。僕は君との婚約を、心から大切に思ってきた」
黒。
「ミレーユのことは、妹のようにしか思っていない。それは誓ってもいい」
黒。
「だが神託とあらば、彼女を見殺しにはできない。……この婚約は、解消すべきなのだと思う」
――今のは、白。
クラリスは睫毛の下で、わずかに目を見開いた。最後のひと言にだけ、靄がなかった。
おかしい、と思う。筋書きの上で、彼は神託に引き裂かれる哀れな被害者のはずだ。偽りの神託に欺かれているのなら、彼の苦悩は本物でなければならない。なのに、愛の言葉も苦悩もすべて嘘で、婚約の解消を望む一点だけが、本心。
つまりこの男は、騙されてなどいない。ミレーユの嘘を承知の上で、この舞台に乗っている。穏やかな顔の裏で、彼は彼で何かを企んでいる――そう視るのが自然だった。
この場で嘘だと糾弾するのは容易い。だが証拠は何ひとつなく、力のことは公にできない秘密だ。神託を疑う発言だけが独り歩きすれば、不敬の誹りを受けるのはこちらになる。ならば――泳がせて、確かめて、逃げ場を塞いでから刈り取るまで。
「……お話は、分かりましたわ」
クラリスは長い沈黙の末に、震える声を作って言った。
「ですが、家同士が交わした婚約でございます。わたくしの一存では決められません。一週間、考えるお時間をくださいませ」
「そんな……! わたくしの身体は、もう」
縋りつくミレーユの声が裏返る。焦り、と、クラリスは胸の内に書き留めた。一週間の猶予すら惜しいほど、この娘は追い詰められているらしい。
「ミレーユ。無理を言ってはいけない。……ありがとう、クラリス。君は本当に、聡明で優しい人だ」
黒い靄をまとった賛辞に軽く一礼し、クラリスは東屋に背を向けた。崩れ落ちそうな令嬢を演じたまま、庭園を後にする。
迎えの馬車が動き出し、窓の外に伯爵家の門が遠ざかると、クラリスはようやく面を上げた。
口元には、静かな微笑が浮かんでいた。侍女が見れば悲鳴を上げたであろう、それは冬の湖のような笑みだった。
婚約が惜しいのではない。あの男への未練など、塵ほどもない。ただ――嘘を厭うこの自分を、よりにもよって嘘で塗り固めた舞台に引きずり出し、筋書き通りに踊らせようとした。その一点だけは、どうしても許せそうになかった。
神託を騙るなら、神殿ごと敵に回す覚悟はあるのか。侯爵家を謀るなら、相応の代価を払う覚悟はあるのか。
――わたくしたちを謀ろうとしたこと。それが、あなたたちの過ちよ。
幕はもう上がってしまった。今さら舞台から逃げても、遅い。ならばあの二人の企みを、根の先まで残らず暴いてやろう。
氷の令嬢は窓の外の夕焼けに目を細め、そっと開戦を誓った。




