第九十一話
ラインマーはすでに去っていた。
アインも同じだった。
残されたのは、カエラとランだけ。
数秒の間、音はなかった。
カエラが階段を下り、中央の通りへと向かう。
「これで、私たち二人だけですね」
ランがわずかに顔を上げる。
「ええ」
その返答に、からかうような響きはなかった。カエラの感情を逆撫でするつもりもない。
ただ、その手だけがゆっくりと動き、衣服の内側に隠された武器へと伸びていく。
カエラは歩き続けた。
足取りは変わらず穏やかだった。
だが、その姿はもはや、いつもラインマーの傍らに立っていたメイドとは完全に別人だった。
動きに柔らかさはない。
迷いもない。
ランも反対側から動き始める。
黒いフードが顔の大部分を覆い、その隙間から覗く一対の瞳だけが、カエラの動きを追い続けていた。
「ここで何もしないわけにはいきませんからね」
「そうですね」
「あなたの主は、すでに相手を選んだ」
「私の主も同じです」
それから、二人はもう真っ直ぐには進まなかった。
カエラは道の左側へと移動する。
反対側から、ランは右側へ。
互いに距離を縮めることはない。
二人はそのまま道の曲線に沿って進みながら、一定の間隔を保ったまま、ゆっくりと互いの周囲を回り始めた。
カエラが円の一方から次の位置へと少しずつ移動すれば、ランも反対側から同じように動く。
どちらも近づこうとはしない。
どちらも、相手に先に攻撃を仕掛ける隙を与えようとしない。
二人は沈黙したまま、互いの周囲を回り続けていた。
まるで、どちらが先に隙を見せるのかを待つ二匹の捕食者のように。
やがて、ランが沈黙を破った。
「アサシンですか?」
カエラが一瞬だけ足を止める。
「まあ、そんなところです」
ランの口元に、薄い笑みが浮かんだ。
「なら、私たちは似た者同士ですね」
「あなたと一緒にしないでください」
「そういう意味ではありません」
カエラは再び歩き出す。
「ただ、こういう戦いがどういう結末を迎えるのか、私たちは二人とも知っているというだけです」
ランが足を止めた。
カエラも歩みを止める。
二人の間には、動き回るには十分な距離がある。
だが、最初の一撃を避けるには十分ではない。
二人は黙ったまま向かい合う。
その視線は、ほんのわずかも逸れなかった。
カエラが身を低くする。
再び構えを取った。
両手に光が集まり、アストラ・ヴォレアを形作る。
ランも同じように腰を落とし、重心を下げる。
一秒。
二秒。
合図はない。
二人は同時に駆け出した。
空中で、鋼の閃光がぶつかり合う。
カァンッ!
衝撃が通り一帯を揺らした。
*
アストラヴェルの遥か北。
防衛部隊はすでに配置についていた。
かつて市街地の内部に設置されていた防壁の大部分は、外縁地区へと移されている。
レゾナンス砲。
防御用シールド。
そして、弾薬箱。
それらすべてが山岳地帯を正面に見据える防衛線を形成していた。
彼らの前に伸びる大通りは、かつてキャラバンがアストラヴェルへ向かうために使っていた道だった。
だが今日、そこを行くキャラバンはない。
商人もいない。
住民もいない。
ただ一個大隊に近い規模の部隊が、静かに待機していた。
最前線には、二人の指揮官が立っている。
一人の男は、両手で武器を握りしめていた。
その隣では、一人の女が最後にもう一度、兵士たちの配置を確認している。
「全員、配置についたか?」
「完了しています」
「命令があるまで攻撃するな」
「了解」
二人は再び山々へと向き直る。
まだ敵の姿は見えない。
聞こえるのは、草原を撫でていく風の音だけだった。
そのとき。
遠くから、何かの音が響いた。
ギィィッ。
全員の顔が一斉に上がる。
木々の間で、何かが動いた。
速い。
あまりにも速く、目で捉えることすらできない。
ヴォイドリングが森から飛び出した。
岩を飛び越え、そのまま地面へ叩きつけるように着地すると、再び駆け出していく。
続いて、タイド・ストーカーが斜面を駆け下りてきた。
一体。
続いて三体。
さらに数十体もの群れが、同じ道を埋め尽くしていく。
黒い身体が速度を一切落とすことなく突き進み、何本もの木々がその勢いに巻き込まれて倒れていった。
カオス・スポーンは岩から岩へと飛び移りながら、次々と山を下っていく群れの中を荒々しく駆け回っている。
そのさらに後方では、タイド・ベヒーモスが重い足取りで山を下っていた。
その巨体が一歩を踏み出すたび、地面が震える。
ドォン。
ドォン。
その数は、なおも増え続けていた。
群れの遥か後方では、カオス・タイドもまた動いている。
黒い液体のようなものが木々の間をゆっくりと流れ、地面を覆いながら、色を失ったような地表を残していく。
最前線の兵士たちが、次々と武器を構え始めた。
隊長が大きく息を吸う。
「構えろ」
列が一斉に動いた。
盾が持ち上げられる。
砲身が向けられる。
それぞれの手が武器の柄を強く握りしめる。
誰一人として後退しなかった。
*
アストラヴェルから遠く離れた場所。
広大な大地を風が吹き抜けていく。
開けた空の下、短い草が風に揺れていた。
そこには、ほとんど木々がない。
ただ、何もない大地がどこまでも広がっている。
その中央に、二人の姿があった。
アインが周囲を見渡す。
「いい場所だな」
ラインマーは答えない。
アインが小さく笑った。
「邪魔する奴もいない」
それでも返事はない。
ラインマーはポケットに手を入れ、小さなガラス瓶を取り出した。
中では、青い液体が淡く輝いている。
アインは、それを見た瞬間に何なのかを理解した。
「お」
ラインマーが瓶の蓋を開ける。
「その瓶……」
答えることなく、青い液体を一気に飲み干した。
空になった瓶を唇から離す。
アインの笑みが、ゆっくりと広がっていく。
「本気で、全力を使うつもりなんだな」
ラインマーは黙ったままだった。
「それをやるのも、ずいぶん久しぶりじゃないか?」
アインの目が鋭くなる。
「その後に何が起こるのか、俺は知っている」
ラインマーは瓶を再びポケットへしまった。
「知っているなら、話す必要はない」
アインが小さく笑う。
「呪いの女王」
その瞬間、初めてラインマーが顔を上げた。
アインは静かな声で続ける。
「彼女を縛っている封印は、まだお前の力に繋がっている」
「もういい」
「それでも、お前は解放することを選んだ」
アインの笑みがさらに深くなる。
「楽しみになってきた」
ラインマーが一歩、前へ出る。
「ここなら、俺は力を抑える必要がない」
視線を周囲の広大な空き地へと巡らせる。
「俺の動きを制限できる者は、誰もいない」
一度、言葉を切る。
「市民もいない。兵士もいない」
ラインマーはアインへ鋭い視線を向けた。
「守らなければならない他の誰かもいない」
アインが頷く。
「もちろんだ」
「ここにいるのは、俺たち二人だけ」
「そして、俺もお前を失望させるつもりはない」
その笑みが変わった。
「さあ、見せてくれ」
ラインマーが手を伸ばす。
周囲の温度が、一気に下がった。
吐息から薄い白い息が漏れる。
同時に、手のひらに沿って氷の結晶が生まれ始めた。
氷が目の前の空気へと伸びていく。
一つ、また一つと結晶が重なり合い、やがて一本の剣を形作っていった。
金属の刀身は、至って簡素なものだった。
余計な装飾は一切ない。
だが、刀身の根元から先端にかけて氷が這うように広がり、柄の一部を包み込みながら、その表面には鋭い結晶がいくつも形成されている。
ラインマーはその剣を握りしめた。
フロスト・エンペラー
アインは、その武器を見つめる。
「まだそれを使っているのか」
そう言って、自らも手を伸ばす。
その手の中に、もう一本の剣が現れた。
形状はシンプルだった。
しかし、刀身が完全に形成された瞬間、赤い煙がその表面から立ち上り、薄く渦を巻きながら剣全体を這っていく。
クリムゾン・ヴァラー
血にも似た何かが剣の表面から流れ出し、生きているかのような気配を纏いながら刀身の周囲を巡っていた。
アインが笑う。
「こんなに楽しい気分になるのは、久しぶりだ」
ラインマーは答えない。
フロスト・エンペラーを持ち上げる。
刀身を身体の前に構え、わずかに前方へ傾ける。両足は地面を強く踏みしめているが、その身体は微動だにしない。
アインも、ほぼ同じ構えを取った。
ただし、その姿勢には遥かに余裕がある。
クリムゾン・ヴァラーを身体の横に構え、肩の力は抜けたまま。その顔には、未だ笑みが浮かんでいる。
小さく笑いながら、アインが口を開く。
「レイ」
「ん?」
「そう簡単に死ぬなよ」
先ほどまで吹いていた風が、ゆっくりと止んだ。
ラインマーは剣の柄を強く握り直す。
「それは、俺が言うべき台詞だな」
アインが薄く笑う。
もう、言葉を交わす必要はなかった。
*
ランとカエラ。
最初の衝突を終えた二人は、わずか数歩の距離を置いていた。
だが、息を整える時間など与えられない。
カエラが身を低くする。
足元の地面に亀裂が走った瞬間、彼女の身体が弾けるように飛び出した。
ランも正面から迎え撃つ。
カァンッ!
剣と剣がぶつかる。
二人の顔の間で火花が弾け飛んだ。
カエラが手首を返す。
ランの刃が横へ弾かれる。
そのまま、首元へ向けて斜めの斬撃が走った。
ランが身を屈める。
ヒュッ!
剣先がフードのすぐ上を掠めていく。
その動きのまま、ランは腰を捻り、反撃の突きを繰り出した。
カエラが身体を傾ける。
シュッ!
刃が彼女の腰元の布を掠めた。
カエラは下から斬り上げる。
ランが身体を後ろへ引く。
剣先が空を切った。
だが、カエラはすでに身体を回転させていた。
髪と衣服の裾がその動きに合わせて翻り、攻撃の軌道が瞬時に変わる。
カァンッ!
ランが横から受け流す。
カァンッ!
二撃目。
カァンッ!
三撃目。
二人は一点を中心に、互いの周囲を回るように動いていた。
一瞬前までカエラがランの左側にいたかと思えば、次の瞬間には二人とも別の角度から向かい合っている。
その背後では、アストラヴェルの景色さえも、二人の動きに合わせて回転しているように見えた。
ランが剣を低く構える。
カエラが間合いへ踏み込んだ。
一歩。
そして、短い斬撃が二度。
ランは一撃目を受け止め、二撃目を肩の横へ滑らせてかわす。
そのまま、胸元へ向けて素早い突きを返した。
カエラが身体を捻る。
刃が彼女の身体から数センチのところを通り過ぎた。
同時に、カエラの肘がランの腕を打つ。
剣が跳ね上がる。
カァンッ!
ランの体勢が一瞬だけ崩れた。
カエラは即座に斬り込む。
ランは剣を交差させて受け止めた。
衝突の瞬間、風圧が爆発する。
土埃と砕けた石が、周囲へと一気に吹き飛ばされた。
それでも、二人は踏みとどまっていた。
カエラが押し込む。
ランが押し返す。
二本の剣が二人の間で激しく震える。
視線が交わる。
どちらも退かない。
カエラが刃を捻る。
ランも同じように剣を捻った。
カァンッ!
二人の剣が、鍔迫り合いから弾き離れた。
カエラが左へ回る。
ランは右へ動いた。
まるで視点そのものが、二人の周囲を回り込んでいるかのようだった。
ある角度から、カエラが上段から斬り込む。
カァンッ!
ランが受け止める。
次の瞬間には、ランがすでに彼女の横へ回り込んでいた。
横薙ぎ。
カエラが身を屈める。
刃が頭上を通り過ぎる。
カエラが地面を踏みしめる。
その身体が回転した。
剣が背後から叩き込まれる。
ランが間一髪で振り返った。
カァンッ!
先ほどよりも激しい衝突。
火花が四方へと飛び散る。
二人は再び鍔迫り合いになった。
剣と剣がぶつかり合う。
二人の顔は、わずか数歩ほどの距離にある。
カエラが全身の力を込めて押し込む。
ランも押し返す。
だが、二人の足元の地面に亀裂が走り始めた。
ミシッ。
二人が動きを止めた。
そして、同じ亀裂へと視線を向ける。
地面を通して、振動が伝わってくる。
ミシミシッ。
次の瞬間、二人の間の地面が大きく裂けた。
亀裂の隙間から、紫色の光が噴き出す。
ランが即座に後方へ跳ぶ。
カエラも距離を取った。
二人はそれぞれ反対側へ着地する。
再び剣を構える。
だが、もう攻撃する者はいなかった。
二人の視線は、広がり続ける亀裂へと向けられている。
地中で何かが動いていた。
「……邪魔が入ったな」
ランが呟く。
亀裂が弾けた。
三体の魔物が、一斉に地上へと飛び出してくる。
そのうちの一体が、カエラへ向かって真っ直ぐに襲いかかった。
カエラは退かない。
身体をほんのわずかにずらすだけだった。
魔物の爪が肩のすぐ横を通り過ぎる。
同時に、剣が振り上げられた。
ザシュッ!
魔物の首が切り落とされる。
地面に触れるより先に、その身体が崩れ落ちた。
二体目が横から襲いかかる。
カエラが身体を回転させる。
一閃。
横薙ぎの斬撃が、その身体を真っ二つに切り裂いた。
三体目が背後から跳びかかる。
カエラが身を低くする。
爪が頭上すれすれを通り過ぎる。
カエラの刃が背後へ走った。
ザシュッ!
着地するより先に、その身体が切り裂かれる。
三体が、ほぼ同時に地面へ落ちた。
カエラは短い動きで剣先を払う。
その表情は、相変わらず冷たいままだった。
「邪魔をさせるわけにはいきません」
数メートル離れた場所で、ランはまだ立っていた。
カエラが再び剣を持ち上げる。
「私には、自分に関係のないものと戦って時間を無駄にする暇はありません」
ランが頷く。
「正しい判断だ。続けよう」
カエラが彼を見る。
「もちろん。そのつもりです」
二人は再び構えを取った。
*
アストラヴェルの中心部。
大きな広間が、静寂の中に佇んでいた。
高い壁が周囲を取り囲んでいるが、そこに扉はない。
幾本もの巨大な柱が空へと伸び、建物の中央を囲むように広い円を形作っている。
屋根はない。
ガラスもない。
そこにあるのは、空へと直接繋がる何もない空間だけだった。
石造りの床の中央で、一つの黄金の円が輝いている。
その表面を、レゾナンスの線がゆっくりと走っていた。
何かが、この場所へ向かっている。
まだ到着してはいない。
それでも、その円はすでに起動していた。
そこから数十メートル離れた場所。
アストラヴェル最大の噴水の中央に、一体の黒い石像が立っていた。
その像が纏っているのは、頭から足元までを覆う長いローブ。
フードの隙間から覗く髪は乱れており、まるでその持ち主が身だしなみなど一度も気にしたことがないかのようだった。
像に名前は刻まれていない。
権威を示す紋章もない。
ただ、街を見つめるように静かに立つ、一人の姿だけがそこにあった。
それは、今なおアストラヴェルに残る最古の痕跡の一つ。
かつて、この場所に存在していた者。
目の前に広がるこの都市よりも、遥かに大きな何かの礎を築いた者だった。
何年もの間、その黒い石は世界が変わっていく様子をただ見つめ続けてきた。
だが今。
アストラヴェルの各地区に、足音が響き始める。
住民たちが走る。
扉が次々と閉められていく。
子供を抱えて走る者もいれば、取り残された家族の手を引きながら、何度も背後を振り返る者もいた。
かつては人の気配に満ちていた通りから、次第に人影が消えていく。
しかし、全員が逃げられたわけではない。
各地区の至るところで、先ほどまで細い線にしか見えなかった赤い亀裂が、少しずつ広がり始めていた。
ミシッ。
一つの亀裂が、壁の表面を割り開く。
ミシッ。
別の亀裂が、通りを横断するように走った。
さらに数メートル先にも、もう一つ。
四つ目。
五つ目。
短い時間のうちに、数十もの亀裂がアストラヴェル全域へと広がっていった。
各地区で警戒に当たっていた兵士たちが、すぐさま武器を構える。
「構えろ!」
隊列が一斉に動く。
盾が持ち上げられる。
剣が抜かれた。
槍が前方へ向けられる。
彼らの前にある最大の亀裂が、震え始めた。
その振動は、次第に強くなっていく。
そして――
赤いゲートが開いた。
その中から、兵士たちが姿を現す。
一人、また一人と。
数十。
やがて、数百。
彼らは剣、槍、斧、その他さまざまな戦闘用武器を手にしていた。
ただひたすら、前へ進んでくる。
アストラヴェルの兵士たちが、すぐさま迎え撃った。
「奴らを攻撃しろ!」
一人の指揮官が叫ぶ。
「うおおおおっ!」
カァンッ!
カァンッ!
カァンッ!
刃と刃がぶつかり合う。
次の衝突が、間髪入れずに続いていく。
数秒もしないうちに、通り全体が戦場へと変わった。
兵士たちが互いに突撃する。
盾が激しく打ちつけられ、隊列ごと押しずらされる。
槍が陣形の隙間へと突き込まれる。
叫び声が地区全体を満たしていく。
だが、防衛線が状況に対応するよりも早く、再び地面が震え始めた。
ゴゴゴゴゴ……。
何人もの兵士がバランスを崩す。
その足元に、新たな亀裂が開いた。
内部から紫色の光が噴き出す。
「下だ!」
地面が爆ぜた。
何かが地中から飛び出してくる。
グレイブマウが穴から跳び出した。
細長い身体に、大きな頭部。
そこには無数の顎と牙が並んでいる。
そのまま、一人の兵士へと襲いかかった。
隊列が崩れる。
「モンスターだ!」
すぐ隣の亀裂から、二体目の魔物が姿を現した。
ボーンハイド。
その身体は黒い骨のような構造に覆われており、全身のいたるところからそれが突き出している。
ボーンハイドが一つの防壁へと体当たりすると、壁が砕け散った。
その背後から、シックスレンダーが地面の裂け目を這い上がってくる。
六本の脚が、交互に路面を叩いていく。
目はない。
それでも、その頭部は人間の声を追うように向きを変えた。
次の瞬間、シックスレンダーが突進する。
ドンッ!
兵士たちが四方へと吹き飛ばされる。
隊列を立て直す間もなく、その頭上を巨大な影が横切った。
最大の穴から、ドレッドウィングが姿を現す。
暗い翼が大きく広がる。
一度の羽ばたきだけで強烈な風が巻き起こり、通り一帯の砂埃と瓦礫が吹き飛ばされた。
「市民を守れ!」
その命令は、魔物の咆哮にほとんどかき消された。
逃げ続ける市民を追う魔物もいる。
別の魔物は建物へと体当たりし、壁を崩壊させる。
兵士たちは防衛線を維持しようとするが、攻撃はあらゆる方向から押し寄せてくる。
正面からはアインの兵士たちが進軍を続ける。
地下からはダンジョンの魔物たちが次々と姿を現す。
アストラヴェルは、同時に二方向から攻撃を受けていた。
*
別の地区では、カエラとランが未だに向かい合っていた。
そのとき、建物の向こう側から咆哮が響く。
屋根から埃が落ちてくる。
カエラが剣の柄をわずかに強く握る。
ランも刃を持ち上げた。
次の瞬間、二人の姿がその場から消えた。
カァンッ!
再び刃がぶつかり合う。
二つの影が建物の間を駆け抜け、通りの一方からもう一方へと瞬時に移動していく。
カァンッ!
ランが身体を回転させ、横からカエラの刃を押さえ込む。
カエラが受け止める。
二人の顔は、わずか数センチしか離れていない。
その背後で、建物が一棟崩れ落ちた。
隣の地区から、人々の叫び声が響く。
瓦礫の間では、炎が燃え広がり始めていた。
あちこちで小さな爆発が起こる。
それでも、二人は互いから目を逸らさなかった。
ランが薄く笑う。
「これが、アイン様の望んでいたことです」
カエラが刃を押し返す。
「黙ってください」
「まだ戦いは終わっていませんよ」
二人は同時に身を低くする。
剣が再び持ち上がる。
遠くでは、魔物の咆哮と武器のぶつかり合う音が、絶え間なくアストラヴェルを満たしていた。
だが、二人の意識はただ一人の相手だけに向けられている。
二人は再び、互いへと突撃した。




